第21話

文字数 4,178文字

テレビでは紅白歌合戦が放送されている午後八時。新宿・歌舞伎町の中心に設けられた特設ステージから爆音が鳴り響き、勢いよく飛び出したMCが集まった千三百人の観客を軽妙なトークで盛り上げた。
 続いて登場したオープニングアクトの若手ロックバンドが耳触りのいいチューンナンバーを披露すると会場のボルテージは一層ヒートアップしていく。ステージ脇で様子を見守る祖父江も幸先のいいスタートに満足げな表情を浮かべた。
「新宿無宿のメンバー、あと三十分で到着するそうです」
 連絡を受けたフロアスタッフが祖父江に耳打ちする。
「遅せーよ。ったく。しゃーない、順番入れ替えるか」
 舞台裏で待機していたバンドの元に駆け寄り申し訳なさそうに事情を説明し頭を下げる。

「なあ、これ覚えてる?」
 靖国通り地下、新宿サブナードのコーヒーショップ。強烈な悪臭を漂わせテーブル席の一角を占領する三人を卑しむように店員が不愛想に注文の品を届ける。玲雄はホットコーヒーを口にしながら皺だらけのメモを文と絵梨に見せた。
「あ、あれだ。最初にタロット占いした時のメモ!」
 殴り書きの文字を読んだ絵梨は瞬時に理解した。
「いや、たまたま見つけて面白いなーと思って。ほら、最初のカードが『皇帝 逆位置』、空振り、未熟、優柔不断、横暴、自己中心的で傲慢、実力不足、経済力なし、計画がうまくいかない、責任を果たせない、未熟なリーダー。で、次が『教皇 正位置』」
「あー、そうだったっけ。連帯・協調性、信頼。出会った頃の私達みたいだったね」
 絵梨が補足する。
「あ、この『年上の人』って、初台さんのことだったりしたのかな」
 メモを見ながら文も納得する。
「三枚目が『正義 逆位置』。これあれだろ、絵梨の逮捕!」
「逮捕じゃねーっつーの。あんたらの巻き込み事故でしょ。何日間も拘留されて……。ま、そのおかげでナントカクレジット踏み倒せたけど」
「で、『隠者 正位置』。ほら、単独行動ってさっきまでの俺らじゃん」
「なるほど。当たってるわ」
 適当に捲ったカードがここまで予言していることに絵梨自身が驚いた。
「周囲の環境は『運命の輪 逆位置』。誤算、不運、チャンスを逃す、情勢の悪化、かみあわない、きくしゃくした状態、アクシデントの発生、アンラッキー、妨害にあう」
「その次が『死 逆位置』か。新しい出発ができない、停滞、行き詰まり、後悔や未練を断てない。へー、ふーん」
 文にはこのカードが現状のことを予言していると思った。だが、二人は違う。
「最後。ほら来た! 『悪魔 逆位置』。回復、誘惑や束縛から解放、覚醒、ふっきれる
って、まさに今!」
 同じ血液型、同じ誕生日。思考回路も似通った玲雄と絵梨の共通見解。
「てな訳でさ。最初で最後のステージライブ。とにかく楽しんでやろうよ」
 玲雄は二人の前に右手の甲を差し出した。
察した絵梨がその上に自分の右手の甲を重ねる。そして文。トライアングルが再び輝きをみせた。

「大晦日まで働いてるのってウチぐらいじゃないですか?」
 憔悴しきった毛村が金城に悪態をつく。
「馬鹿、競馬関係者に休みなんてもんはねえんだよ。文句あるなら大井に言えよ」
 突き出た腹を摩りながら金城は毛村の頭を小突く。社長の阿州が拘留されたことで急遽彼が代表代行を務めることになったが、肝心の予想は依然として振るわない。自信の大勝負と銘打った暮れのグランプリも大波乱の結果となり、多くの会員が解約と返金を求めることとなった。薄かった髪はさらに寂しさを増している。
「あ、何かやってますね。有名人でも来てんのかな?」
 行きつけの立ち食いそば屋に向かう途中、吉良はイベントが開催されていることに気がついた。
「ちょっと見に行きましょうよ」
 男三人、狭い店内で年越しそばを啜るより大勢が集まるイベントで盛り上がる方が吉良は性に会っていた。
「面倒くさい奴らだな、全く」
 毛村もその提案に乗ったことで仕方なく金城も連れ添った。

「さ、カラオケ行きましょう」
 毎年恒例、大晦日の忘年会を終えた『A・KILLER』のホスト集団が肩で風を切るように通い慣れた道を闊歩する。総勢三十人。そのセンターには悠斗がいた。将棋の盤面のように金・銀・飛車・角に囲まれた玉将はこの街で怖いものなど無い。もうすぐ訪れる新年に浮かれ上がっている通行客に若手が道を開けるよう睨みを利かせる。
「あれ、今日なんかイベントやってんの?」
 シネシティ広場の特設ステージから漏れてくる歓声に悠斗は反応した。
「何か色んなバンドがやってるみたいです」
 スマートフォンを片手に側近が答えた。
「へえ、面白そう。ちょっと見ていこうぜ」
 鶴の一声で大名行列は一旦停止。立ち見で膨れ上がる会場の最後列で次の出演アーティストの出番を待った。

 『NEXT 新宿無宿』
 ステージ前方の大型ビジョンがその名を映し出すと集まった観客から「知らねえ」という声が沸き起こった。
 ステージ全体の照明が一斉に落とされ、真っ暗なステージ後方から強烈なライトが観客側に向けて放たれた。そこに浮かび上がる三人のシルエット。
 タンバリンのフィンガーロールが鳴り響き、哀愁漂うブルースハープの音色が場内を包み込む。これから何が始まるのか知らない千三百人の観客はざわつきながらステージに視線を向ける。やがてアコースティックギターのコードが奏でられると照明が切り替わり、舞台に立つ玲雄・文・絵梨をくっきりと照らし出した。
「何だ、こいつら」
「ホームレスかよ」
 無造作に伸びた長く傷んだ髪。何週間も着続けたシャツは糸が解れ、汗と汚れにまみれている。玲雄のズボンは膝から下が破れており、スニーカーの先端から爪先が見え隠れしていた。最前列の観客は漂う悪臭に咽び、混乱は徐々に後列へと伝染していく。
 それでも臆することなくステージの彼らは演奏を続けた。
 『おとうさん ごめんね 僕は失敗作です あなたの期待に そえることなく ここまできました』
「おい、止めさせろ」
 場内から怒声が飛び交う中、スタンドマイクを握り締めて文が歌う。その声は席を立とうとする観客の足を引き止めた。一人、また一人と自然発生的に手拍子が広がる。気がつけば誰もがその歌を聴き入っていた。
 『おとうさん あなたの 意思に背いた 失敗作のまま』
 コーラスのハーモニーが重なると、玲雄と文は視線を交錯させて嬉しそうに頷いた。さっきまで騒然としていた会場には一体となった手拍子が木霊のように響き渡る。
「おい、あれ。前にうちにいた大鳥じゃないか」
 金城が玲雄を指さす。
「いやいや、人違いでしょ」
 ノリノリで手拍子する吉良が即座に否定する。
「かなり似てますけどね」
毛村も続いた。『WINDAM』は当たらない、というのを立証した一件でもある。

 万雷の拍手と、歓声に包まれて三人は深々とお辞儀をした。「良かったよ」と方々から掛け声が飛ぶ。
「な、俺の言った通りだろ?」
 ご満悦の表情で祖父江は近くのフロアスタッフに言い放った。

 文はマイクを握った。
「はじめまして。新宿無宿です。今日このステージに立たせて頂いたこと本当に嬉しく思います」
そう言い終えると感極まって声を詰まらせた。玲雄にアイコンタクトを送りMCをバトンタッチする。
「俺達、ダメな人間の集まりなんです。ボーカルのコイツは元々引き籠りのニート。親にも見放され、この年でミュージシャンになりたい、なんて夢を追い掛けている」
イメージダウンな紹介のされ方に文は口を尖らせた。
「このコは……、金もないのにホストクラブで豪遊したもんだから、恐い人達から三百万も借金作ってこの間まで逃亡生活。しかもこの間まで拘置所のお世話になってた」
 絵梨にスポットライトが当たると、その顔に見覚えがある『A・KILLER』集団が一斉にざわついた。
「悠斗さん、あの女……」
 側近ホストが問いかけるが悠斗は何も答えない。腕組みをしてステージで輝きを放つ絵梨をじっと凝視する。
「……そういう俺も、鬱病でリストラされ嫁さんにも逃げられた。今はホームレス。ここ三ヶ月、ベッドで寝てない」
 赤裸々な告白は会場のテンションを一気に下げていく。しかし玲雄はお構いなしに続けた。
「そんな三人が偶然出会い、どういう訳か今こうして歌っている。色々と失ったものもあるけれど、それ以上に得たものも多いし、大きいかな。今日が俺達の初ステージ。そしてラストライブです。次が最後の曲です。聴いてください、『新宿無宿』」
 始まったのはブルース調のメロディ。
『この街が 好きです 私のことを そっとしててくれるから この街が 嫌いです 私のことを 構ってくれないから』
 一曲目とは打って変わって観客のノリが悪い。蒲田での路上ライブではアップテンポだったこの曲をアレンジしようと決めたのはつい一時間前のことだった。祖父江にも一切伝えてはいなかった。手拍子もなく、ただただギターの演奏と、物憂げな三人のハーモニーだけが新宿のど真ん中に響く。
『居たけりゃ居てもいいんだよ 嫌なら去ってもいいんだよ どの道を選ぶかは自分次第 あなたは言ってくれました 今日も私はこの街で こっそり生きています 夢がここにある限り 私の居場所は ここなんです』

 区役所通りの路上。苫太郎は特設ステージから漏れ聞こえる三人の歌声を目を閉じて聴いていた。瞼の奥から熱いものが込み上げてくる。これは俺の歌だ。そう感じた。

 観客の評価は分かれた。歌いきった彼らへの賛辞は『失敗作』ほど多くは無く、拍手もまばらだった。実体験に基づいた歌詞は万人に向けられたものではない。しかし、この街で生活している人の中にはしっかりと響くだけの共感性がそこに存在していた。ステージに立つ絵梨には見えていなかった。悠斗が周りの目も憚らずに惜しみない拍手を贈っていたことを。

「なあ、これからどうする?」
 ステージを降りた文が二人に尋ねた。
「なんか食べたい」
 絵梨が即答した。
「いや、そうじゃなくて、今後の俺達、だろ?」
 玲雄は以前にも似たようなやり取りをしたことを思い出して笑った。
 帰属意識、という言葉がある。行き場を失った三人が辿り着いた居心地のいい場所。それは『新宿無宿』だった。彼らの曲が有線のヒットチャートを賑わすのはこれから四ヶ月後の春である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み