第14話

文字数 2,680文字

ブルーシートの小屋が立ち並ぶ多摩川の畔で三人の共同生活は始まった。近隣の廃品回収場を周り、誰が使っていたかも分からない染みのついた毛布や、胸に会社名が刺繍されたサイズの小さい制服などを勝手に拝借して最低限生きていくための基盤を徐々に整えていった。
 夜になると川面を伝う風は身を切るように冷たく、布団を重ねても身体の震えが止まらなかった。寒さに耐える玲雄の脳裏にかつての記憶がふと蘇った。ホームページ制作の会社を設立した当初のこと。口八丁で受注したはいいが、作業がまったく追いつかない。暖房もなく、隙間風が入り込む粗末なオフィスで何日も寝泊まり。役に立ったのが引っ越し業者から貰った梱包用のエアキャップだった。無数の気泡は断熱効果があり、包まると暖かい。床に敷くと適度なクッション性があり、とても重宝したのを懐かしく思った。
 翌朝。三人は蒲田駅前を隈なく歩き、廃棄されているエアキャップを探し集めた。ある種の宝探し。誰が一番多く持ち帰るかを競いあった。

 住所を持たない彼らを雇ってくれる先は限られた。玲雄が採用されたのは何の技能もいらず、ただ立っていればいいだけのサンドイッチマン。胸と背中に『まんが喫茶』と大きく書かれたボードを張り付け、人通りの多い駅前で半日間、好奇の目に晒されながら時間が過ぎるのを待つ。羞恥心なんか捨て去ればいい。ここにいるのは大鳥玲雄じゃない、ただのホームレスだ。かつて自分が寝床としていたまんが喫茶も、今では手の届かない贅沢な場所になってしまった。玲雄は日当の五千円札を大事にポケットに仕舞いこみ、雑踏の中に紛れた。

 文は駅の掲示板で見つけた配送センターの臨時アルバイトに応募してみたところ、経験者でフォークリフトの免許を持っていることが評価され即日採用された。何をやっても駄目な玲雄とは違い、もともと仕事ぶりには定評があった彼は新しい職場でも本領を発揮し、周りともすぐに仲良くなれた。かつての職場の同僚である多田や目平、そして目を掛けてくれた班長のことを時折思い出しながら黙々と仕事に打ち込んだ。
 午後五時。文が仕事から帰ってくると『ゲートウェイ・オブ・ドリーム』出場に向けて練習が開始された。多摩川大橋の周りをジョギングして基礎体力を養い、綺麗なハーモニーが出せるよう何度もコーラスを繰り返した。最初は思うように声が出なかった絵梨も、徐々にコツを掴み、一週間もすると美しい音色を操るようにまでなった。
「よし、じゃあデモテープ作ろうか」
 手応えを感じた文は満を持して音楽スタジオをレンタルした。一時間二千円。日銭を稼げるようになったとは言え、彼らにとっては決して安くはない金額である。
「カラオケボックスとかでも良くない?」
 三日分の食費が僅か一時間で無くなることに玲雄は難色を示したが、文は頑として譲らなかった。
「俺達はプロになるんだよ。こんなとこでケチってチャンス逃す訳いかねえ」
 その気迫に押され、かつてないハイパフォーマンスでデモテープは完成した。文の持ち歌である『失敗作』。路上ライブをやる度に好評な尾崎豊の『路上のルール』。そして絵梨が作詞し、玲雄が作曲を手掛けた新曲『新宿無宿』の三曲である。
 ユニット名も『新宿無宿』で決まった。この語感を絵梨が気に入っていたからに他ならない。
 『ゲートウェイ・オブ・ドリーム』=GODは三段階で優勝者が決まるレギュレーションとなっている。
 エントリー時に送られたデモ音源を運営スタッフが全てチェックし、一定レベルに達していれば一次通過。著名な音楽プロデューサーを交えて採点形式で行われる二次審査で審査員特別枠を含む最終八組が決定。最終審査=ファイナルは十二月二十日。渋谷のホールで二千人の観客を前に行われる。今回運営責任者に就任した室地はコスト削減を掲げファイナルをネット投票で行う方針でいたが、決勝は絶対にライブでなければならないという初台の強い主張を他の運営スタッフが汲み取り、室地を説得する形で今年度も継続されたのである。

「もしもし。初台だけれど」
 文に着信があったのはエントリーして三日目、多摩川でコーラス練習をしている最中だった。後遺症からか依然として滑舌は悪いが、声には張りがあった。
「お久しぶりです。お元気そうで」
 豪雨の日、病室で会って以来の会話に文も声を弾ませた。
「GOD、今回バンドでエントリーしたんだな。聞かせてもらったよ、『新宿無宿』。あれ、いい曲だな」
 運営を外された初台だが、彼を慕うスタッフから届いたデモテープを毎日CDに焼いてもらっていた。今までの習慣で気になったアーティストには声を掛けずにいられなかったのである。
「ありがとうございます。そう言って貰えると、頑張ろうって気になります」
 顔を紅潮させながら文は玲雄と絵梨にサムアップをしてみせた。漏れ聞こえる会話から自分達が評価されていることを知った玲雄と絵梨はハイタッチして喜びを分かち合った。
「残念ながら俺に審査の権限はないけれども、他のエントリーと引けを取らない、いや、十分にファイナルに勝ち進めるレベルだと思っているよ。……ん、後は演奏だな。ライブだとアコギ一本では音が弱いからバンドの奴らと張り合うには分が悪い。打楽器か鍵盤も加えて音に厚みを出した方がいいな。そうすりゃ優勝も狙えるだろう」
 長年、大会を牽引してきた初台のアドバイスは何よりも励みになった。
「君達は磨けば絶対に輝く。プロデュースは俺がやるから。絶対に売れるよ。だから、勝ち残れ。頼む、な」
 そう言って初台は電話を切った。文の耳では彼の言葉が福音のように何度も反芻していた。
 『新宿無宿』は精力的に夜の蒲田駅で路上ライブを繰り広げた。それなりに固定ファンを掴んでおり、その活動はSNSを通じて広まっていた。
 『変なホームレス三人組の路上ライブ』というタイトルで誰かがアップした動画もじわじわとアクセス数を伸ばしていた。『路上のルール』を駅前広場で披露している様子である。文がブルースハープを奏で、玲雄が得意のギターの腕前を披露し、絵梨は猛練習したタンバリンでリズムを刻む。帰宅途中のサラリーマンや飲み会帰りのOLなど二十人ほどのギャラリーが彼らを取り巻き、要所要所で文が煽ると盛り上がりは加速していく。コメント欄には『見た目やばいけど歌うめー』『なんかジワるw』と好意的な書き込みが目立つ。文もスマートフォンで反応を定期的にチェックしていた。そこから得た気付きを次のライブで修正して彼らのパフォーマンスはどんどん進化していった。
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