第157話 近くて遠い距離 7 Aパート

文字数 8,606文字


 お母さんが先生の話を聞いてくれたと分かって、明日はみんなが笑顔になれそうなのを想像しながら机に向かう。
 今日もほんの少しの時間だったとしても、優希君とのデートだってできる。
 ただ、その服装をどうするのかとか、優希君は優しい言葉を掛けてはくれるけれど、今の私の顔が酷いのは間違いないし。
 その中でも優希君には別の方法で喜んで欲しい。だから優希君の気に入ってくれているスカートとも思うけれど、前と同じスカート姿だと、あまり芸を感じない気もするし。
 でも、彩風さんと倉本君との事で喧嘩になってしまいそうな気もするし。私の気持ちも最大限優希君に見せるべきなんだろうけれど……それじゃあ優希君の為って言うよりかは、あの二人の為にスカートを穿くようなもので、それはさすがに違うと言う事くらいは分かる。
「……」
 なんか色々考え出したら、デートの方に意識が行きすぎて集中力が完全に切れてしまう。
 それにデートと言えば、今日も私に口付けしてくれるのかなって思いたいけれど、今日病院に行ったばかりでガーゼ自体も新しいし、外だって晴れている。だから前回にも増して頬にあるガーゼを取り外す理由が無くなる。
 つまり今日は優希君から頬に口付けを貰うことが出来ないかも知れない。
 お母さんは応援してくれるとか言ってくれていたクセに、これだけガーゼに意識が行ってしまうとガーゼなんて取り外せない。
 これじゃあ優希君が口付けしてくれるのは、私じゃなくてガーゼになってしまうんじゃないのか。何が応援してくれるなんだか。ガーゼに優希君の口付けをしてもらたって嬉しいわけがない。そう考えたらだんだん腹立って来た。
「――っ!」
 そう言えばと落ち込んでいた所で思い出す。今日はお互いにキスマークを付けようって話もしていたんだった。
 だったら今日は頬にしてもらえなくても我慢できるかもしれない。
「っ?!」
 結局、今日この後の事が気になって全く集中出来ていなかった中で優希君からのメッセージを貰う。

宛元:優希君
題名:今から向かう
本文:また公園に着いたら改めて連絡するから、わざわざ暑い中で待たなくても
   良いから、家でゆっくりしててよ

 そのメッセージ一つ取っても、やっぱり私の事を大切にしてくれている気持ちはたくさん詰まっていた。

宛先:優希君
題名:ありがとう
本文:楽しみにしているから気を付けて来てね。ケガとかしないでね

 だけれど、優希君は私にとってもとっても大切な人である事には変わらないのだから、ケガ一つでもされたら辛い。それが私に会いに来てくれるためとかだったら、もっと辛い。だから優希君自身もやっぱり大切にして欲しい。
 そして迷った末に、今日はスカートを辞めてキュロットスカートに。その代わりお母さんからのネックレスを付けて行く事にする。
 これならお母さんに今日も優希君と会う事はバレないだろうし、ネックレスだって外に出てから着けてしまえばより確実だ。ただリップだけはどうしよう。お母さんの前で引いたらすぐにバレるだろうし、外で付けたらそれこそ気合入り過ぎって引かれるかもしれないし……。
 お母さんがいなければ何も気にしなくて良かったのかもしれないけれど、いてくれて心細くないのも嬉しいのも確かだし……。
 結局優希君からの二回目の、公園に着いたって言うメッセージを貰うまでリップクリーム一本で悩む羽目に。本当にたかがリップクリーム一本だなんて言えない。 (129話)


「あら? 愛美、出かけるの?」
「うん。少し気分転換して来る」
 結局リップクリーム一本で最後まで迷った私は、ポケットに忍ばせて優希君から貰った“雲が広がる青空”の見える傘を手に、リビングを通り過ぎた時にお母さんに呼び止められる。
「今日も優希君とデート?」
 何で気分転換イコール優希君とのデートって言う図式が成り立っているのか。既に優希君は待ってくれているのだから早く行きたいのに。
「……愛美もやるわねぇ。急いでるんなら早く行きなさいな」
 お父さんと喧嘩しているからって、お母さんの情熱をこっちに向けて来るのは辞めて欲しい。そういう情熱はお父さんに向けて、早く仲直りをする方向に力を入れて欲しい。
 しかもあの咲夜さんみたいな顔。絶対にまたロクでもない事を企んでいるに決まっている。
「別に急いでいるわけじゃないからアレだけれど、取り敢えず行ってくるね」
 それでも私は、これ以上根掘り葉掘り聞かれるのは避けたかったからと、足早に公園へと向かう。

 せっかくだからと日傘代わりに広げた、傘の中に広がる雲と一緒に青空を楽しみながら公園へと目指す……けれど、今日は晴れているからか、やっぱり人通りが多い分、私の顔への視線をいつも以上に感じてしまう。
 そう言うのを体感してしまうと、優希君にも嫌な思いをさせてしまうんじゃないかとか、弱気な私が顔を出してしまう。
 一度弱気な顔が出始めてしまうと、せっかくの雲と一緒に広がる青空を見ていても気分は上がらない……ちょっと浮かれすぎていたのかもしれない。
 ただ、今から断るにしても優希君はもう待ってくれているのだから、私の都合だけで大好きな人を振り回す訳にはいかない。
 私が複雑な気持ちを持ちつつ公園の中に足を踏み入れた時、児童たちの元気な声に混じるように、嬉しそうに私を呼ぶ優希君の声も一緒に聞こえる。
 今更ながら顔を見られる事に抵抗を感じた私は、傘を低く持ち替えて小間に顔を隠すようにして、少し奥まった場所にある、ベンチの前にいる優希君の元まで歩み寄る。
 これじゃあ、天候の違い以外前回と全く同じだ。
「あれ? 愛美さん。なんだか元気ない?」
 そうなると、優希君の方も当然私を気にしてくれるけれど、
「そんな事ないよ。ちょっと暑かったのと、この優希君がくれた傘をじっくりと眺めながら歩きたかっただけだよ」
 自分の心が痛むのを感じながら、せっかくここまで来てくれた優希君に余計な心配を掛けたくなかった私は、優希君に嘘をつく。こんな顔じゃなかったら、優希君に嘘なんてつかなくても済んだはずなのに。
「……愛美さん。ひょっとして僕、愛美さんに無理させた?」
「ううん! そんな事ない! 私はとっても嬉しかったよ! 嬉しかったけれど……」
 児童たちの元気な声が聞こえる公園内、今日も優希君が私の傘に入って来てくれるけれど……変に意識してしまったからか、優希君と視線を合わせ辛い。
「……僕はどんな愛美さんでも好きだし、心から笑ってくれたならどんな笑顔だって好きだよ」
 優希君が私を元気づけようとしてくれているのは分かるけれど、何で私も言えないんだろう。
「ありがとう。私も優希君と会えた事はとっても嬉しい――!?」
 自問していた所に、優希君からの突然の口付け。しかも今日は児童たちも見ているかもしれないのに。
「ごめん。愛美さんの顔を見てたらどうしてもしたくなって」
「こんな顔なのに優希君からの口付け、私だってすごく嬉しかったんだから謝らないでよっ」
 嬉しかった事に対して感情が漏れた私。一方優希君は私がびっくりしたから気を使ってくれた事は分かってはいたけれど……せめて私の今の気持ちをもう一度伝えたくて、私からのお返しの口付けをする勇気は無いから、せめて優希君に寄り添うようにくっつかせてもらう。
「……愛美さん。ひょっとして顔の事気にしてる?」
 突然の私の漏れ出た感情に対して、どこまでも私をちゃんと見てくれている優希君が、やっぱり私の気持ちも見つけてくれる。
 しかも本当に今日は私のお願いを聞いてくれたのか、優希君の体から、優珠希ちゃんの匂いはおろか、他の女の子の匂いも一切しない。
 この状態で私に会いに来てくれるのはすごく嬉しいけれど、雪野さんの事もお願いしている中で、相当大変だったんじゃないか。
「……うん。今日ここに来るまでにちょっとね」
 そう思うと、どうしても私の気持ちが自分勝手な気がして、言葉を濁してしまったきりそれ以上の二の句が継げなくなってしまう。
 それでも優希君と会えたのが嬉しかった事だけは誤解して欲しくなくて、優希君の胸に顔をうずめる。それだけで優希君の匂いが、私の中にたくさん入って来る。
「……」
 私が優希君の胸元に寄りひっついた意図を汲んでくれて、私の日傘を代わりに持ってくれているからか、無言で片腕だけを回してくれる。
 だけれど、今、寂しい感情を持て余している私がして欲しい気遣いはそっちじゃない。
「嫌。それだと私の専用の場所だって言ってくれた優希君の腕の中に、私。半分しか入れていないよ?」
「確かにそうだけど、でも愛美さんが使ってくれてる傘はこのまま退かしたくないし……」
 こう言うワガママや、素直な気持ちは優希君相手限定だけれど、少しずつでも言えるようになってきているのに、どうして頬やガーゼの事は言えないんだろう。

 一方優希君は私のワガママにどうしようかって頭を悩ませてくれるけれど、せっかく私と優希君。二人いるんだから全部優希君一人で完結しようとするんじゃなくて、目の前にいる私も使ってくれたら良いのに。
「……優希君。傘は私が持つから、両腕とも私の背中に回して欲しいな」
 だったら私の気持ちを優希君に伝えるだけだ。ただ直接顔を見る事は出来ないから、どうしてもモゴモゴした声にはなってしまうけれど。それでも、これからもたくさんある優希君との二人だけの時間。ゆっくりと私の事を伝えていけば良いのだから。
「ありがとう愛美さん」
 お礼を言うのは私の方なのに、優希君の腕がお礼と同時に両腕が背中に回されて、(あつ)(ねつ)を持ち始める私の身体。熱を持った体に反応して、ここが私本来の居場所だと主張するように、やっと心が落ち着き始める。
 かと思ったら、私の背中をゆっくりと撫でてくれたり、私の頭に手を置いたりしてくれる。その感覚すらも私の体は喜んでくれているのか、この暑い夏なのに今度は穏やかにホカホカと熱を帯びる。
「今日は僕も愛美さんにたくさん触れたくて」
 そう言えば昨日からそんな事を言ってくれていたっけ。
「それって、昨日の雪野さんの件だよね」
 児童たちの声が気にならなくなった私は、優希君から離れたくなくて優希君の方へもたれかかる。
「そうなんだけどね。さすがに今の雪野さんが可愛そうになって」
 私のあちこちに触れながらため息をつく優希君。私の方も彩風さんだけじゃなくて中条さんからも話を聞けただけに、より正確に雪野さんの周りを取り囲む状況は、理解出来てしまっている。
「そう言えば今日やっと中条さんから連絡があったんだけれど、中条さんから何か話、あった?」
 だからこそ、蒼ちゃんの時と同じ轍だけは踏まない様に、手を尽くしてはいるけれど……
「特に何の話もないけど何で?」
 結局は誰も動いてはくれないって事なのかな。
「彩風さんがあんな状態で、誰の言葉にも耳を傾けてくれないから、同じ二年の中条さんにとも思ったのだけれど……」
 ここまでひっ迫して来ると、それぞれの居場所とか言っている場合じゃない気がする。 (33話)
「愛美さんの考えは分かった。でもここは彩風さん自身にきっちりと雪野さんに向かい合ってもらう。そして行動までは起こしてもらう」
 なのに驚いた事に、この状況でも中条さんは巻き入れないって言う。
「でも私が何回言っても駄目。優希君が言っても駄目。倉本君が言っても駄目。雪野さんの状況を考えたら、悠長な事を言っている余裕は無いよ?」
「でも、もしこのまま二人が仲違いしてしまったら、来年の統括会どっちかが辞める事になって、経験者がたったの一人になってしまう。一人だったら誰にも相談出来ないから、問題を先延ばしにするだけで、それこそ本当にしんどくなるよ。それもあるから倉本は二人とも辞めさせる気はないし、倉本自身も言ってた信任選挙やその他諸々の事もあって雪野さんが降りる事に関しては絶対首を縦に振らないと思う。それは結局彩風さんを守る事にもつながるから」
 また、優希君の着眼点に鳥肌が立つ。確かに優希君の言う通りだ。
 しかもこの場合雪野さんが降りる事になるに決まっている。つまりそれは優希君の言う通り問題を先送りにするだけで、むしろ私たちが卒業していなくなる分、状況はもっと悪くなるとしか思えない。
 一方統括会に残った方も大変な事になりかねない。たった一人相談出来る人がいるかどうかで、その心の持ちようには雲泥の差があるのだから、それを一年間一人でやり抜くと言うのは並大抵の事じゃない。
 こうやって一つずつ順序立てて行くと、倉本君が彩風さんを守ろうとしている事が分かる。
「どうしよう……私、彩風さんには任せられないから、中条さんと優希君で協力して欲しいって言ってしまってる」
 結局私も、感情に振り回された挙句の果ての判断ミスだ。これじゃあ彩風さんの事は言えない。
「中条さんにお願いしたい事もあるから大丈夫。そこは僕が何とでもする。だから愛美さんは自分を責めないでよ」
 焦る私をあくまで冷静に、何の問題も無いかのように余裕を持ってなだめてくれる優希君。
 何だかそんな姿を見ていると、最近はカッコ良いだけじゃなくて頼り甲斐まで感じて、ものすごく頼もしく思えて仕方が無くなって来る。もう本当に、どこをどう取っても優希君の良い所しか見当たらない。


 結局傘も優希君がいつの間にか手にしてくれた上で、二人並んでベンチに腰掛けたところで、カバンの中から取り出したタッパを渡してくれるけれど、このカラカラと音が鳴っている食べ物は何だろう。
 興味を持ってタッパの蓋を開けて、中を覗き込んでみると、
「ビスケット?」
 一口サイズの楕円形の食べ物で、薄いきつね色をしたお菓子だった。さっきからの彩風さんと中条さんの態度の話から結びつく要素がない事に首をかしげていると、
「前回雨が降っていて、愛美さんに弁当を用意出来なかったから、今日はそのお詫びかな?」
 いや待って欲しい。お詫びってこれじゃあ明らかに優希君の方が女子力が高い気がする。

ひょっとしてこれ、優希君の手作りだったりするの?」
 あんな美味しい料理を作れる上、頼り甲斐もあって……しかも優しくて。その上お菓子まで作れるんなら、なんかこう、うまく言えないけれど私も、もっと頑張らないといけないんじゃないのか。
 しかもそのお菓子にまで、白いお花を入れて色合いを考えるとか、さすがの蒼ちゃんもびっくりじゃないのか。

って、その前に何かあった?」
「だって優希君、すごく頼り甲斐もあって、あんなに美味しいお弁当……も作……れて……っ?!」
 もう一回待って。今私は何を言ったのか。優希君の前で何を恥ずかしい事を口にしてしまっているのか。
「……愛美さんから見て僕って頼り甲斐ある?」
 そしてものすごく嬉しそうな優希君……いや男の人も自分の彼女からそう言われた嬉しいのか。
「……」
 さすがに面と向かって改めて言うのなんて恥ずかしすぎるに決まっているから、優希君の片腕ごと抱き込む行動でもって私の気持ちを伝える。
 何か好きな人を笑顔にするって言う事が、すごく嬉しい感じがする。もちろんどの人の笑顔も好きなんだけれど、特別な人の笑顔はなんか文字通り特別な気がする。
「嬉しいけどごめん。さすがにお菓子までは僕も作れないよ。これはクルミサブレ。少しでも愛美さんの頬が早く治ればと思って、今度は消炎効果のあるお菓子を選んでみたんだ。そしたら愛美さんも気軽に口に入れやすいかと思って……でも、その様子だと喜んでもらえて良かった」
 何が“ごめん”なんだか。いくら手作りじゃないって言っても消炎効果とか、私が食べ易いようにとかたくさん私への優しい想いを詰め込んだタッパの中身。
 その上、得意気な顔をして謝ったって、そんなの信じてあげないんだから。
 その代わり、私の事だけをアレコレ考えてくれる優希君に、さっきから口にすることが出来なかった私の気持ちを教えてあげる。
「ありがとぉ。優希君。そしてごめんね。今日ここに来る途中で色んな人から私の顔を見られてた気がして、この顔のせいで優希君に嫌な思いをさせてしまったらどうしようって思って……本当にごめんね」
 前回は私の顔にたくさん口付けをしてくれて、私自身の心もほかほかと温かくなったはずなのに。
「愛美さんの心の内を教えてくれてありがとう。そりゃ女の子からしたらどうしても顔が気になるのは分かるし、今回は僕が軽率だったかな。愛美さんが完治するまでしばらく間、会うのは控える?」
 なのに、私の弱気な気持ちのせいで優希君とすれ違いそうになってしまう。
「嫌っ! 私、優希君と会えないなんて嫌。優希君は私と会えなくて良いの?」
 私が原因で言わせてしまっていると分かってはいてもどうなるもんでもない。優希君が簡単にそう言えるのが嫌だった。
「そんな訳ないよ。元々今日は僕が愛美さんに会いたくて、たくさん触れたくて会ってもらったようなもんなのに――」
「――何で? 何で会ってもらったとか言うの? 私も優希君に会えるの楽しみにしてたよ。優希君に会ってあげようなんて思う訳ないよ」
「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど……ただ僕の愛美さんに触れたいって言う気持ちを分かって欲しくて」
 着る服だって、ネックレスだって出る直前まで悩んで、迷って……あれ。もしかして私、ネックレスつけ忘れているんじゃないのかな。
 と言う事は優希君と会った時、私は暗い顔をしていて優希君の顔をまともに見てもいなくて、服も普段着のままでリップもしていなくて……これじゃあ私の“大好き”が優希君に伝わる訳ない気がする。
 どうしよう……もう口にしてしまった後だけれど、優希君に伝わらない以上、ただ困らせるだけだ。
 とにかく今からでも、私の気持ちを分かって貰うためにネックレスだけでも着けるようにする。
「ごめん。言い過ぎた。でも私はいつだって優希君と会える事を楽しみにしているし、優希君とくっつくのは大好きな気持ちは本当だから」
 そう言ってネックレスを着けるだけでは足りないと思って、優希君の腕を抱き込んだ私の体の力を強くする。少しでも伝わるように、想いが届くように。
「僕の方もごめん。愛美さんの気持ちは十分分かってたはずなのに、“会ってもらう”なんて言い方は無かった」
 言いながら、せっかく腕を抱き込んだ体に力を入れたのに、それを解いた優希君が、あの日のデートの帰りのように、肩に腕を回してくれる。
 だから私は、抱き込んだ腕の気持ちをもっと分かりやすく伝えるために、優希君の腕に頭を乗せる。 (87話)
 これで何とか優希君との喧嘩は回避出来たとは思うけれど、これだけじゃあ、私の気が収まらない。
 やっぱり私だって優希君のに対する“大好き”をもっと伝えたい。
「わ! なにこれ! ただのクッキーかと思ったらレモンでも入っているの?」
 クルミサブレって聞いていたから、てっきりそのつもりをしていたのに、口の中にレモンの香りが広がるお菓子によってびっくりした私の気持ちが、少し隠れてしまう。
「違うよ。それはレモンマートルって言う消炎効果に期待出来るハーブ。そしてクッキーの中に入ってるんじゃなくて、その周りの花の匂いがサブレに移ったんだと思うよ」
 鼻を突き抜けるレモンの香りがスッキリする。
 ハーブだって聞いていなかったら、絶対にあの果物のレモンと勘違いしていた。本当にいつも思うけれど優希君は博識だ。
「……じゃあこの白いお花って食べられるの?」
 言われてみれば、タッパ全体からレモンの香りがしている気がする。
「食べられない事は無いけれど、そのままでは普通口に入れないよ。これはハーブティーとかにして飲むと、消炎効果の飲み物になるんだ。愛美さんって食べたり飲んだりするの、意外と好きだよね」
 そう言いながら、私にそのハーブティーを注いだカップを渡してくれる優希君。説明一つで慣れないながらも私の事を一生懸命想ってくれているのが伝わる。
 だから素直にお礼を口にしようとしたら、そんなの優希君が作ってくれるお弁当にハズレなんてないのだから仕方がないのに、やっぱり優希君が私に対してイジワルを口にする。
「……優希君のイジワル」
 それでも優希君のイジワルは好きな女の子、気になる女の子にしかしないんだから、レモンマートルとか言うハーブと一緒に、スッキリと優しく抜けていく。
 本当に。こんなにも私を想ってくれる優希君の機嫌を、損ねるような事を言わないといけないのがどうしようも無く辛い。
「……ねぇ、優希君。私の頬に口付けの印が出来る程の口付けをして欲しい。今日はそう言う約束だったよね」
 こんなにもたくさん私の事を考えてくれる優希君。だったら今、私が最大限見せることが出来る誠意はこれだと信じて、再び頬のガーゼを取り払ってしまう。
「……愛美さん? やっぱり何かあった?」
 だけれど喜んでくれると思った優希君は、不安そうに私の顔を覗き込むだけだ。
「私、本当は喧嘩なんてしたくないけれど、喧嘩をしたとしても優希君を感じていたいの」
 だから私は、優希君の目の前で唇を湿らせた上で、目を瞑る。

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