第156話 信頼の積み木 6 Aパート

文字数 6,606文字


 お母さんの言葉が頭に残って、お風呂に入らせてもらったにもかかわらず、ゆっくり出来た気も、リラックス出来た気も全くしない。
 それは慶にしても同じ事だ。この家で一番幼いのだからいつも誰かから言われるばかりな分、余計に先生の気持ちが分かったのかもしれない。
 その言動からは確かに分かりにくいけれど、根は素直な子ではあるのだ。
 今日はお母さんとも喋りたくなかった私は、部屋の鍵をかけて今日学校で起こった事を思い返そうと――したところで
「って、今度は優希君?」
 今日は一日中家にいたはずなのに、みんなが電話をして来てくれるから、学校を休んでいたとしても手に取るように、その雰囲気が伝わるような気がする。
『メッセージの返事がなくて、声が聞きたくなったから電話したんだけど、時間大丈夫?』
 その中で変わらない私への気持ちを見せ続けてくれる優希君。メッセージの事は完全に抜けていた。
『ありがとう優希君。私も優希君の声が聞けて嬉しいよ。お母さんと喧嘩しててメッセージに気付けなくてごめんね』
 そもそも大好きな人の声。いつだって聞きたいに決まっているし、他に用事があっても後回しにするのも吝かじゃない。
『ありがとう。それで愛美さんはいつから学校に来れそう?』
 優希君も同じ気持ちでいてくれるのは嬉しいけれど、昨日の今日なのに。
『今週はさすがに無理だって』
 だから今週もう一回くらいは、たとえ短い時間でも優希君とデートがしたい。だから塗り薬の厚塗りとかもしてはいるけれど、あんまり変わった感じはしない。
 唯一変わったのは、普通に食べたり喋ったりする分には痛みを感じなくなって来た事くらいかな。
『そっか……』
 見なくても優希君の両肩が下がってしまったのが分かるかのような落ち込んだ声。
『何かあったの?』
『あったと言えばあったけど……彩風さんと雪野さんがね……』
 ああ。さっきの彩風さんからの電話の事か。
『でも優希君が何とか、雪野さんとの時間は作ってくれてるんだよね』
『……作ってはいるけど、僕はもっと愛美さんと触れ合いたい。だからあのメッセージにあった保健の先生なんて考えたくもない』
 私が内心で溜息をついていると、まさかの一言に心臓が跳ねる。しかも私のお願いでもある穂高先生に対する答えも合わせて。
『……私と触れ合いたいって……雪野さんとくっついているの?』
『……正直くっついてる――って言うよりくっつかれてる。手はポケットに入れっぱなしにしてるから愛美さん以外とはあの時以来繋いでないけど、雪野さんは人恋しいんだと思う。それが分かるだけに無碍にも中々出来なくて……今日船倉さんに叱られた』 (※あの時:121話)
 囚われた考え方をしてはいけないと分かってはいても、“可愛くない後輩2人”が協力してくれたら、こうはならなかったのにと思ってしまう。
『私のワガママと無理をいつも聞いてくれてありがとう優希君。だったら雪野さんと触れるなって言うのは辞めるから、雪野さんの事、私が戻るまでの間お願いしていい? もちろん前みたいな口付けとか、雪野さんのその……に触れるとかは絶対駄目だよ。それから優希君の腕の中は私専用の場所なんだよね? 後、その手は私と繋ぐための手なんだよね? 今さっき優希君が言ってくれたんだもんね』
 本当は嫌だけれど、そんな場面すら想像するのも嫌だけれど、さっきの彩風さんの態度に全く連絡の来ない中条さん。
 そして今の正直な優希君の気持ち。更には優希君に叱ったと言う、今日何らかの目的で学校まで行っていた朱先輩からの音沙汰の無さ。いくら防衛本能を働かせたところで、私が不安に思う所はどこにもない。
『……そう言ってもらえるのは嬉しいけど、愛美さんのヤキモチは?』
 本当なら喜んでもらえるはずなのに、何でか受話器越しに不満が聞こえた気がする。
『何で? ちゃんと優希君の気持ち伝わっているし、雪野さんと手は繋いでないんだよね? それにあの保健の先生みたいな軽い感じの人は優希君、嫌いなんだよね?』
 それだけ信頼「関係」を積み上げられているんだから良い事のはずなのに。本当ならこの後に彩風さんの事をどうしようかって話をしたかったくらいなのに。
『もちろんそうだけど……愛美さんがヤキモチ焼くと可愛いのに……』
 ちょっと待って欲しい。何でここで“私が可愛い”って言う話になるのか。
『じゃあ、今の私は可愛くないの? 私を安心させてくれる優希君の事、大好きだよ』
 それはそれで嬉しいのかもしれないけれど、普段の私はやっぱり可愛くは映っていないのかな。
『そんな事ないよ。愛美さんの事はいつでも好きだし、愛美さんさえ気にしなかったら僕は今からでも愛美さんとデートしたいくらいは、愛美さんと会いたい、可愛いって思ってる』
 かと思ったら、私と同じデートしたいって気持ちを持ってくれてる優希君。やっぱり恋愛初心者の私には男の人の心――優希君の心を理解できる日は当分先になりそうだ。
『私と同じ気持ちでいてくれてありがとう。だから私は不安なく優希君に甘えられてるんだよ』
 そう。雪野さんの事に関しても、蒼ちゃんの事にしても。優希君に無理ばかっり言っている気がする。
『僕に甘えてくれてありがとう愛美さん。だからその分僕がもっと愛美さんに甘えてもらえるように頑張るから、倉本と二人とか倉本からの誘いとかには、くれぐれも乗らないで欲しい』
 それは昨日の事なのか、さっきの彩風さんとの会話に対する釘を刺されたのか。
『優希君と喧嘩するのなんて嫌だからもちろんなんだけれど……でも雪野さんの件は彩風さんにいくら言ってもどうにもならなさそうだから、何とか雪野さんの力にはなりたくて――今日の臨時の統括会で雪野さんはなんて言ってたの?』
『……今日も、もう一回“統括会を降りたい。愛美さんに暴力を振るったワタシの友達の責任を取りたい”って言ってたけど、さすがにそれは僕と倉本で止めたよ』
『……彩風さんは?』
『彩風さんは……辞めてもらえば良いって言ってたよ』
 電話口だけじゃなくて、雪野さん本人の前でも言ったのか。なんか私が注意する前より、態度がもっと頑なになっている気がする。
『彩風さんと何かあった?』
 私がため息をついたのを聞き咎めたのか、優希君が探りを入れてくれる。
『実はさっき彩風さんから電話があって、雪野さんの友達がって言って、雪野さんを目の敵みたいにしてしまっていて……私の心配をしてくれるのは嬉しいけれど、統括会としての意識や倉本君の話を全く聞いてくれていない彩風さんとちょっとね』
 断りを入れてから、さっきの電話のやり取りを包み隠さず話す。
『今日の統括会で僕も同じ事言ったのに……』
 受話器越しに聞こえる溜息。離れていても、何の示し合わせをしていなくても、同じような事を口に出来るのだから、気持ちの上では嬉しいけれど、どうにも状況が好転するようには思えない。
『だからさ。当面は優希君一人だと負担がかかり過ぎるから、中条さんともう一回話してみて欲しい』
『……分かった。じゃあ中条さんに声を掛けて何とか協力を取り付けるって言う方向で良いかな』
 私がヤキモチを焼かないからなのか、何となく不満そうな声に聞こえなくも無いけれど、私の気持ちだけは汲み取ってくれる。
 私のヤキモチや束縛が嬉しい、可愛いって言うのがよく分からないけれど、それでも優希君が私の気持ちまで汲み取ってくれるのなら、一旦それで良い事にする。
 男心の分からない私だけれど、優希君の男心だけを理解すればいいのだから、これからもたくさんある優希君との二人の時間。じっくりと理解していけば良いと思う事にする。
『ごめんね。優希君ばっかりに負担をかけてしまって。それから倉本君の事なんだけれど……出来れば雪野さんと三人で……とか出来……ないよね。さすがに』
 それはさておき、このままだと優希君も受験生なのに、一人負担を強いる事になるからとも思うけれど……
『彼女のお願いだから気にしなくても良いけど、倉本なんかに愛美さんを渡す気なんて僕にはないから。出来れば倉本の事を嫌いになって欲しいって思ってるくらいだから、倉本と昼ご飯を一緒にするのは多分無理』
 かと思ったら、優希君の口から今まで以上に倉本君に対する強い言葉が出て来る。
『それも今日の話?』
 だから私も驚く。
『今日の統括会の時、僕は色んな女の子と浮気ばっかりしてるんだから、愛美さんと別れろって言って来たよ。しかもその浮気相手が初学期の確か……月森さん。それに夏季講習の時の夕摘さん。そして今日は……船倉さんと浮気してるんだろって、小指を立てながら言って来たよ』
 ……全員私の友達を守って欲しくて、私からお願いした人ばかりだった。しかも極めつけは朱先輩。
 私にとっては本当の恩人であり、ナオさんって言う彼氏さんがいるのに、どれだけ失礼な事を口にしたら気が済むのか。
『そう言えば生活指導の先生もそうだけれど、今日倉本君も小指を立ててたんだよね。あれってどう言う意味なの?』
 あんまり良い感じはしなかったけれど。
『……それは主に男が使う表現で、俺の恋人、俺の女って意味だよ』
『それだけ?』
 今躊躇ったような雰囲気から、もっと嫌な想像もしていたのだけれど、優希君から返って来た答えは思ったより普通で少し驚く。
『それだけだけど、僕は愛美さんに対してそう言う表現はしたくないかな』
 そして私の聞きたかった事を先回りしてくれる優希君。
『どうして?』
『他の国では色々な捉えられ方をしてて、友達とか友情とか表現する国もあるけど、ごく潰し、役立たずなんて意味合いを持つ国もあって、僕はあんまり好きじゃないんだ……まぁ。立てた小指に糸を巻き付けたりするなら、話は別だけどね』
 それにしても優希君って、本当に博識だ。私が何を聞いてもスラスラと答えてくれる上に、最近では私よりも乙女な事を言う事が増えてきている気がする。
『でも、巻きつけた糸の先は、私でないと嫌だよ』
『ありがとう愛美さん。僕ももちろん同じ気持ちだから。それに小指を立てて愛美さんの事を表現するんじゃなくて、僕は好きな人の名前をちゃんと呼びたいんだ。確かに愛美さんは僕のものだけど、所有物じゃないからどうしてもその表現には抵抗があってね』 (→132話)
 優希君の話を聞いて、なんであの小指に嫌な気持ちが沸いたのか理解出来た。
 そして初めての口付けの時に言ってもらった言葉に対して、どうして全くの嫌悪感を抱かなかったのかも。
『ありがとう優希君。私、優希君を好きになって良かったよ』
 だから私の素直な気持ちが口を突いて出て来る。
『明日愛美さんに会いたい。だから明日の放課後、例の公園まで行くから。それじゃ優珠がそろそろお風呂から上がりそうだから切るね』 (※126話意識)
『あ。一つだけ。明日私とデートしてくれるのなら、他の女の子の匂いとかは嫌だからね』
 なんだかんだ言いながらも結局は優希君にくっついている雪野さん。優希君の気持ちもちゃんと伝わっているし、雪野さんのフォローを改めてお願いしているのも私だ。だけれど、デートの時だけはやっぱり私専用の優希君でいて欲しい。
『――っ! 分かった。じゃあ明日は誰にも近寄らないようにするから、楽しみにしてる!』
 自分の言いたい事だけを言ってしまって、そのまま通話を切る優希君。どおりで今日は優珠希ちゃんの邪魔が入らなかったわけだ……これも優珠希ちゃんをとても大切にしている優希君の前では絶対言えないけれど。
 その優希君が、本当に私との二人だけの秘め事にしようと頑張ってくれている気持ちが嬉しくて、その嬉しさを励みに、もう一頑張り、明日の優希君との放課後デートに備える。
 その優希君も楽しみにしていると言ってはくれたけれど、これじゃあ何を楽しみにしているのか分からない。私と会う事を楽しみにしてくれているのか、それとも――私は誰もいない部屋の中、一人唇を湿らせる。


 翌日9月8日(火曜日)。今日の午前中は病院に行く日だったりする。私が病院に行くための身支度をしていると、

宛元:優希君
本文:楽しみにしてる
題名:今日の僕はどの女の子の匂いもしないはずだから、愛美さんも遠慮なく愛美
   さん専用の僕の腕の中に入って来て欲しい。

宛元:優珠希ちゃん
本文:魔女の手先
題名:今度はお兄ちゃんに何を吹き込んだのよ! 今朝になって突然わたしに近寄
   りすらしなくなったじゃない。しかも理由を聞けば、またアンタとの約束っ
   てゆう始末じゃない。毎回毎回かっこいいお兄ちゃんで遊ぶのは辞めさいよ!

 立て続けに二通のメッセージが入って来る。

宛先:優希君
題名:寂しそうだよ
本文:大切な妹さんなんだから、優珠希ちゃんは大切にしてあげてね

宛先:優珠希ちゃん
題名:ごめんね
本文:私と優希君だけの話だから詳しくは言えないけれど、優珠希ちゃんは大切な
   妹さんなんだから、優しくしてあげてねってお願いしておいたよ。

 二人のメッセージから、優希君から私への想いの強さを垣間見た私は、二人に返信をしてから、改めて階下へと向かう。

「愛美。今日の病院はお母さんが送って行くから」
 お父さんを犠牲にしたって言うよりかは、口は災いの元。お父さんの暴言に対してお母さんが完膚なきまでに言いのめした末の我が家の自家用車。
「ありがとう」
「……」
 だけれど、そもそも昨日の先生に対するお母さんの態度に納得していない私は、短く返事をして一度洗面台へと向かう。

「愛美。昨日はごめんなさいね。お母さんもどこかで焦っていたのね。ちゃんと先生の話も愛美の話も……もちろん慶久の話にも耳を傾けるから許してもらえないかしらね」
 洗面台でシャキッとして戻ると、突然お母さんが謝ってくれるけれど、
「話を聞いてくれなかったから、寂しかっただけで別に怒っては無いけれど……先生は今もずっと落ち込んでいるよ」
 私があの学校を卒業するための保証と言うか、応援はしてくれているお母さん。
「そう……ありがとう。それから、先生からもう一度かかって来たら昨日の対応は謝るようにするわね」
 それと翌日の朝礼の時にも引きずっていたかもしれない巻本先生の性格を考えたら、それもありえない話じゃない。
 ただ同じ今の学校を卒業するなら、今、担任の先生が浮かべているであろう表情とか、お母さんが浮かべているような表情じゃなくて、もっとみんなが笑顔の方が良いに決まっている。ただそれだけの事だ。
「……何かあったの?」
 それにしても元気の無さそうなお母さんが気になる。
「いえね。お母さんもお父さん――愛美からしたらお爺ちゃんね――に、頭ごなしに決めつけられて大喧嘩したのにって昔の話を思い出してただけよ」
 大人になってしまったら、子供頃の気持ちをどうしても忘れてしまうのね。なんて言いながら項垂れるお母さん。
「だったらさ。次先生から掛かって来たら謝るんじゃなくて、私も先生の話を聞きたい。だからお母さんも一緒に聞いてよ」
 多分先生なら謝ると恐縮してしまうだろうし、そっちの方が嬉しいって思ってくれるはずだから。
「……分かったわ。ただこの事は折を見てお父さんにはお母さんから話すから、愛美からは何も言わなくて良いわよ」
 さすがにお父さんだけが知らない訳にはいかないでしょ。と言いながらお母さん的には悪いけれど……いや、お母さん的にはこれで良いのか。とにかくお父さんの事は水に流す気も、喋る気もないのだから、今はどっちだって構わない。
 一通り昨日の話の清算が済んだところで、やっと慶が起きて来る。
「おう、ねーちゃん」
「はいはい。昨日はありがとうね」
 昨日の今日だからか、お母さんに嫌な顔を浮かべた慶にお礼を口にすると、
「……別に? 当たり前の事を言っただけだし?」
 本当に優珠希ちゃんみたいにぶっきらぼうでも、返事だけは素直にする慶。
「はいはい。分かったから、ご飯食べたら気を付けて学校に行きなよ」
 ま。慶の態度に関しては私も人の事は言えないけれど。
「分かってるって。それよりもねーちゃんメシは?」
「慶が寝ている間に食べたよ。それじゃ部屋で勉強するから」
 だから私もそそくさと自分の部屋へと戻る。

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