第159話 邯鄲の夢 (単元まとめ) Aパート

文字数 9,764文字


 結局先生がいつ来るのか分からなかった私は、いつ来てもらってもすぐに出迎えられるようにと、あらかじめ外着に着替えた状態で机に向かう。
 もちろん先生を私の部屋に入れる事は無いと思うけれど、特に衣類、布類だけは間違っても先生の目に触れないようにしないといけない。
 だから部屋を念入りに整理して、掃除までは済ませてしまう。
 その上で先生が来たら、少しでも先生が言ってくれていた通り、両親が私を大切にしてくれているって伝える為に、机の上にネックレスも置いておく。もちろん先生が来てくれた時には身に着けるつもりで。

 一方昨日の優希君とのデートで活躍してくれた日傘は、私の部屋の中で広がってゆっくりとくつろいでもらっている……
 タッパだけは夜中にこっそりと洗ってカバンの中にしまってあるけれど。
 その中で集中力もそぞろに机に向かっていると、
「――!」
 鳴り出した固定電話にお母さんが応対する。
 だけれど、その電話は先生からでは無かったのか、特に何を呼ばれる事もなく時間だけが過ぎていく。
 どうしてか、先生の事で頭が一杯になった私は、そぞろだった集中力も完全に無くなってしまって、階下の物音ばかりが気になってしまう。今の姿をお母さんに見られたら確実にからかわれるに決まってる。
 ただ、先生の事だからひょっとしたら私の携帯にかけてくれるかもしれないと、ネックレスと並べて携帯も机の上に置いておく。

 携帯を視界に入る場所に置いたおかげで、集中力が戻った私が再び机に向かっていると、
「愛美! 先生が来て下さったわよ!」
「はーって……え?」
 私が返事をするのと同時に、玄関のドアの開け閉てする音が聞こえた上、聞きなれた男の人の声――先生が何かを喋っているのか、お母さんと談笑している声までする始末だ。
 一方私の方はそれどころじゃない。人前に出られる格好と言うだけでとてもじゃないけれど、先生の前に立つための準備は終わっていない。
 そう。髪型であるとか、服装の粗相であるとか、そう言った女の子ならではの諸々の準備が全く終わっていないのだ。
 それに何よりその……を済ませていない。万一先生の前で催したらどうしてくれるのか。
「愛美! もしかして寝てるの? 先生お見えになってるわよ! 今日は愛美が先生の話を聞きたいって言ったんでしょ」
「ちょっとお母さん! 寝ているわけ無いんだから先生の前で変な事言わないでよ! 今準備しているんだってば!」
 しかも寝ているって……先生の私に対するイメージが変わったらどうしてくれるのか。
 とにかく私を心配してくれていた先生をあまり待たせる訳にも行かないからと、と最低限ネックレスだけは付けてお母さんへの文句を一度お腹の中に溜め込んで、仕方なく一つの準備は諦めて洗面台だけに向かう事にする。

 洗面台の鏡で最低限だけれど、一通りの身だしなみのチェックを終えてから、改めてリビングの方に顔を出すと、お母さんと対面で座った先生が、
「岡本……久しぶりだな。こんな事、俺が言って良いのかどうか分からないけど思ったより元気そうで良かった」
 私の顔を嬉しそうに、そして時折私のネックレスの方に視線を送りながら安心したような表情をしてくれるけれど、
「先生……大丈夫ですか?」
 見るからにやつれているように見えてしまう。
「ああ……正直ちょっと疲れてるが、それは学校での業務の影響で、岡本がどうのとかは何も気に無しなくて良いぞ」
「先生。教室の中、そんなに大変なんですか?」
 実祝さんから聞いている話も含めて、先生の話を額面通りに受け取る訳にはいかない。理想の先生像を追いかけて、先生と言う夢まで掴み取った先生が、空席の多い今の教室に何も感じない訳が無いと思う。
 その証拠に先生の視線が中々私の顔まで上がらない。
「……大変って言うか、どうしても他の生徒の表情も硬くてな。もちろんこんな事になって何とも思わないクラスメイトもいるはずがないのは分かってはいるんだけどな」
 そう言って肩まで落としてしまう先生。
「でも、それは先生だけのせいじゃないですし、先生だって私の両親がキツイ言葉で失礼な事を言ったにもかかわらず、今日もこうやって私に話しをしてくれるために来てくれたんですよね?」
 立て続けに自分のクラスで色々な事が起こったこの先生が、自分だけが悪いって責めてしまうのはどうしても納得が行かない。先生も確かに大人かも知れないけれど、あの学校の中には先生以外にも大人がいるのだから、先生だけの責任にしてしまうのはおかしいと思う。
「ありがとうな。岡本。岡本にそう言ってもらえるだけで気持ちが軽くなる」
 つまり、先生の気持ちは相当滅入っているわけで。そんな先生だから私も純粋に心配と応援をしたくなってしまうのだ。
「……ところで愛美はどっちに座るの?」
 先生と時折外れる視線の中、それでもお互い視線を絡ませていると“悪い笑み”を浮かべたお母さんが変な聞き方をしてくる。
「どっちって……お母さんの横に決まっているじゃない」
 でないと先生の顔を見て喋る事も、説明を聞く事も出来ないのに。
「分かったわ。お母さんはどっちでも良いけど、今の愛美の答えで先生が落ち込んでるわよ」
 そう言って席を立つお母さん。
 そのお母さんは今の会話を聞いていなかったのか。教室内の空気と言うか、他のクラスメイトの事を気遣い過ぎて元気が無くなっているんじゃないのか。
「いえ……お……私はそんなつもりじゃなくてですね――」
 なのに先生も言葉の繋がらない返しをするから、余計に私の頭の上に“?”が浮かぶ。
「――先生はコーヒー、紅茶のどちらがよろしいですか?」
 しかも、私には意味が分からないまま先生とお母さんで会話が成立しているっぽいし。せめて私に分かるように説明くらいしてくれても良いのに、先生も私に説明してくる雰囲気を感じないし。
「……」
 だから私は、抗議の視線を先生に向けながらお母さんの腰かけていた隣に座らせてもらう。
「……岡本は何でも飲めるのか?」
 なのに、こう言う所は私の事もちゃんと気にしてくれるのだから、先生に対して拗ね続ける事も出来ない。
「はい。大丈夫ですよ」
 そして結局先生に笑顔で返事をすると、先生が私に照れ笑いを浮かべた後、
「それではコーヒーで」
 先生もどう言うつもりなのか、私の顔を嬉しそうに見ながら即答する――
「あらあら、青春ねぇ」
 ――だけならともかく、飲み物の用意をしていたはずのお母さんが、何故かこっちを見てどう考えても先生を煽っているような返事をする。
「ちょっとお母さん!」
 しかも先生も、まさかそう言われると思っていなかったのか、一番初めに先生を見た時よりも明らかに動きが固くなっている。にもかからわず、優希君が私に向けてくれるような視線を先生も向けて来る。
「愛美が何に目くじらを立てているかは分からないけど、優柔不断な先生がいるような学校に愛美を任せられる訳ないじゃない。先生には今後しっかりと愛美を守って頂かないといけないのよ」
 用意が終わったのか、“悪い笑み”を浮かべたお母さんが、配膳をしながら先生に向かって返事をするけれど、お母さんがこの顔をしている時は決して額面通りに受け取ったらダメだ。
「……岡本。砂糖とミルクを入れるのなら、このマドラーを使え」
 なのに、お母さんのこの笑顔の中身を知らない先生は、そのまま額面通りに受け取ったのか、私に弱い笑顔を向けながらとんでもない事を口にしてくる。
 いくら先生が口を付けていないからと言って、優希君以外の男の人が使った後なんて使えるわけがない。こんな場面お父さんが見たら絶対卒倒すると思う。
「――愛美。使うならお母さんのを使いなさい――先生。まさかとは思いますが、他の女生徒とも今みたいな事を平気でしてらっしゃるんですか?」
 先生から私の方へ差し出されたマドラーを、お母さんが横から冷たい声を出しながら取ってしまうけれど、そう言う話じゃないんじゃないのか。
「そんな訳ありません! 俺――私は他の生徒と飲食を共にしようなどと思ってはいません!」
 私のお母さんの意味不明……では無いけれど、私にもわかる程の煽りを入れられた先生が、私の顔とネックレス辺りに視線を交互に移しながらお母さんの質問に答える先生を見ていると、今日は一体何のために先生が来てくれたのか分からなくなってくる。
「もちろんです。それに、今の発言は聞きようによっては問題になるんじゃないですか?」
 お母さんが自分から言い出したくせに、なんて事を言うのか。先生も色々大変なんだから、少しくらい気遣っても良いんじゃないのか。
 そもそも、今回こう言う事があってお父さんもお母さんも学校側の対応に疑問を感じたから、転校させるとか、先生を追い返したりしていたんじゃないのか。
 なのに今日は全ての掌を返したかのようなお母さんの態度。今まで私を心配してくれていたのは何だったのかと、聞いてみたくなる。
 これじゃあ、本題に入る前に私が疲れ切ってしまいそうだ。
「確かにそうかも知れません……申し訳ございません」
 ただですら疲れている先生も、お母さんの思うままに頭を下げてしまっているし。
 しかも先生が使ったマドラーを何のためらいもなく使うお母さん。これじゃあますますお父さんが大変な事になってしまうんじゃないのか。なのに先生はお母さんには全く見向きもしないし。
「……」
 さすがに腹立ってきた私が、お母さんに半眼を送ると、
「それで、娘には色々電話で話されてたみたいですけど、今日はどんな話なんですか?」
 私の顔と言うか、ネックレスの辺りを見続けている先生にお母さんが本題を促す。
 これじゃあ昼頃に電話のあった実祝さんの話通り、全く先生の気持ちは隠れていないどころか、先生の態度で全て筒抜けになっているんじゃないのか。
 しかもそれを優希君の存在を知っているお母さんの前でこれだけ出してしまったらこの後、どうなってしまうのかすらも想像するのが嫌になってしまう。
「あ。ああ……そうだな。じゃあ早速だが、本題に入らせてもらうな」
 お母さんからも半眼を受けた先生が慌てたようにカバンの中から一冊のノートを取り出すけれど、何が早速なんだか。
 これだけお母さんの前で私への気持ちをさらけ出して、十分なくつろぎも得ておいて早速は無いんじゃないのか。


「それじゃあ岡本自身も早く知りたいだろうし、それに付随して防や月森、夕摘の事も説明するから、今回の事件の概要と向こう――加害者側――の話と、その処分の説明を一通りするな。途中岡本や親御さんの方にも言いたい事はあるとは思うけど、まずは一度聞いて欲しい。その後で今日はしっかり全ての質問に答える」
 だけれど、驚いた事に本題に切り替わった瞬間、やっぱり先生らしくその雰囲気と口調が一変する。
「……分かりました」
 私は背筋を伸ばして返事をするけれど、お母さんは初めて見る先生の姿に驚いたのか無言のままだ。
「それから、今回の話において女性にとっては不愉快極まりない話も一部入る旨だけは先に断っておくが大丈夫か?」
 恐らくは戸塚から蒼ちゃんへの性暴力の話だろう事は想像が付いたから、そのまま首肯する。
 何があっても私にとって、蒼ちゃんは断金の親友なのだ。
「親御様も大丈夫でしょうか」
「ええ。その辺りの判断は愛美に任せます。ただ、それは愛美以外の被害者のお話もあるかと思いますけど、私たちが伺っても大丈夫なんでしょうか」
「はい。それは大丈夫ですが、極めてプライバシーに関わる話ですので、他言だけは当事者に

行わないで下さい。
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【※いじめ防止対策推進法28条2項・3項及び付帯決議・文部科学4項】
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 一昨日、昨日とお母さんと喧嘩したのが良かったのか、お母さんが私たちの気持ちをちゃんと尊重してくれる。
「それじゃ、まずは概要から説明するな。まずは同じ教室内であった防に対する女子同志のいじめについては、概ね月森が言ってた通り、初学期の中間前くらいから始まった。その後、防の見下した態度が癪に障ったらしく程なくして、防に対する暴力へと発展した。それから暴力へと発展した時期と同じくして、例のサッカー部主将との性交渉も、合意の上で行われたとの事だ」
 先生の説明に歯を食いしばり、手をきつく握り込む。
「そして防への暴力へと発展したいじめだが、向こうの言い分として“いじめられる側にも問題があるはずなのに、一方的に責められるのは納得いかない”との事だ。そして時を同じくしてサッカー部主将の方だが、中間試験前の5月22日(金曜日)から女子同志の暴力を受け始めた上、翌週5月24日(日曜日)の休みの日に学校で性交渉をしたとの事だ」
 ――あり得ない。あの蒼ちゃんの性格でお付き合いを始めて、不安の中“身体までさらけ出す”なんて事、絶対にありえない。
 それにあの女子共らの言っている意味が分からない。あの蒼ちゃんがクラスの連中を見下すなんて事もあり得ないし、何でイジメられる側にも原因があるのか。
 それともあの女子たちは、放課後の昇降口の所で言い切っていた通り、浮気される方が悪いのと同じ理屈なんだろうか。
 結局あの時と同じように、いくら考えても意味が分からないままだ。
「それからはサッカー部主将として練習したかったのに、防の方から学校内にも関わらず求めて来たから仕方なく性交渉を――辞めとくか?」
 私の目に浮かんだ悔し涙を見て、一度先生が確認をしてくれるけれど、
「……大丈夫です。聞きます」
 続きを促す。そしてお母さんは言葉通り私の気持ちを最後まで尊重してくれるつもりなのか、この話が始まってから何一つ異論を挟むことなく耳を傾けてくれている。
「……そのサッカー部主将と防との性交渉を、女子連中が知ってから防に対する暴力がエスカレートしてる。具体的には5月28日(木曜日)の放課後、天城らのグループが直接防の体に暴力痕を残したとの事だ。ただ、その理由としてその女子グループの一人――天城はサッカー部主将――戸塚の事が好きだったらしい。その友達の男を横取りした防が悪い。イジメられる原因が防にある以上、向こう側に過失が無いと言うのが天城たち女子の言い分だ。その理由を盾に友達の男を盗ったって事で女子グループ達からは暴力、戸塚との性交渉が始まった」
 そこで一度区切りをつけた先生が、コーヒーを一口含んでから改めて続きを口にする。
「それと、この話は後で説明する処分内容にも直結するんだが……戸塚が……サッカー部男子を労うために……」
 かと思ったら、酷く言いにくい事なのか、先生が極端に言い淀む。
「先生……その話の続き、私には予想できましたけど、本当に愛美にも伝えるべき話ですか? 一つ間違えたら先生の事を許しませんよ」
 その先生を見たお母さんが、本当に先生の言おうとしている事が分かっているのか、さっきまでとは全く違う、この前の電話の時よりもさらに厳しい口調と温度で先生を問い質す。
「……正直迷っていますが、実際の所これが決め手でサッカー部の顧問と、サッカー部全体の処分が決まりました」
「……分かりました。そう言う事なら愛美の希望通り続けて下さい」
 先生の迷い、お母さんの酷く冷たい声、それからあの男の人の暴力の中でほとんどためらいなく戸塚の要望を実行しようとした蒼ちゃん。
 人知れず私の身体が震え出す……けれど、他の誰でもない蒼ちゃんの事だから、私が逃げる訳にはいかない。
 私は自分の身体に力を入れて、無理矢理震えを抑え込んで先生に向かって首肯する。
「……部室内において、サッカー部員が見てる前での性交渉も行ってたって言う話だ」
 薄々予想は付いたけれど、先生の口から出た言葉は現実離れした話でしかなった。本当に戸塚にとっては女の子は性の対象でしかなかったのかもしれない。現実離れし過ぎた話と、私たち女の子を人として見ていなかった戸塚って言うか、サッカー部男子たち。
 その非現実的すぎる二つの感情が私の中でせめぎ合っていて、今自分の中にある感情がどう言ったものなのか、自分でも分からなくなってしまっている。
「一方、天城の方はそれでも戸塚の事が諦められないって事で、防に八つ当たりをする一方、何とか自分で接近して想いをぶちまけたそうだ。ただ、天城の事は戸塚の好みじゃなかったらしく、初めの内は断ってたらしいが、途中からうっとおしくなったとかで、戸塚の方から二年の後輩を紹介したそうだ。
 ところが二年の後輩からも断られて、女としてのプライドまで傷付けられたのか、天城個人から防への暴力がエスカレートしたと聞いてる。それに気づいた月森が、何とか防への暴力を止めようとその事を戸塚に言ったらしい。その時、初めて防に手を出してた事を知った戸塚が天城に激昂して、その腹いせに性交渉を行った上に、慰謝料として金品まで要求した。ちなみにこの辺りから天城の成績も落ち始めてる」
 落ち着いて先生の話を聞いても、その背景がややこしすぎて全体を把握できない。
 ただ、今、分かるのは女生徒A改め天城さんの諦めきれない恋情に、全く関係の無かった蒼ちゃんがこれ以上ない形で巻き込まれ、性の搾取までされたんじゃないのか。
「そして天城の弱みと言うか、その気持ちを利用しようとした戸塚が、天城とよくつるむ女子たちを、性交渉の人質として、天城自身に金品の要求ないしは、防と仲が良い岡本を切り離して防を戸塚の元まで連れてくるように要求したとの事だ。そして要求した通りの金品ないしは、防を戸塚の元まで連れて来れた時は、天城自身をまたは防と性交渉を、要望に応えられなかった時や、防を連れて来れなかった時には天城以外の女子との性交渉を、天城自身の目の前で行ったと言う話だ。
 それによる仲間割れも起こったみたいだし、天城自身も何とか金品を用意する必要に迫れれたと言うのが、この前の月森の証言に加えて、サッカー部全体が関連した出来事だ。ちなみに少しでもその矛先を天城がよくつるむ女子たちから逸らすために、苦肉の策として月森や夕摘まで戸塚の元に差し出そうとした事もあるらしい」
 本当にみんなして、どこまで蒼ちゃんを利用し尽くしたら気が済むのだろう。そして自分勝手な恋情で蒼ちゃんをこれ以上ない方で巻き込んだ天城。
 その上、私はともかく実祝さんや咲夜さんまで巻き込もうとか……これで何を被害者ぶろうと言うのか。
 次、あの天城に会ったら、絶対蒼ちゃんと同じ状態にして病院送りにしてやろうと、心の中で固く誓う。
「……先生。いくつか良いですか?」
「ああ。さっきも言った通り、今日は全ての質問に答えるつもりで来てるから何でも良いぞ」
「先生は蒼ちゃんが知り合って、お付き合いを始めて間もない人に簡単に“身体をさらけ出す”と思っていますか?」
 まずは何よりも蒼ちゃんの名誉と、矜持の為にこれだけは一番に聞いておかないといけないと思い、涙声を厭わずに先生に確認する。
「……俺としての答えなら“ノー”だ。何て言うか……失礼承知の上で説明させてもらうなら、防みたいな大人しい子なら、まず男子と遊ばないし、そう言う女子ともつるまないだろ。それに俺と岡本で揉めた時も、しっかりと貞操観も見せてくれてたし、養護教諭にも腕一本見せなかったらしいじゃないか。そんな女子が、ここまで極端な行動を取るか?」
 その事で防からは一度、平手打ちも貰ってるからなと力なく笑う先生。
「それに、学校側としても、防に関しては月森の証言、日ごろの態度、岡本相手でも頑なに口にしなかった事も踏まえて、決してそう言う生徒では無いと結論付けてはいる。処分内容を説明する時にもう一度説明するが、先の理由から、あの戸塚との合意性交渉については、俺自身はもちろんの事、学校側も認める気はない」
 先生が言い切ってくれた事によって、蒼ちゃんも私も少しは救われた気にはなれる。
「次にあの天城……さんですが、先生はどう考えているんですか? まさかとは思いますが、私たちと同じ被害者だって認めてしまう事はないですよね」
 私からしたら勝手に渦中に飛び込んでおいて、蒼ちゃんに八つ当たりをした挙句、“あたし達を追い込んで楽しいのか”って詰め寄られたって、被害者面なんて間違ってもされたくない。
 もちろんそれだけだったら強制出来ない人の心。同情くらいは仕方なかったかもしれないけれど、蒼ちゃんを巻き込んで性の対象にさせた時点でどんな言い訳だってさせる気は無い。
 好きな男の人とお付き合いが出来るとか出来ないとか、そんな事で他人に当たられたってこっちは知った事じゃない。
「……正直言うと、俺は被害者だって思ってる。もちろん岡本からしたら防がされた事からして腹立ってるのは分かるが、男でも女でも好きな奴に断られたら辛いだろ。その上、人の恋情を利用して金品の要求するとか、身体を要求するとか、それは人として踏み越えたらダメな一線だろ。分かってても好きな奴からなら断り辛いだろ。そんな卑劣な奴に男女なんて関係ないだろ」
 滲み出る疲れた表情で、本当に寂しそうに私を見る先生。
 私と立場が違うから全く同じ意見にはならないのだろうけれど、先生の立場で本当に私たち生徒の事を考えてくれているのだけは伝わる。
「他に質問はないか?」
「じゃあもう一つだけ良いですか? 戸塚と蒼ちゃんの“そう言う事”を女子グループに教えたのは誰ですか?」
「……天城だ」
「――」
 これでも先生は、あの天城が被害者だって言うのか。もうなんて言うか言葉が出ない。
 本当はまだ聞きたい事が無かった訳じゃないけれど、これを聞いたところで蒼ちゃんの女としての尊厳が守られたかどうかが分かる訳でも無いし、咲夜さんの事に関してはまずは処分内容まで聞いてからになるだろうと先を促す。


「その前に。遅れましたが、今日は私に説明する機会を頂きありがとうございました。正直、大切な娘さんをお預け頂いてるにもかかわらず、特にこの大切な時期にこのような事件が起こるまで気付けなかった事、心よりお詫び申し上げます」
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【いじめ防止対策推進法・重大事象基本姿勢】
【いじめ防止対策推進法 第二十八条 全項 全号】
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 居住まいを正したかと思ったら唐突に頭を下げる先生。
「先生だけが悪いわけじゃないんですから、頭を下げないで下さい。それより話の続きを――」
「――違うんだ岡本。岡本がそう言ってくれるのは本当に嬉しい。だけどな、これは俺としての先生のけじめなんだ。生徒一人を預かるって言うのは本来それ程責任のある事なんだ。それに俺ですら、岡本と防が暴行を受けてケガをしたって聞いた時、本当に居ても立ってもいられなかったんだ。俺ですらこんな気持ちになったのに、ご両親ならどう思うのか。そんなの考えるまでもない事だと思うが、俺では計り知れないくらいの不安と心配はあったと思うんだ。だから俺がどうとか言う問題じゃなくて、これは大人として、子供を守る立場としての一つのけじめなんだ」
 本当なら、教室の事、学校の事、加圧側の事、被圧側の事、その全ての事が重なって、ごまかし切れない程の疲れや辛さがあるはずなのに、ここ一番は男の人の顔をする先生。だから周りが何て言おうが私は、先生を応援したくなるのだ。
「先生。愛美が良いって赦してますから、頭を上げて下さい」
 先生の気持ちがお母さんにも伝わったからか、一昨日の電話は一体何だったのかと言うくらい穏やかな声を掛けるお母さん。
「本当に申し訳ございませんでした。それと、ありがとうございます」
 私とお母さんの気持ちが届いたからか、顔を上げた先生の瞳が心なしか潤んでいた。

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