第10話:弥生さんの母が手術で助かる

文字数 2,043文字

 14時に如月さんと呼ばれ、病室へ向かい、如月弥生さんが、母に付き添って、手術室まで向かった。手術室の前で看護婦さんに交代した。そして、待つ事、約1時間、如月弥生さんの、お母さんが出てきた。意識はあり、小声で、如月弥生さんと話していた。

 その後、指定された病室へ行きますと言われ看護婦さんが、ストレッチャーを押して病室に入った。しばらくして看護婦さんが、もう大丈夫ですから、お帰りになっても結構ですと言った。そこで、お礼を言い退院は、いつですかと聞くと明日には退院できると言った。明日、昼頃、来ていただけますかと言われ了解した。こうして、病院を後にした。

 そして、彼女の家に帰って、今日支払った明細書いただけますかと聞かれ渡すと立て替えた費用が8250円だったが、1万円を渡してくれ、お釣りは結構ですと言った。そして、明日、できたらと言うと、わかりました有休をとって手伝いますと答えた。本当に申し訳ありませんと頭を下げた。今まで、一緒に仕事した仲じゃないですか、気にしないでくださいと言うと、彼女の目から涙がこぼれ、本当にありがとうと泣き崩れた。

 実は、不安で、しょうがなかったのですと打ち明けた。これからは、私がサポートしてあげますから、安心してくださいと言うと、本当にすみませんと言い抱きついた。この時、この娘さんと結婚したいと思うようになった。こうして如月弥生さんと米津俊彦は急接近していった。その後、梅雨に入り如月弥生さんが、お母さんの顔色が良くなり普通通りに歩けるようになりましたと報告を受けた。

 そこで半年後11月の手術日が決まったら、また、手伝いますよと答えると、本当に心強いわと言ってくれた。そして夏休み、如月弥生さんとお母さんを誘って富士高原に避暑に出かけた。ます東京から第三京浜で横浜へ行き、横浜新道から茅ケ崎を抜けて西湘バイパスに入り、眼前に霊峰富士を見ながら、小田原からターンパイクで芦ノ湖の関所前へ行き、カフェに入り景色を見ながらお茶した。

 その後、御殿場を抜けて山中湖を見て、富士吉田で吉田うどんの冷やしうどんを食べた。その後、河口湖の周辺のオルゴール博物館を見て15時頃、富士吉田インタから中央高速で、東京の彼女のマンションに17時前に帰った。お礼を言われ気分を良くして米津俊彦は、自宅へマンション帰って来た2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙投開票と最高裁判所裁判官国民審査が行われ投票率は69%であった。

 期日前投票においては、前回、第44回衆議院議員総選挙比502万人増の1398万人といずれも小選挙区比例代表並立制となった第41回衆議院議員総選挙以降で過去最高を記録した。民主党は、結党以来の大勝で、自由民主党、公明党は、結党以来の大敗を喫した。この結果、民主党が308議席を獲得し、議席占有率は64%に及んだ。

 単一政党が、獲得した議席・議席占有率としては現憲法下で行われている選挙としては過去最高となった。社会民主党や日本共産党は選挙前勢力を維持、国民新党は1議席減らした。一方、自民党は119議席を獲得したが、公示前議席より181減の惨敗、連立与党の公明党は公示前議席から10議席減の21議席となった。

 9月9日、第45回衆議院議員総選挙の結果を受けて民主党・社会民主党、国民新党の党首会談において新しく発足する政権に3党による連立政権を組むことで合意した。そして11月11日水曜日、如月弥生さんんもお母さんの手術日となり米津が、レンタカーを借りて彼女のマンション入り口から携帯電話で電話すると出てきて病院へ向かった。そして14時過ぎ詰まった血管を広げるステント手術を終えて病室に入り、明日、退院となった。

 翌日、木曜日、米津も有休休暇を取って昼過ぎにレンタカーを借りて病院へ行き、如月弥生さんの母をレンタカーに乗せて、自宅まで送った。お母さんは、本当に良くしていただきありがとうございますとお礼を言うので、お互い様ですと言い帰っていった。その後、12月23日水曜日、一足早いクリスマスパーティーを自宅でしたいので来てくださると如月弥生さんから言われ了解した。

 11月26日、東京外国為替市場においてアメリカ合衆国の低金利の金利政策の長期化予測が原因でドルが全面安の展開となって円相場が急騰した。そのため、リーマン・ショック以降の最高値である今年1月21日につけた1ドル、87円10銭を突破した。1995年7月以来、14年4カ月ぶりに一時、86円29銭まで上昇した。

 12月23日、14時過ぎに如月弥生さんのマンションを訪問すると大きな鶏の丸焼きとケーキとスパークリングワインが用意されていて乾杯をして、今年あった事などを話して夕飯までご馳走になって20時頃、米津は、自分のマンションに帰って来た。しかし、この話は、誰もの話さず内緒にいしていた。こうして、2009年12月29日、米津彦一と米津俊彦は、今年も九十九里の実家に帰った。
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