※EP 法螺吹き男と一千夜 2

文字数 3,782文字

その後男は領主のもとへ戻ると、読経(どきょう)は無事に済みましたと恥ずかしげもなく報告した。


「そうかご苦労だった。では改めておまえは打ち首だ」


うーん、だと思った!


この流れ、想定していたので、ショックを受けたりはしない。


男はここですかさず用意していたセリフを吐いた。


「領主様。お言葉ですが、済んだのは“今日の分”の読経(どきょう)でございます」

「今日の分だと?」

「この経は七日に渡って読み続ける必要があるのです。一日でも欠いたらご子息に不幸が見舞います」

「はああ!? 貴っ様ぬけぬけと! この大噓つきが!」

「嘘は申しておりません。言い忘れていただけです」


偉そうに言えたことではない。我ながらどうかと思う。どうかと思うが、ここまで来たらこちらのものだ。愛する息子のため。ここでやめれば不幸が見舞うと聞いてはやめられないだろう。たとえどんなに嘘だと疑っていようとも。


「………七日だな」

「はい。あと残り六日でございます」

「わかった。そこまで言うなら猶予をやろう」

「ただし、七日が経って、和邇(わに)の容体が少しも良くなっていないようなら、その場で貴様を手討ちにするぞ!いいな!」

「ええ!? お、お待ちください! この経は一朝一夕で効果が出るものでは……」

「ええい黙れ! それ以上は待たぬ! むしろ効果の程など関係ない。七日目の読経(どきょう)が終わった瞬間が、貴様の命も終わる時だ!」

「ひええ……」


しまった、嫌われすぎた。

これ以上何か言うのは悪手(あくしゅ)だと察し、男はすごすごと領主の前から逃げ去った。


しかしなんとか延命することができた。


猶予はあと6日。


欲を言えば十年単位で引っ張るつもりだったのだが、まあいい。十分だ。


残されたこの時間で、どうにかして和邇(わに)様を懐柔(かいじゅう)する。

 


・・・

 

「今日も来たんだ」


昨日と同じように柱に縛られ正座している男を見ると、少年はほんの少しだけ嬉しそうな顔をした。


「ありがとうございます。和邇(わに)様が言った通りにしてくださったおかげです」

「うん。ちゃんと父上に言ったよ。ありがたいお経を聞きましたって」

「恐縮です。本日もどうかそのように、ひとつ……」

「わかってる。それで昨日の続きだよね。李命(りめい)が戦う妖怪というのは、どういう相手なの?」

(うわばみ)の妖怪です」

「ウワバミ? それはグリズリーより強いの?」

「単純な力はグリズリー・アオカブトどころか並の熊にも及びません。ただしこいつらは一匹ではない。百蛇夜行(ひゃくだやこう)という百匹単位の群で活動します。牙に孟毒を持つ個体、体全体が高熱を発する個体、強酸の粘液を吐く個体……これを一度に相手しなくてはならない。熊や猪とは違って知性があり、連携しつつ攻撃してきます。そして妖怪の一番厄介なところはその生命力。胴体を切られたくらいでは死にません。きちんと頭を叩き潰さないと、すぐに再生してしまいます」

李命(りめい)はひとりで戦うの?」

「まあ、そこは今は置いておいて……心配するおじいさんとおばあさんをよそに、李命(りめい)は『任せてください』と、この妖怪退治を引き受けました。そして……」

 

空想の物語を読み上げるように語る者と、息を飲んでそれを聞く者。


その間に会話らしい会話はほとんどなかったが、それでも和邇(わに)という少年のことが少しだけわかった。


彼はどうも生まれた時から体が弱く、ほとんどの時間をこの部屋で過ごしてきたようだ。家の外に出たこともないのかもしれない。


もともと体が丈夫ではなかった母親は、産んだ息子が健康な子供でなかったこと、次の子供ができる気配もないこと、それが理由で、夫が情婦(じょうふ)のもとへ出かける頻度が増えても文句も言えないほどに家での立場が弱くなったことで、精神的に参ってしまったらしい。今では息子の顔を見るだけで心身に不調をきたすため、しばらく顔を合わせていないという。


幼いころはそんな母に代わって乳母が面倒を見てくれていたが、身の回りのことがそれなりに自分でできる年齢になると来なくなった。


今は別の世話係と医師と教育係、他は父が呼んだ祈祷師(きとうし)呪術師(じゅじゅつし)などがたまにやってくるだけ。ということだ。


彼はいつもひとりだった。


この殺風景な部屋で、娯楽もなく、他者と関わることもなく生きてきた少年とって、男のくだらない、誰も相手にしないような作り話でさえ、きっととても刺激的なものだった。


物語の主人公李命(りめい)が、野山を駆け回り、人で賑わう街へ進出し、未知の生き物との出会う。目まぐるしく移り変わる物語を夢中になって追いかけることは、自分の世界も少しだけ広がったような、そんなきらきらとした開放感を少年に与えた。そしてまさそれは男の狙い通りだった。


「さて、今宵(こよい)はここまでにしましょうか」


昨日と同じように扉が叩かれ、世界は一気に静寂の寝室に戻った。


名残惜しそうな少年の表情に確かな手ごたえを感じながら、二日目が終わった。

 

・・・

 

男は相変わらず邸宅では疎まれていた。家長に嫌われた上に、事実として胡散臭いのだから仕方がない。


それでも、邸内で一等狭くて日当たりの悪い部屋とはいえ個室を与えてもらえたのだから儲けものだ。おまけに飯まで出ると来ている。献立は冷えた粟飯(あわめし)と臭いすまし汁のみだが、正直町にいた頃はもっとひもじかったのでまったく文句はない。


日中は特にすることもないので、部屋で物語の今後の展開を考えることにしていた。

今まではその場の思い付きだけで話を作り出していたので、ストーリーの構成についてきちんと考えたことなどなかった。どころか長編の物語を創作すること自体が初めてだった。


和邇(わに)少年くらいの子供は夢中になるのも早いが飽きるのも早い。彼に見限られたら終わりなのだ。いかにして飽きさせずに物語を進めていくか……それが課題だった。


「うーん次々に襲い来る強敵とのバトルでどこまで引っ張れるかなあ~。群像劇にすれば嫌でも長編になるけど、子供向けだし主人公は固定の方がわかりやすいよな。よし、主人公が子供から青年に成長していくまでを描いた物語にしよう。となると適当なところで仲間を増やすか?」


「あとはマンネリ対策だよな。負けイベントからの修行編を挟むか……でも負けイベントとか若い子にはストレスかもしれないし……普通に最強で性格もいいヤツにしとくか……」


「そしたらタイプの違うヒロインを二人くらい投入して……いやいや、和邇(わに)様多分そういうの喜ぶタイプじゃないし、まだ早いかな年齢的に。でも百蛇夜行(ひゃくじゃやこう)のくだりとか、生贄(いけにえ)と共食いのくだりの食いつきがやたら良かったからな。このままちょっとダークな中二路線で攻めるのはいいかもしれない」


「そ、そういえば、これ最終的に鬼を倒す話なんだった。ラスボスのこと全然考えてなかったよ……鬼の王様で、とりあえず凶暴でおっかないヤツで……安直かな。まあいいや、どうせ出てくるの当分先だし……」



「あの薄汚い経読み男、部屋にこもってひとりでずっとぶつぶつ言ってる!」


「ほんとだ、気持ち悪!」

 


・・・

 

そんな努力の甲斐あって、7日目の読経(どきょう)が終わっても、男はまだ生きていた。生きたまま、久々に領主の前へと呼び出された。


緊張しつつ膝をつく。

生きるか死ぬか。やれる限りの根回しはしてきたが、それでも半々だ。この場で首を斬られるかもしれない可能性だって十分にあった。


「私は怒りを通り越してもはや呆れている。おまえは本当にどうしようもなく恥知らずで卑しい、人間のクズだ」


領主の声からは、ここへ来た初日やその次の日より、さらに深い侮蔑(ぶべつ)が感じられた。


和邇(わに)から聞いた。おまえは最初から経など読んでいなかったと。代わりにずっと低俗な作り話を聞かせていたそうじゃないか! どこまで私を馬鹿にすれば気が済むのだ?」


和邇(わに)は言っていたよ。自分が経は飽きたと言ったから、あの人は自分が楽しい話をしてくれたのだ。だからどうかあの人を責めないで欲しいと」


「わかるか? おまえをかばったのだよあの子は。優しい子なのだ。その優しさに付け込んで、小さな子供に嘘をつかせ自分を守ろうとしたのだ。どうだ、恥ずかしくはないのか?」


「……は、大変その、耳が痛く……」


「喋るな! どうせ口だけなのだろう! 心の中では私を出し抜き、和邇(わに)を利用し、しめしめとほくそ笑んでいるのだ! おまえのような奴を和邇(わに)に近づけたのが間違いだった。まったく……なのにどうして、あの子はおまえのような……」


「あ、あの、和爾(わに)様が何か……?」


男は白々しく小首を傾げた。内心ではこれは理想的な流れなのではと期待しながら。


「おまえに帰ってほしくないそうだ。これからもずっと寝入り端に話を聞かせて貰いたいと、そう言っていた」


「なんと、和爾(わに)様がそんなことを……」


忌々しげに舌打ちする領主をよそに、男は感激したように口元を押さえながら、その下で小さく安堵の息を吐いた。よかった、これでまた生きながらえそうだと。


「時に長良(ながら)。おまえ、文字は書けるらしいな」



そうして男は見事、罪人から領主の息子の教育係に昇格することになる。

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