第10章 雨の音楽室Ⅰ

文字数 6,559文字

 雨の音楽室 Ⅰ

 雨の日曜日。
 瑞希はいつものように西山家の音楽室にいた。
 九月といっても中旬だからまだ夏の猛暑の延長で蒸し暑い。
 高校三年生になって、クラスは内部進学のクラスと外部受験のクラスに別れた。附属の女子大はあるけれど、学年の半分くらいは他大学へ進むからだ。
 といっても、その区別はかなり曖昧なもので、カリキュラムは内部進学組とそんなに変わらない。模擬テストを何回かと、受験指導の時間を若干設けるといった程度のもので、大学に関する情報収集や対策などは生徒の大幅な裁量に任されている。
 高校生になっても異性との交遊はおろか一人で飲食店に入るのも禁止とか、生活指導はあんなにやかましいのに、進路指導となるといい加減なのはどうしてだろう。
 外部進学といっても、ほとんどは指定校推薦を選ぶので、本当に受験する生徒はそんなに多くはない。また、外部受験のクラスに属していても、三月上旬までは、推薦枠に空きがあれば内部進学に切り替えることも可能だし、逆に内部進学のクラスからも何人かは他大学を受験している。区別なんてあってないようなものなのだった。
 医学部を受験する史奈は、当然に外部受験クラスに入った。瑞希の場合はどちらでもよかったのだが、受験するのは事実だし、史奈と同じクラスになれるかもしれないので、受験組を選んだ。
 結局史奈は隣のクラスで、一緒にはなれなかった。考えてみれば、史奈は理系なので、違うクラスになるのは当然なのだ。
 その史奈も、函館から戻って当初はお互いに一緒に買い物したり、夜遅くまでおしゃべりしたりしていたが、最近はそんな時間もなくなってきた。
 都内の国立の医学部を第一志望、市内の光陵の医学部を第二志望に決め、現役合格を目指して週に三日塾に通い、毎晩遅くまで机に向かっている。光陵の方は偏差値的にほぼ合格確実、国立の方も順当に行けば合格できるレベルらしい。史奈の頭の良さは十分にわかっているので、そんなに驚かない。
 とはいえ、せっかく同じ屋根の下で暮らしているのに、あまりお喋りする時間もない。朝一緒に登校する十分ほどの時間が唯一いっしょにいられる時間だった。
 瑞希が受験する霞ヶ丘芸術大学音楽学部ピアノ科の試験は、専門科目と実技のウエイトが限りなく高く、一般科目の国語と英語の試験は付け足しのようなものなので、気にする必要はないと未玲先生も言っていた。
 学校の成績もそれほど悪くない瑞希は、力を入れて勉強することもないのだが、聞くところによると大学の英語のクラスは入試の点数順なのだという。つまり、あまりみっともない点数だと、それとわかってしまう。多少の見栄もあって、平均点以上の点数は取らなくてはと、学校の英語教科書をおさらいし、過去の問題集を買って勉強している。
 一時間もやると飽きてくるので、あとは楽典などの勉強を一時間くらい。
 史奈が机に向かって深夜まで勉強しているのをみると、自分の勉強は半分遊びのように思えて、申し訳ないと感じることもある。
 学校でも、ほかの生徒が真剣に難しい問題集などに取り組んだり、通っている塾の話などをしているのを聞いていると、小学校の教室に一人だけ紛れ込んだ幼稚園児のような気分になることがある。
 邪魔をしては悪いと、家でも史奈にはあまり声をかけないようにしている。佐倉家の音楽室は極力使わず、夜九時過ぎまで西山家で弾くようにした。
 西山家から佐倉家までは歩いて十分ちょっとの距離だが、夜はほとんど真っ暗になる公園を抜けていくので、四郎か涼子が車で送り迎えしてくれる。本当に申し訳ないと思うが、二人ともそんなことは気にしないで、練習に集中しなさい、と言ってくれる。

 そんなわけで、夕食も西山家で済ませるようになった。たいてい、四郎の話を聴くことになる。カナダに留学中の孫娘の代わりを、瑞希がつとめるようなものだ。
 話し好きの四郎は、美術関係の話をよくする。昔の画家の話だったり、日本の画壇の話だったり、若い頃イタリアへ留学した時の思い出話だったり、あまり美術関係には詳しくない彼女だが、結構楽しかった。
 その晩は、瑞希自身の話題になった。
「受験勉強大変だね。私も美術学校に入るのに、なんで英語なんかやらなきゃならないのかって思ったよ」
「はい」
「でも、演奏家になると、莉々みたいに海外ツアーなんかもあるだろうしね。英語も話せないと困るから」
「海外なんて行けるかなあ」
「それは瑞希ちゃんの考え次第だけどな。音楽でも美術でも最近は欧米に行く日本人は減ったらしいね。でも腕を磨くなら、国内だけじゃ限界があるんじゃないか」
「そうですよね」
 四郎の言うとおり、さらに上を目指すなら、国内にとどまっていてはいけないのだろう。というよりも、世界で通用するようなピアニストになるなら、瑞希くらいの歳にはすでに国内外のメジャーなコンクールに入賞しているのが普通といってもよい。
 さすがに自分の才能や実力がそこまでではない、という自覚があるので、世界へ出て行かなければ、という焦りなどは感じないのだが、この先の自分の進むべきはどういうところにあるのだろうか、という疑問や悩みは抱くようになった。
 ピアノはずっと続けていきたい。でもプロにならなければ、音楽中心の生活は送れない。それはわかっている。
 ただ、プロといっても様々で、国内外のコンサートやリサイタルを忙しく飛び回る演奏家もいるが、それはほんの一握りだ。
 理想をいえば、気心の知れた少人数の聴衆が集まるサロンのような場で弾きたいと思う。でもそのような場があったとしても、それだけでは多分生活できない。
 国内で地道に演奏活動を続けつつ、アンサンブルの一員として伴奏主体で活動するか、あるいは未玲先生のように大学教員に軸足を置くという道をめざすか。
 両親は大学院までは行かせてあげる、と言ってくれてはいるが、自分にとって一番現実的なのはどれだろうと、彼女なりに最近考えるようにはなっている。
 四郎が続けた。
「もちろん、機会が与えられなければ仕方がないが、去年受けたコンクールの優勝者には留学なんかはさせてくれないのかな」
「それはないです。記念のリサイタルを一度やらせていただいただけで」
「学生コンクールだから、そんなものかな。聖花じゃ、特に音楽関係の特別な制度もないだろうしね。大学入ってからかな」
「そうですね」
 難しいことは大学に入ってから考えよう。今は練習に専念することだ。
「百合香さんも、もうすぐ帰って来ますよね」
「ああ」
「百合香さん、やっぱり、学者をめざすんですか」
 一番訊いておきたかったことだった。
 百合香なら、まだまだプロの演奏家として活躍できる可能性はある。それだけの、生まれ持った才能があると思う。涼子先生や未玲先生の話が本当なら、例えば自分なんかが一日八時間練習しなければならないところを、彼女ならその半分もかからずにマスターできる。音楽の道を選ぼうとはしなかった彼女だが、戻るチャンスはあるのではないだろうか。
 四郎は、肯定とも否定ともつかない曖昧な表情をした。
「どうなんだろう。違う世界を見るために留学までしたんだからな。ただ、ヴァイオリンの練習は今でも欠かさずやっているようだし、未練というか、可能性をまだ持っておきたいのかと思うがね。涼子さんなんかは、必ず音楽に戻ってくるはずだって自信を持っているようだが、わしにはわからんね」
「そうなんだ」
「瑞希ちゃんは、百合香と一緒に演奏したいって言ってたね」
「はい」
 四年前の文化祭で彼女と共演したのが、演奏家を本格的にめざすことを決めたきっかけだった。もちろん、それまでも希望はあったのだが、まだ半分夢のようなものだった。それがあの日以来、確固とした目標になったのだ。百合香が演奏家になろうとなるまいと、一緒に演奏しようと約束はしている。
「そうだ、百合香が帰って来てからも音楽室は今までどおり使ってもらっていいからね」
「いいんですか。ありがとうございます。……うれしい」
 涼子の家の音楽室でも、もちろんいいのだが、やっぱりここの方が広くて音響もいいし、ピアノの音や弾き心地もやはり違う。何よりここのピアノに馴染んでしまった。
「そういえば、史奈ちゃんは元気かな。最近遊びに来ないから、勉強で忙しいんだろうな」
「そうですね、私も、平日は朝学校へ一緒に行く時くらいしか話さないです。ずっと勉強してるから。すごいと思います」
「瑞希ちゃんだって、ずっと練習してて、すごいと思うよ。まあ、勉強漬けや練習漬けができるのも若いうちだけだろうからね。今のうちだ」
 史奈といえば、この前の日曜日、夕食の後で珍しくテレビを一緒に観ているときだった。
「瑞希ちゃん、大学入っても、私と一緒に暮らすんでしょ」
 史奈の言葉はいつもさりげないが、いきなり重要なことを言ってくることがある。
 瑞希は一瞬、返事に窮した。
「でも悪いわ。練習は大学の練習室を使えるみたいだし」
 霞ヶ丘芸大は広い敷地を活かして設備的にはかなり恵まれていて、練習室の数も他の音大よりもずっと多く、取り合いや抽選になることは滅多にないのだと未玲先生が言っていた。
 瑞希の返事に、史奈は少し不満そうだった。
「悪くはないよ。ここにいた方が便利でしょう。学校にも近いし」
 両親と兄が住んでいるマンションの方が駅には近いが、今度いよいよ家を建てて引っ越すことが決まった。来年の春、大学入学の頃だ。埼玉の所沢の先の方で、駅からはそれほど遠くないものの、かすみケ丘に比べれば通学は時間がかかる。
「ここにいれば、うちの練習室や百合香さん家の音楽室も使えるんだよ」
「でも、今度百合香さんが帰ってきたら、もう使えないかもしれないし、涼子先生も夜はこの家で練習するかもしれないし」
「お母さんは、夜は瑞希ちゃんに使ってもらっていいって言ってるわ」
「え、そうなんだ」
 史奈は瑞希の顔を覗き込むように、
「私、大学に入っても、勉強で忙しいと思うけど、やっぱり瑞希ちゃんと一緒にいたいなあ」
「私もだけど……」
 瑞希も、大学や未玲先生の所へ行くのに便利というだけでなく、史奈といると心が落ち着くので、この家に居続けられたらいいかもしれない、と思い始めていた。
 翌日母親に言うと、あなたの音楽の勉強にとって都合がいいなら好きにしていい、ただし下宿代として食費とか、少しはこちらも負担させていただかないと、という返事だった。今は全くの居候状態で、涼子が、史奈がぜひ瑞希ちゃんにいてほしいというので、こちらから頼んで、いてもらっているのだから、と言って、受け取らないのだという。
 佐倉家も西山家ほどではないが、お金持ちなので、自分を住まわせるのに経済的な負担はそれほど感じないのだろう。
 母親の返事を史奈母子に伝えると、史奈はじゃあ、大学卒業までは一緒にいようね、と喜んだ。涼子も、瑞希ちゃんに史ちゃんの話し相手をしてもらえればうれしい、と笑顔で言うのだった。瑞希は内心、これでいいのかしら、と思ったものの、思う存分練習ができる環境をどうしても捨てることができなかった。

                     ***

 瑞希はいつもどおりハノンを自分流のやり方でひととおりさらったあと、今月レッスンを受ける予定のシューベルトのピアノソナタを弾きはじめた。
 部分練習中心の段階は終わって、今は楽章ごと通しで弾いている。
 第二十番と呼ばれるこのイ長調のソナタは、シューベルトが死の二か月前に書いた、最後の三曲のピアノソナタのうちの二番目の曲に当たる。
 ピアノといえばショパンやリストなどがレパートリーの中心になるのが普通で、瑞希も、ショパンは好きだし得意でもある。しかし、それらに比べて地味で、しかも少々弾きにくいシューベルトやシューマンの作品を、瑞希はより愛していた。
 シューベルトのこの曲はこれまであまりなじみがなかったが、規模が大きくて弾きごたえがあると思う。
 晩年の三曲の中では明るく温かみのある曲調といわれているが、むしろ感情の起伏の大きい曲のように感じられる。
 シューベルトは若くして梅毒に感染し、短い人生を、常に死を身近に感じて生きてきた。だからというわけではないが、彼の曲、特にピアノソナタには、美しさや、やさしさのなかにどこか虚無的な響きがつきまとう。この曲もやっぱりそうだ。
 第一楽章はゆったりとしたテンポで多彩な旋律が繰り広げられる。いろいろ細かい楽想が詰め込まれていて強弱の変化も大きく、全体を見通しよくまとめるのが難しい。
 いちばんの問題は次の嬰へ短調のアンダンティーノ。
 若者が独り月影の下を、あてもなく歩き続けるような情景を連想させる出だしは、歌曲集「冬の旅」の世界と相通ずるものがある。
 その第一部が終わり、カデンツァ風の中間部に移る。視点はいきなり、若者の心の内に分け入っていく。そこに吹き荒れるのは、激烈な感情の渦だ。孤独が極まって世界に亀裂が入り、その裂け目から奥底の知れな深淵が顔を覗かせる……。この部分を弾くたび、なんて恐ろしい音楽だろうと、胸が震える。
 そして本当に恐ろしいのは、他の明るい曲調の楽章の間に、このような絶望の叫びを挟まずにはいられなかった作曲者の心のうちなのだ。
 おかげで、続く軽やかなスケルツォの第三楽章と、歌曲のような伸びやかなテーマの終楽章のロンドは、幸福感と生命力に満ちているものの、もう第一楽章の気分には戻れなくなっている。そこにどんなに喜びや慰めがあっても、第二楽章をなかったことにすることはできない。
 曲全体の気分や感情を、どうまとめたらよいのか、瑞希にはまだ整理がつかない。
 未玲先生に、プロコフィエフのコンチェルトに加え、シューベルトの「さすらい人幻想曲」か「晩年の三つのソナタ」のどれか一曲をレッスンするといわれたとき、あまり聴いたことのなかったこの曲を選んだのだったが、こんなことなら「さすらい人」にすればよかったかな。技術的な難しさはあっちの方があるし。そんなことを思いつつ、練習に集中しようとする瑞希だったが、今度は別のイメージが浮かんできて、再び手が止まってしまった。
 北山翔太。「さすらい人」は彼が去年、自分の目の前で、通しで弾いていた。
 あれはいつだったろう。もう去年の夏休みの最後に近い頃だった。この音楽室で弾いたのだった。いつもの彼らしく完璧な演奏だった。
 彼だったらこのソナタをどう弾いただろう。おそらく瑞希の思いもよらない解釈でやすやすと弾いてしまったかもしれない。
 ただ、今思うと、あのときの「さすらい人」の演奏には違和感を感じたのも事実だった。それはたぶん、変奏曲の部分を、彼にしてはずいぶん感傷的に弾いたからだったろう。
 曲は全部続けて演奏されることになっているが、実際はソナタの各楽章のように、いくつかの部分に分けられる。二番目のパートが、同名の歌曲の一節をテーマとする変奏曲になっている。自作の歌曲の旋律をテーマに器楽曲を書くのは、ピアノ五重奏曲「鱒」をはじめ、シューベルトによくあるパターンだ。「さすらい人」という歌曲の旋律をテーマにした変奏曲は、最初は重々しくはじまるが、だんだんテンポを上げていく。
 その端々で、彼は何か感極まったように音を延ばしたりして、ちょっと不自然な弾き方だった。
 元の歌曲は、聴いたことがない。幸せを探していろんな土地をさまようが、それはどこにもみつけることができないという内容だと、翔太が教えてくれた。
 彼によれば、変奏曲の後半は明るく力強い感じになっているが、歌曲の歌詞の内容を踏まえると、それは心で想像した幻の幸福にすぎないのだという。ずいぶん悲しい内容ね、とそのとき彼に言ったような気がする。
 翔太は寂しく微笑んで何も答えなかった。

 何でそんなことが気になるのだろうか。
 やっぱり、先日、翔太の一周忌で北山家を訪れたことが深く心に刻まれてしまったからだろう。あれからもう一年が過ぎたのだ。
 一周忌といっても、もちろん、法事に招かれたわけではない。別の日曜日に、未玲先生と二人で北山家を一年ぶりに訪れたのだった。……
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