第4話

文字数 2,386文字

 日射しは容赦のない強さで、家々の軒や路上を焼き上げていた。活気に溢れ、真夜中さえ往来に人の行き来の絶えない港町であるカバナが、束の間の微睡みに落ちる午後一時。一日のうち最も気温の上昇するこの時間帯は、地元の人間は店も役場も閉めて昼寝をしてしまうので、街を歩いているのは勝手を知らない僅かばかりの旅行者たちだ。
 犬も猫も木陰を求めて眠るカバナの、その午後の街を、一人の少年が駆けていた。年の頃は十二・三か、小柄な体の、活発な印象を与える黒髪の少年だ。
「ラサファーン!」
 少年の声に、浜辺に立って、独特な節回しの口笛を吹いていたラサファーンは振り向き、手を振った。
「ここだよ、アルス。」
「ラサファーン、何をしてるの?」
「隼を呼んでいるんだ。」
 青い瞳の青年は優しく答える。
「隼を呼んでいるって…?そんな事、無理に決まって…、」
 アルスが言葉を続けようとした時、一羽の隼が飛んできて、二人の上空に大きく弧を描き出した。
「おいで。」
 驚いて目を丸くするアルスを楽しそうに見て、ラサファーンは布切れを巻きつけた左腕を差し出した。隼は巣に戻ってきたように、何のためらいもなくラサファーンの腕に舞い降りる。
「すごい!どうしてそんな事が出来るんだい?すごいよ、すごい!」
 すっかり興奮して、アルスは叫んだ。
「ラサファーンは、本当にただの吟遊詩人なのかい?こーんなすごい事を、平然とやって見せてさ。初めて会った時も、なんだか海豚と話してるみたいだったし…。」
 二日前、沖に潜って魚を獲っていたアルスは、何処からか流れてくる歌声に導かれて、岬の外れの一枚岩まで泳いでいった。そしてそこで、海豚たちに語りかけるように歌う、銀の髪の青年を見つけたのだ。
「ラサファーンの歌に、動物も聴き惚れちゃうのかなぁ?」
 なおも感心するアルスに、ラサファーンは微笑んで言った。
「歌う心さえ失わなければ、アルスは私よりもっと上手く歌えるようになるよ。」
「本当に?」
「ああ…、私には分かるんだ。」
 その言葉に瞳を輝かせた少年は、銀髪の青年が器用な手付きで隼の足に手紙を括り付けるのを、不思議そうに見た。
「それは?」
「ダーナで友人と落ち合うことになっていたんだ。でも少し遅れてしまうから、こうして知らせておくんだよ。」
「ふーん、伝書鳩はおいら知ってるけど…。友達も、やっぱり鳥寄せが出来るのかい?」
 アルスの言葉に、ラサファーンは微笑んだ。
「…鳥寄せはちょっと出来ないな。でも、彼はとても良いところをたくさん持った、信頼できる友人なんだ。」
 ラサファーンは腕の隼の頭を指でそっと撫で、何事か呟くと、彼を空へ放った。
「さ、行っておいで。頼んだよ。」
 一声鳴いて、隼は天高く舞いあがり、すぐに見えなくなる。
「おーい、気をつけるんだぞー!」
 それに手を振ったアルスは、傍らの吟遊詩人を振り返った。
「ラサファーン、ファバのじっちゃんが呼んでいるんだ。一緒にテントまで来てくれよ。」
「ああ、分かった。」
 頷いて、踵を返したラサファーンは、ふと浜に打ち上げられた流木の傍らに、見覚えのある少女の姿を見つけた。
「ダナ…?」
(もうすぐ会えるわね。待っているから、早く来て…。)
 にっこりと微笑むと、ダナの姿は溶けるようにかき消えた。
(ダナ…?)
「ラサファーン?」
「…なんでもない。行こう、アルス。」
 ラサファーンはアルスと並んで歩き始めた。強い日射しの照り返しの中、ラサファーンはたった今自分の前に現れたダナのことを考えていた。夢の中以外に彼女が現れるのは、これが初めてのことだった。数日前に訪れたパサナ村で、ラサファーンの眼はかつてその祭壇で行われた儀式の模様を幻の中に見出していたが、そこにダナの姿はなかった。
(もうすぐ会えると言った、一体…?)
「ねえ、ラサファーン。」
 アルスの明るい声が、ラサファーンを現実に引き戻した。
「なんだい?」
「ラサファーンは、今幾つなの?」
「あの、太陽がもう少し西に傾いたら、十八になるよ。」
「へえ、じゃあ、今日が誕生日なんだ。」
(…ラサファーン…、)
 不意に自分の名を呼ぶ声を聴き、ラサファーンは立ち止まった。五・六歩先を行ったアルスが、それに気付いて振り返る。
「どうしたんだい、ラサファーン。」
 アルスは、石像になってしまったかのようにじっと動かないラサファーンを、訝しげに見つめた。
「ラサファーン?どうしたんだよ、ラサファーン!」
 アルスの声が、酷く遠くに聞こえる。いや、アルスの声だけではない。周りの景色さえも、ぐらぐらと揺らいだかと思うと、急速にラサファーンの視界から遠ざかっていく。
(…ラサファーン、此処に来て、私たちの嘆きを聴いておくれ。私たちの祈りを感じ取ってくれ。……ラサファーン、美しい地球の夢を継ぐ、能力ある者よ…。)
 男の語りかける声は、直接ラサファーンの頭の中に響いてくる。
(精神感応者…!)
 これまで何度か、母親や従姉妹とテレパシーによる会話を交したことはあったが、これほど強い精神波を受けるのは、ラサファーンには初めてのことだった。
(一体、あなたは誰なのです?どうして、私を呼ぶのですか?)
(ラサファーン、お前に見せたいものがある…。)
 男が言うと、ラサファーンの眼の前に、太陽の光を浴びて、青く輝くひとつの惑星が現れた。ラサファーンは地球を、その眼下に見下ろしていたのだ。
(この惑星の記憶のひとつひとつを、残らずその眼で見てきて欲しい。…ラサファーン、選ばれし者、そなたの愛するものたちのために…。)
 何処か悲哀を帯びた男の言葉が終わった途端、ラサファーンは意識を地球に吸い込まれるように感じ、次の瞬間、凄まじい勢いで地表に落下しはじめた。
(ラサファーン…、次に会う…立派…な……で…ね…)
 遠退いていく意識の片隅で、ラサファーンは母親の声を聴いたような気がした。


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