第14話

文字数 2,085文字

 サライの市場は今日も、商売っ気のある商人と、新鮮な物を少しでも安く買おうとする買物客とでごったがえしていた。
「おばさん、これいくら?」
 色とりどりの果物の並ぷ店先で足を止め、少年は真っ赤に熟れた林檎を手に取った。
「2マールだよ。」
「食べるだろう?」
 彼は、少し先で立ち止まった連れの少年に尋ねた。幾分、年若の連れが、こっくり頷く。
「おばさん、ふたつもらうよ。小さいのでいいや。」
「じゃあ、おまけだ。3マールでいいよ。」
「ありがとう。」
 生き生きとした黒い瞳の、司愛らしい顔がニコッと微笑む。コインを手渡した少年は、袖口で林檎を拭くと、早速その果実に醤りついた。甘い香りが、少年の鼻を櫟る。
「美味しい。ルゥインも、ほら。」
「ありがとうございます、セイリーン様。」
「ルゥィン。また名前を間違えた。」
「あ…、」
 それは、こっそり屋敷を抜け出して来たセイリーンとルゥインの二人連れだった。結い上げた髪の毛を帽子の中に入れ込み、少年用の丈の短い胴着とマントで旅支度を整えたセイリーンは、--その美しさは人目を引いたが--何処から見ても活発な一人の少年そのものだった。
「すみません。セイ…ン兄さん。」
 ルゥインが謝るのに、
「ほら、もっと普通に喋って。僕達は、兄弟なんだから。」
 セイリーンは笑って見せた。
 二人はまず船で隣国のペルーシンに入り、そこから陸路を行くことに決めていた。目指すカバナまで、およそ七日前後といったところだろうか。
「…さてと。」
 波止場に着いた二人は早速、自分たちを運んでくれる船の物色に取り掛かった。連れ戻されるといけないので、なるべく小さな、それも客船以外の船の方が都合がいい。客船だと、家から連絡が入っている可能性がある。
「すみません。僕たちをミゼントまで乗せて行ってもらえませんか。」
「ミゼントまで?あんたらだけでかね?」
「ええ。お礼はします。」
「金があるなら、客船に乗ったらどうだね。」
 二人は何人かの船主と交渉したが、年若い旅人の様子を不審がり、引き受けてくれる船はなかなか見つからない。
「…仕方がない。時間はかかるけど、陸路を行くことにしようか、ルゥイン。」
 セイリーンがそう言った時、不意に背中で若々しい声が響いた。
「あんたら、何処まで行きたいんだ?よければ、乗っけてってやるぜ。」
 振り返り、声の主を見たセイリーンはハッとした。何故だか一瞬、そこに立っているのが、パテキオのように思えたのだ。
 しかし、そこにいたのは、黒髪に黒い目をした、長身の男だった。
(どうして、パテキオだと思ったんだろう?髪の色も、目の色も違うのに…。年齢も、パテキオよりずっと上だわ。)
 セイリーンはしげしげと男を見上げた。
(…全然、パテキオとは違うわ。昨日、あんなことがあったから、きっとパテキオのことが気にかかっていたのね。)
 セイリーンは頭の中からパテキオのことを締め出し、交渉に専念することにした。
「いいだろ、キムの親父。」
 男は、セイリーンのそんな思いも知らず、停泊した漁船の甲板に向かって声を張り上げる。
「そりゃ、俺は構わねえが…。」
 甲板にいた年配の船乗りが言うと、男は大きく手を叩いた。
「よし。で、お坊ちゃん方、一体何処まで行きたいんだ?」
「…ミゼントまで。」
「ミゼントか。船賃は、一人100マールでどうだ?」
「高いよ、70。」
「90。」
「80。」
「分かったよ。二人で150マールで、手を打とう。」
「ああ、いいよ。」
「よし、話は決まった。」
 男はニッと笑い、頑丈そうな大きな手を差し出した。
「俺はザオウだ。よろしくな。」
「…ちょ、ちょっと、セイン兄さん。」
 二人の交渉を側で聞いていたルゥインが慌てて、セイリーンの袖を引っ張る。
「ちょっと、待ってて下さい。」
 ルゥインは男にそう言うと、セイリーンを少し離れた倉庫の蔭に引っ張って行った。
「ああ、ドキドキしたわ。庶民は交渉の時、必ず値切るものなんでしょう。どうだった、ルゥイン、私の値切り方は?なかなかのものだったでしょう。」
 得意そうに言うセイリーンの耳元に、ルゥインは囁いた。
「止した方がいいですよ、セィリーン様。あの男、何だか危険な気がします。…もし、姫様の身に何かあれば…、」
「大丈夫よ、ルゥイン。自分の身は、自分で護れるわ。それに、この変装。まさか女だとは思わないでしょう。」
「男でも、姫様のようにお美しいと、十分危険ですよ。」
 ルゥインは口の中で小さく眩いたが、セイリーンにはその眩きは聞こえなかった。
「大丈夫よ、ルゥイン。巫女の私が危険を感じないんだから、平気。それに、ミゼントまでは、たった一日の船旅よ。乗せて行ってもらいましょう。」
 セイリーンは渋るルゥインを説き伏せ、男の船に近づいた。
「すみません、ミゼントまでお願いします。僕はセイン。こっちは、弟のルゥインです。よろしくお願いします。」
「ああ、俺たちに任せとけ。乗りな。」
 顎をしゃくって、二人に船に乗るよう言うと、男はクリートのロープを解いた。
こうして、一行は隣国ペルーシンの第一の港町ミゼントに向け、船を漕ぎだしたのだった。



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