第11話

文字数 2,655文字

 〈それは物だ。〉
 
 晴天の空の下、生い茂る草や緑の家を見ながら、川沿いの道を歩いて通い慣れた図書館に向かう。私はもう何十回も夏を経験しているのに、毎年毎年、秋と冬と春を終えて夏が来るときには、前の夏のことは忘れてしまう。今日の茹だる暑さやまぶしさ、背中を流れる汗を記憶に留めようと思いながら歩くが、やはり今年も日が短くなり過ごしやすい夜に体が慣れた頃にはいともたやすく忘れ、次の夏を迎えることになるのだろう。
 忘却というものが悪いものだとは思わない。これまで、忘れることによって救われたこともたくさんあると感じているが、なにぶん忘れてしまったことなので振り返ることは難しい。しかし、例えば痛みなどはどうだろうか。もし、すべての痛みをいつまでも克明に覚えていたら、きっと私は再びその痛みを味わうことを恐れて足が竦み、一歩も動けなくなってしまうだろう。
 それに私は痛みや辛さだけではなく、楽しいことも忘れてしまうし、消化すれば満腹感も忘れてしまう。私はそうやって忘れながら前へ進んでいるから、似た様なことを何度も何度も繰り返したとしても飽きたり絶望したりしないでいられるし、幸福はいつも新鮮なのだろう。
 商店街のはずれにある公園に着く。木に囲まれた公園の中に入ると、心なしか暑さが和らぐ。中央には広場があり、子供たちが走り回っている。その周りにはところどころに置かれたベンチや四阿、手入れの行き届いた花壇、池、砂場、幾つかの遊具などがあり、木陰に腰かけて読書をしているお年寄りや若い男の子、立ち話をしている母親たちがいる。広場の真ん中には、図書館の建物がある。そう大きくはない二階建ての白い建物で古くて飾り気はないが、ペンキの剥げた手すりや外壁を這う蔦には趣があるともいえる。
 公園にあるヤマボウシのごつごつとした実がほんのり色づき始めている。まだまだ夏が続いていると思いこんでいる私を遙かに上回る敏感さで、植物や虫はわずかな気候の変化を、機械の様な正確さでその生きる仕組みに反映させていく。
 私は鞄からデジタルカメラを取り出してヤマボウシの写真を撮り、また熟した頃に撮りに来たいと考える。ひとたびカメラを手に持つと、私の目は被写体を渇望しながら世界を見ることを始める。私はキバナコスモスを撮り、誰も遊んでいない遊具を撮り、色々な距離や角度から図書館を撮る。そして、汗を拭いながら図書館へと入る。
 自動扉の作動音や空調の音、蛍光灯の唸る音、そっと歩いても響く足音。図書館という場は静寂を欲しながら、実に様々な音に満ちている。入口の近くにある児童書の本棚の近くに、小さな椅子に腰掛けてなにかを熱心に読んでいる子供の姿が見える。私もあんなふうに、あの椅子に座っていたことを思い出す。
 小さい頃から私を知る司書のおじさんが私の方へ寄って来て「おはよう」と声をかけてくれたので、私はおはようございますと小さめの声で応える。
 「おとといは冷房が故障してひどいものだったよ。」
 おじさんは肩を竦める。私は、それは大変でしたねと言って、手に持っていたハンカチでおじさんを煽ぐ。
 「建物も設備も古いからなあ。あなたが小さかった頃と、ほとんど変わらないでしょ、ここ。」
 そうですねと言って、私は黄色い染みのある天井を見上げる。
 古いものには良さがある。その良さを生みだす上で最も難しい点は、五十年の歴史を作るには五十年を要するということではないかと思う。物理的な破壊を免れ、批判に耐え、与えられた役割を果たし続け、運に恵まれながら年月を積み重ねることは、容易いことではない。
 図書館というものそれ自体が大切な役割を果たしながら時間を積み重ねていく一方、そこに収められた一冊一冊の本もまた、その屋根の下で時間の試練を受け続けている。そして相応の価値を認められた本は、いつしか古典と呼ばれる。
 私はいつもの様に、文学が並ぶ棚に行く。譲り合わないとすれちがえないくらい狭い通路に立ち、予め当たりをつけてきた本を探し、手に取って、開いて字面を眺め、奥付を見る。
 私が次に繙く本を決めるときには、ある程度は勘に頼って選ぶ。テーマや手法から下調べをして何冊かの本を抽出するが、それらの表題を調べたあとには、文字通りに掌で目を覆ってその指の隙間から見える以上にはあらすじや書評というものを目に入れない様にして、極力自分の思いつきに任せて本を選ぶことにしている。なかなか、勘というものは侮れない。
 核心に触れすぎず、且つ好意的に端的にその作品の良さを伝えるあらすじというものは素晴らしいが、しかし、例えばある本について「深い余韻が胸に残る」と書かれていれば、私は初めのページを読む前から読んだ後の余韻を予感しながら読まざるを得なくなる。そういった状況から逃れるために、ある時期から私はあらすじから目を逸らし、表題やエピグラフが掲げられた小さな入口から入り、右も左もわからない地点から一文字目、最初の一文と進んでいく読み方を始めた。
 私は本を一冊借りて、図書館を出る。近くにあるカフェに寄り、サンドイッチと水出しコーヒーを注文する。時間をかけて抽出された水出しコーヒーには瑞々しい果実の風味があり、私はコーヒーノキの透き通る様な白さの花と、艶めく赤い果実を頭に描く。
 私は、借りてきた本に挟まれている色画用紙でできた栞の様な紙片を抜きとる。それは図書館が貸し出しのときに本に挟んで渡してくれるもので、この本の返却期限の日付が書いてある。本を借りるたびに感じることだが、誰かに返さなければならないものが手元にあるという状況は、少なからず私を落ち着かない気持ちにさせる。私は、人からなにかを借りたときにはいつだって、借りた瞬間から返すことばかりを考えている。
 カフェを出てから数軒の店に立ち寄って細々とした買い物を済ませ、いつもの川沿いの道を通って家へと帰る。
 デジタルカメラを起動して、さっき公園で撮った写真を見直し、整理する。まるで誰かが根気よく塗りつぶした様に濃い青空を背にした図書館を写した一枚は、小学生の頃に同じ場所に立ってあの図書館を見上げていた自分の目線と重なる。
 冒険の物語に心を躍らせ、寓話を読んで素直に諭され、私は、あの場所でたくさんの本に出合った。難しい漢字が並ぶ本や大きな百科事典を読める様になることに憧れた私は、今でも、次の一冊をきちんと読み終える未来の自分に期待をしている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み