第9話

文字数 3,400文字

 〈それには意味がない。〉
 
 私は三つの卵を割って丁寧に溶きほぐして塩と胡椒を加え、バターが少し溶けはじめたフライパンの中に流し入れる。かきまぜながら慎重に火入れをしている途中で、呼び鈴が鳴る。聞こえなかったことにしようかという考えが頭をよぎったが思い直し、火を止めて玄関へと走る。
 扉を開けて荷物を受け取る。宅配業者の男の子の、日焼けした首の後ろを見送る。
 ふと玄関の少し先に目を遣ると、葉書きくらいの大きさの一枚の紙が落ちている。紙の真ん中近くに縦書きで小さく、「ありがとう」と書いてある。その文字は赤いフェルトペンの様なものでゆっくりと力をこめて書かれているが、美しいとは言い難く、むしろその文字には拙さがある。私はそれを指でつまんで拾い上げる。裏にはなにも書いていない。
 小走りで台所に戻り、とりあえず拾った紙片を冷蔵庫の前扉に磁石を使って留める。青い炎の余熱は力強く、フライパンの上の卵には私の願った以上の熱が伝わっている。私は円く広がった卵を二つに折りたたみ、皿に移す。冷蔵庫の中から作り置きのラタトゥイユを取り出して、卵に添える。マグカップを用意し、ソリュブルコーヒーを湯で溶いたあと、牛乳を注いで混ぜる。食パンを軽く焼く。
 ひとたび食パンに焼き色をつければ、白くて柔らかな食パンには戻らない。コーヒー牛乳だって、コーヒーと牛乳には戻らない。私は、ふわふわのオムレツには引き返せなくなった卵料理を黙々と食べる。
 食べながら、拾ってきてしまった紙片を見る。これが誰に宛てられたものなのか、ただの落とし物なのかはわからないし、「ありがとう」という文字がなにを意味しているのかも全く見当がつかない。汚い言葉や身の危険を感じる言葉が書かれていたとしたら、私はそれを破いて捨てたり、場合によっては警察に相談したりできるが、ありがとうとなると処置に困る。しかし今のところは考えても仕方がないので、私は紙片から目を逸らし、朝食の時間を続ける。
 掃除や洗濯を済ませて少し本を読む内に正午が近づいてきたので、私はそうめんを茹でる。沸騰した湯の中で踊るそうめんを見ていると、夏の日に祖父母の家で食べた大皿に盛られたそうめんを思い出す。そこにはいつも黄色いみかんと緑色のきゅうりがあり、扇風機の風があり、蝉の声があった。
 私は短い影を引きずりながら駅へと歩き、電車に乗って野球場へと向かう。
 
 二人の友達と並んで座って傾斜の大きいスタンドの上部から白い小さな球に目を凝らしながら、何年かぶりに野球の試合を観戦する。
 双方に大量得点の場面はないものの、どの回にも走者が出ており、試合の状況は一点を争って二転三転している。ビールで顔を赤くしながら、「面白い試合だな」と友達は言う。もう一人の友達も私も同意する。
 九回の表が終わって同点という状況で、その裏の攻防が始まる。打者が打席に向かって歩きはじめるとその場に居合わせた何万人かの人間が一斉に気持ちを昂らせ、その観客席から起きた歓声と拍手が、巨大な水の塊として落下してきたかの様に鈍く大きく響く。青いユニフォームを着た走者が二人出て投手の打順が回ってきたところで、監督が審判に打者の交代を申し出ている様子が見える。場内に名が告げられ、細身の若い打者が颯爽と登場して右打席に入る。
 試合のあと、居酒屋に腰を落ち着けると、ほどなくしてビールが三つ運ばれてくる。
 「筋書きのないドラマってやつだな。」
 試合の興奮を引きずったまま、友達は言う。
 「筋書きがあったら試合見る必要ないだろ。」
 もう一人の友達がそう言って笑う。
 混みあった店の中では、そこかしこで騒々しく会話が交わされ、ひっきりなしに誰かが大きな声で笑う。
 「八回の表で、あの盗塁が成功してたらさ、どうなってたと思う?」
 「ツーアウトで二塁三塁の状況になったら、まあ、だいぶ局面は変わるな。」
 架空の試合展開を綿密に検討しはじめた二人を、私は眺める。
 現実の試合結果を材料にそれとはちがう物語を創ろうとしているとすると、この架空の試合の中では、実際に起きたことが最も起こりにくくなるのだろうなどと、私は酔った頭でぼんやりと考える。脂っこい肉と生野菜を交互に食べながら話に耳を傾け、時々はその試合に口を挟み、勝敗の行方に深く関与する。
 ある戦争における戦勝国と敗戦国が逆だったら、ある年に行われた大統領選挙の結果がちがっていたらなどと、過去のある時点から史実とはちがう歴史を辿っていく小説を幾つか思い出す。それらの小説は想像の世界で読み手を楽しませ、同時に、史実の時間軸に沿って進み続けている読み手に問いを投げかける。その様に過去を振り返ることから始まる物語は、私の本棚にも幾つかある。
 「ここはどう思う?」
 そう問われた私は、その選手は調子が良さそうだったから一二遊間への安打だと思うと答えると、二人は「そうだな」と納得する。居酒屋の名が印刷された紙のコースターに、私が創った安打が記録される。彼らはこれまでに起きたことから導きだされる確からしさを重んじ、この虚構の試合に本当らしさを与えようと努める。
 終わってみれば、得点経過こそちがうが、勝敗は現実と同じになっている。「結局そうなるのか」と二人は満足げに笑う。私も笑う。
 楽しかったよ、ありがとうと握手をし、肩を叩き、私たちは別れる。キャッチボールをして、緑色や橙色のサイダーを飲み、自転車で走り回り、膝や肘を擦りむきながら遊び回った夏休みと大して変わらない。
 
 私がいないあいだに昼間の熱を溜めこんだ家へと戻ると、まずは窓を開けて風の流れを作り、深々とソファに体を預けてテレビを眺める。画面の中では今日行われた野球の試合の映像が流れる。九回の攻防の映像を流しながらナレーションは「この一球が試合を決めました」と言っていたが、私は、そんなことはないだろうとテレビに話しかける。
 ぬるめの風呂から上がったあと、冷蔵庫に飲み物を取りに行く。扉に貼ってある紙片の赤い文字にちらっと目を遣るが、私はそれを無視してテレビの前のソファに戻る。
 試しに私は今日の試合を振り返り、スポーツニュースの映像を模して頭の中に再構成してみるが、途中からはこれは事実には沿っているが、実際の試合とはちがうものの様な気がしてくる。しかし私は、試合の終了を絶頂とする一つの作品に仕上げていくその作業にしばし没頭する。私はその仕上がりに満足するが、私以外の人にどう映るのだろうかと考える。
 寝台に寝転がり、枕元にあった本をめくる。その本の序文は、これは事実を基にした創作物語であると読み手へ語りかける。
 体は暑さとアルコールで火照っていてすぐには寝つけそうにないので、そのまま本編を読み進める。ところどころ読み飛ばしながらページを進めていくと、不意に「ノブレス・オブリージュ」という小さな文字が目に留まる。手元の文庫本の見開きの中にはおよそ千二百の文字があり、そこには幾つもの単語があり、カギや句読点があり、複数回登場する主語や動詞があるが、「ノブレス・オブリージュ」という言葉だけが目に飛びこむ。
 少し前に私がテレビで耳にしたこの言葉が、外出先のカフェの店名に、そして再び私の部屋に現出する。私は、同じ言葉につきまとわれ、追い回されていると考える。
 しかし、私はわかっている。ノブレス・オブリージュという言葉が私を追いかけているのではない。私が、ノブレス・オブリージュに追われている私を創っている。その方法はさほど難しくない。自分の周囲を埋め尽くす言葉の中から恣意的に必要な言葉だけを取り出し、類推といった類の力を少し注げばいい。そういうことはきっと、偉い大人だって幼い子供だって上手にやっている。
 部屋の灯りを消し、白く光るデジタル時計に目を遣る。
 デジタル時計を見たら好きな人の誕生日と同じ数字を表示していたので、なにか好い一日を予感したという類の話を思い出す。時計に表示されているのは時刻を表す数字に過ぎないが、その数字に自分との関連性を見出し、そこに物語を与えれば、時刻を啓示と呼ばれるもの変えることができる。私は1:12という数字を見て、時刻以外の意味を見出さないまま、ぎゅっと目を閉じる。
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