第14話

文字数 619文字

10時48分。
ブォンとエレベーターの扉が開く音がした。
慌てて立ち上がる。
わずかに湿った空気を連れて、笹平優生が目の前に現れた。
左手にコンビニのビニール袋を提げている。
銀行に行った後、万札をわざわざコンビニで崩してきてくれたのだなと気づいた。
気遣いのできる素敵な人だと思った。
「すみません、戻るのが遅くなってしまって」
「いえ、わざわざありがとうございます」
銀色のトレイに細い指で一枚ずつ紙幣と硬貨を乗せていく。
トレイには過不足なく綺麗にお金が並べられた。
「ちょうど、お預かりします」
処方箋や領収書、診察券を揃えて渡す。
処方箋に記載されている点眼薬の名前を見る限り、重症ではなかったようだ。
「ありがとうございました!」
彼がマスクをしていてもわかるぐらいの笑顔で挨拶をし、ぺこりとお辞儀をした。
応援メッセージを言うなら今だ!
このチャンスしかもうない!

…………

…………

一瞬頭によぎったが、私は去りゆく背中に「…お大事にどうぞ」としか言えなかった。

…そうだ、これで良かったのだ。
私とは別の世界にいる人だもの。
少しでも話せただけで、もうそれだけで十分。
欲張りすぎてはいけない。
早く症状がよくなりますように。
心からそう思った。

雲は残っているが、うっすら光が差し込みそうな空模様に変わりつつある。
雨とともに現れた王子様は雨が止んだら行ってしまう。
それもまたドラマチックだな。

11時。
エレベーターの扉が開いた。
また平凡な日常が始まる。
私は深呼吸を一つした。
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