第11話 壊れたiMac

文字数 2,626文字

 現場には城山さんという新人の女性刑事も同行した。所謂パトカーではなかったけれど、生まれて初めての警察車両に僕は緊張した。
 マンションに着くと、管理人が訝しげに僕を見ている。
「この人はストーカーじゃありませんから」と、警察手帳を見せながら坂井刑事が言ってくれたので、ほっとした。
 僕は管理人と二人の刑事の後についてエレベーターで9階に上がった。
 マスターキーでドアロックが解除され、玄関の扉が開くと、リビングの奥で立ち上がる愛の姿が見えた。3人の後ろからドアを潜ると、僕の姿を見るなり愛が叫ぶ。
「遅いよ!」
 愛はいきなり僕の胸に飛び込んで来た。
「もっと早く来てくれると思ってたのに。ほんとに悠長なんだから」
 2人の刑事と管理人の目の前で、僕は戸惑いながら愛を抱き止めた。
「でも、来てくれてありがとう。悠が無事で良かった」と言いながら、愛はぽろぽろと涙を零した。

 床には引きちぎられた電話ケーブルと叩き潰されたWEBカメラ。CRT(ブラウン管)を割られたiMacが転がっている。
 愛が落ち着くのを待って、坂井刑事は彼女に状況説明を求めた。僕たち3人はダイニングテーブルを囲み、愛が少しずつ話し始めた。

「1年前まで私はここで兄と暮らしていました。先週の金曜日、私が福岡から帰ると、兄はここに座って私を待っていました」
 そこまで話すと、愛は僕にたずねる。
「刑事さんは兄の正体を知ってるの?」
「いや、まだ」と僕が言うと、愛は頷いた。
「正体って?」と坂井刑事が不審そうな顔をする。
「それはあとでお話しします。すぐには理解して頂けないと思いますので」と愛は仕切り直した。
「久しぶりに兄と二人で食事をして、私が悠、ここにいる悠さんにメールを送ろうとすると、兄は私の手からスマートフォンを取り上げました。そして後ろに回り込むと、いきなり私の口と鼻を布で覆いました。薬品の匂いがしたあと私は気を失い、気づくとソファの上で手足を縛られていました」
 愛は、リビングの奥にある、たぶんさっきまで座っていた大きめの革のソファを指さした。
「私が気を失っている間に、兄は通信機器を全て取り外していました。電話機はもちろん、PCやテレビやインターホンも全部外して持っていったんです。もちろん、スマートフォンや貴重品が入った私のバッグも彼が持ち去りました。立ち去り際に『僕を恨まないでくれ。愛の安全のためにこうするんだ』と彼は言いました」
「お兄さんは、犯罪グループから愛さんを護るためにそうしたっていうことですか?」
「いいえ。兄は単独犯です」
「そうですか……。それで、彼にどうやって連絡を?」と、僕のほうをちらっと見ながら坂井刑事は愛にたずねた。
「手足が解け易いように縛ってくれたみたいで、兄が立ち去ったあと、ロープはすぐに外れました。でも、玄関のドアのキーは彼が細工してしまって全く開かないし、ベランダのアルミサッシも全て外から固定されていました」
「監禁ということになりますよね?」とついつい口を挟んでしまった僕を制止するように、坂井刑事は愛に話を促す。
「どうぞ、先を続けて」
「幸い、食べ物や飲み物は充分にありましたけど、外に出ることも助けを呼ぶことも出来なかったから、途方に暮れました。ただ、電話回線だけは生きてるんじゃないかって気づいたんです。納戸を探したら、思った通り古いiMacがありました」
 愛は床に転がっているインディゴブルーのiMacを指さした。
「子供の頃、父に連れられて初めてここに来たとき、このiMacを電話回線でインターネットに繋ぎながら、父は私に教えてくれました。『研究室は専用線があったから困らなかったけど、家にいるときはこれでインターネットに繋いだんだよ。愛が生まれるずっと前のことだけど、まだ繋がるかな? おっ、繋がった、繋がった』って言いながら、父は嬉しそうに自分のWEBサイトを表示させてました。『いやぁ、それにしても遅いな』って笑いながら」と言うと、愛は少し微笑んだ。
「そのことを思い出したんです。iMacのアクセサリーの箱に入っていた電話ケーブルを壁のモジュラージャックに刺して、通信ソフトを起動したら、驚いたことに繋がったんです。設定は全部そのままになっていました。プロバイダーの電話番号が変わっていなかったことは意外でしたけど」
「なるほど」と坂井刑事は、手帳に一所懸命メモしている。
「アナログ回線でインターネットに繋がることを兄は知りません。まだ彼が生まれる前のことだし、それほど重要な情報とは考えていないはずなので。だから、LANケーブルやルーターは全部持って行ったのに、このiMacだけはそのまま残して行ったんだと思います。それで、私は悠さんにメールしました。古いWEBカメラも納戸にあったので、それも繋いで自分を見つけて貰うために写真画像を添付しました。父が昔やっていたことの見よう見まねです」
「それで悠くん、失礼、杉本さんはそのメールで愛さんが監禁されていることを知ったわけですね?」と坂井刑事に問われて、僕は頷いた。
「でも、メールを送信したことが兄に見つかってしまって、この有様です。それからはメールも出来なくなって……」
 愛は床に転がったiMacの残骸を見つめながら溜息をついた。

 僕が床に散らばったiMacとWEBカメラを片付けようと立ち上がったら、坂井刑事から触らないよう注意を受けた。

「状況はよくわかりました」と言いながら、坂井刑事は愛にたずねる。
「第三者が関与してないとすると、お兄さんが愛さんを監禁した理由に心当たりはありますか?」
「兄が私を傷つけることはありません。私を護ることを第一優先にしているから。悠さんへのメールにも書きましたが、彼が暴走したきっかけは悠さんへの嫉妬心だと思います。彼は人を殺すことは出来ませんが、どうやって相手を追い詰めれば、自滅させられるかはよくわかっています」
「なるほど。それは二人とも大変でしたね」と、坂井刑事は僕の顔を見てから、愛をねぎらった。
「でも、話してくれてありがとう。もしかすると、お兄さんは心の病なのかな?」
「いいえ。兄はアンドロイドなんです」と愛は正直に告げた。
 鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、坂井刑事は愛と僕の顔を交互に眺めている。僕たちは顔を見合わせて必死に堪えていたが、とうとう我慢できなくなって同時に吹き出した。
「すみません」
「ごめんなさい。でも、いずれ判ります」
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登場人物紹介

Yu=杉本悠

東京工業大学の大学院博士課程でロボット工学を専攻する院生

趣味はギター。彼女いない歴一年のつもりだったが、もしかしたらずっといなかったのか?

Ai=森谷愛

英語と日本語を完璧にこなすバリンガル

九州大学共創学部2年に在学中で、父親はロボット工学の森谷幸弘、母親はイギリス人と言うが真相は?

森谷優

愛の兄で、悠と同い年という

AIを駆使し、高度な技術を持つミステリアスな存在


森谷幸弘

愛と悠の父親で、イギリス在住のロボット工学の権威

アンドロイドやヒューマノイドを超え、人と見分けがつかないヒューマノドロイドを開発していると言われる

坂井刑事

警視庁目黒警察署に勤務する刑事

城山刑事

警視庁目黒警察署の新人刑事

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