第12話 Ai needs Yu

文字数 3,563文字

 ずっと玄関のところで見張り役をしていた城山刑事が声を上げた。
「今、署から連絡がありました。愛さんのお父様と名乗る方が、お嬢さんと連絡が取れないとのことで、今朝成田空港から110番通報されたそうです。その後、容疑者の森谷優を伴って『自首したい』と本庁に来られ、事情聴取を受けています。ただ、その容疑者がアンドロイドだと言うのですが……」
「わかった。折り返しこちらからかけ直すから」と言うと、坂井刑事は立ち上がりざま、愛に頭を下げた。
「どうやら本当の話のようですね。疑って申し訳ない」

 持ち場を交代した城山刑事に愛が話し始めた。
「こういうケースって刑事事件になり得るんですか? 監禁の容疑者は森谷幸弘の所有物であるアンドロイド。監禁に使用されたのは森谷幸弘の自宅。そして監禁されたのは未成年の森谷の実子……私のことです。器物損壊の件では、容疑者は森谷の所有物であるアンドロイド。損壊を受けたのも森谷の所有物であるマンションの設備。アンドロイドと所有者の関係は犬と飼い主の関係に近いように思うんですけれど」
 新米の刑事には厳しい質問だな——と思いながら僕は聞いていた。予想どおり城山刑事は困った顔をしながらも、生真面目に返答した。
「本件の場合はこれから捜査するので、今はなんとも言えません。ただ、犬に例えるのは適切ではないと思います。そもそも飼い犬が飼い主の家族を監禁することは有り得ませんから」
 あまりに真顔で言うので僕は吹き出しそうになった。この人はきっと正義感の強い真っ直ぐな人だろうな——とは思ったが、愛と言い争いになっても困るので、口を挟むことにした。
「自動運転の自家用車で家族を轢いてしまった人の裁判がまだ続いているようですけど、それよりも面倒なことになりそうですね。ただ、被害者はこうして無傷で無事保護された訳ですから……」

 絶妙なタイミングで、坂井刑事が手に携帯電話を持ったまま戻ってきた。
「お父様と繋がっています。要件が終わったらそのまま切って頂いても大丈夫ですので、どうぞお話しください」
 愛は立ち上がると、キッチンの方に移動して会話を始めた。少し激しくやり合っていたようだったが、深く溜息を漏らしながら戻ってきた。

 愛が「もうここにはいたくない。悠の部屋に行きたい」と耳打ちした。
「私は失礼していいでしょうか?」と僕はたずねた。
「後ほど……明日でも結構ですので、あらためて目黒署のほうに来て頂けますか? 調書の作成に協力して頂く必要があるので」
「わかりました」と僕が立ち上がると、愛も一緒に立ち上がる。
「愛さんはもう少し待ってください」と城山刑事が制止した。
「愛さんの携帯電話や身分証明書が入ったバッグを持って、本庁の担当が所轄に向かっているんです。後ほどご同行頂けたら今日中にお渡しできる筈です。それに、この後すぐに病院で診察を受けていただいた方が良いと思うんですが」
 愛は黙って首を横に振った。
「明日一緒に伺って、目黒警察で受け取るということでどうでしょうか?」と僕は懇願した。「彼女を自由にして頂けますか? せめて今日だけでも」
「単なる兄妹喧嘩みたいなものなんです。兄と言うより犬に噛まれたみたいな感じですけど、私は暴力は受けてないし、食事も睡眠もちゃんととれてます。監禁されてたと言っても、ここは元々自分が住んでいた家ですし」と愛も説明する。
 玄関でやりとりを聞いていた坂井刑事が口を開いた。
「あとはこちらにお任せください。愛さんの健康状態も問題なさそうですし、事件性は低そうですので、とりあえず今日はお帰り頂いても。ただ、愛さんはどちらに行かれますか?」
 愛は僕の腕を掴んで言った。
「明日まで彼と一緒にいます。明日一緒にそちらに伺えば問題ないですよね?」
 飛び上がるほど嬉しかった反面、また明日も研究室を休まなきゃならないと思うと頭が痛い。

 僕たちは、刑事さんたちに丁寧にお礼を言うと「現場」を後にした。
 1階の管理人室にもちゃんと挨拶をしたが、管理人は僕たちのことを不思議そうな顔で眺めていた。

 目黒駅に向かう道すがら、愛は話してくれた。
「母が弟を死産したとき、父が約束してくれたの。必ず兄弟を作ってあげるって。私が16の誕生日に、作りかけの優の顔を見せてくれた。『弟だよ』って言われたけど、どう見ても私より上に見えた。『それじゃ兄にしよう』ってことになって背も高くした。次の私の誕生日、私が17の時に優は生を受けたの。私がロンドンを発つ直前。それで、私のボディガードとして一緒に日本に来たわけ。だからまだ彼は2歳。そう思って許してね」
「いや、許せない。2歳にしちゃ生意気すぎる」と僕が言ったら、愛は声を上げて笑った。
「あのAIチャットを見せられたの?」
「そう」
「もしかして、信じた?」
「あまりに良く出来てたから。君とのチャットやメールは全部本物だよね?」
「当然でしょ! まぁ、兄は人の心理を分析するの得意だからね。父は、私を護ることを最優先に兄の設定をしたから、彼なりに一所懸命コマンドを遂行したんだけど、過ぎたるは及ばざるがごとし。だんだん兄との生活が息苦しくなってきて、束縛から逃げたくなったのね。それで、父に相談して、父の妹がいる福岡なら良いだろうということで、九州大に転入したわけ。兄はエネルギー補給とメンテナンスのために東京を離れられないから」
「やっぱりエネルギー補給とメンテナンスは必要なんだね。ヒューマノドロイドでも」
「そりゃそうよ。なんでそんなこと聞くの?」
「いや、なんでもない。でも、愛は福岡へ逃げた訳だ。僕が浜松から東京に逃げたみたいに」
「まぁね。悠もお兄さんといろいろあったかもしれないけど、本物の兄弟なんだから大切にした方が良いよ」
「そうだね。僕も最近そう思い始めた」
「うん。ここ数日いろいろ振り回しちゃったけど、私が兄に悠のことを調べて貰わなかったら、こんなことにならなかったのかもしれないね」
「いや、愛が頼まなくても彼はやったと思うよ」
「そうかな。でも、もう大丈夫。悠のこともしっかり護るように兄のプログラムを書き換えるって父に約束させたから」
「そりゃ良かった」
「ただ、もし浮気したら……もっとひどい目に遭うかも?」
「うそだろ?」
「え? 浮気するつもりなんだ」
「いや。しないけど」
「じゃ、父に言っておくね」
「まいったな」

 目黒駅が近づいて人通りが多くなると、行き交う人の視線が愛に一瞬釘付けになることに気づいた。男性がすれ違いざまこちらを振り向く様子を眺めながら、僕はなんだかほっこり誇らしい気持ちになる。

 東急目黒線の電車の中。愛は僕の手を取って自分の脈を確かめさせた。
「ね? ちゃんと生きてるでしょ?」
 愛も僕の左腕の脈に触れる。
「僕にもちゃんと血が流れてるよね?」
「うん。その小指のバンドエイドどうしたの?」
「あ、これね。ひげを剃るときにカミソリでちょっと」
「それにしても悠の脈は速いね」
 そりゃしょうがないだろう。大好きな子と腕を握り合ってるんだから……と僕は言いたくなった。
「愛の手は温かいね」
「どっちかがアンドロイドだったら、どんなに近づいてもウイルスなんて怖くないのにね」と愛は言う。
「人間は弱いし、脆いけど、二人とも人間で良かった。昨日は僕も……」とぼくは言いかけた。
「ん? なに?」
 自分をアンドロイドじゃないかと疑っていた——と続けたら愛はきっと大笑いするだろう。
「あとで、ゆっくり話すよ。ベッドの上で」
 愛が僕の手の甲をつねる。
「痛ぇ」
 他の乗客に咳払いされ、ぼくたちは下を向いて押し黙った。

 大岡山駅で降りて、マンションに向かう途中で僕は愛に言った。
「僕の部屋は狭いよ。7畳のワンルームだから」
 よほど驚いたのか一瞬目を丸く見開いたあと、愛は何も言わずに腕を絡めてきた。
「ソーシャルディスタンスは?」と僕は言ってみた。
「そんなもの糞食らえ。私たちの間には必要ないでしょ?」
 ずいぶん久しぶりに聞いた愛の毒舌。でも、考えたら僕たちはまだ1時間前に会ったばかりだ。

 愛は歩きながらビートルズの歌を小声で口ずさんでいた。よく聴くと最後の歌詞がちょっと違う。
「I need you. I meet you. Ai needs Yu.(アイ・ニード・ユー、アイ・ミート・ユー、アイ・ニーズ・ユー)」
「最後はなんて歌ったの?」
「"I meet you"と"Ai needs Yu."って歌ったの。愛には悠が必要って」

 愛はもう一度最後の一節を歌った。繰り返し僕を指さしながら。
「I need you. I meet you. Ai needs Yu.(アイ・ニード・ユー、アイ・ミート・ユー、アイ・ニーズ・ユー)」

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登場人物紹介

Yu=杉本悠

東京工業大学の大学院博士課程でロボット工学を専攻する院生

趣味はギター。彼女いない歴一年のつもりだったが、もしかしたらずっといなかったのか?

Ai=森谷愛

英語と日本語を完璧にこなすバリンガル

九州大学共創学部2年に在学中で、父親はロボット工学の森谷幸弘、母親はイギリス人と言うが真相は?

森谷優

愛の兄で、悠と同い年という

AIを駆使し、高度な技術を持つミステリアスな存在


森谷幸弘

愛と悠の父親で、イギリス在住のロボット工学の権威

アンドロイドやヒューマノイドを超え、人と見分けがつかないヒューマノドロイドを開発していると言われる

坂井刑事

警視庁目黒警察署に勤務する刑事

城山刑事

警視庁目黒警察署の新人刑事

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