【シュロスの異邦人ー3】③

文字数 3,599文字

 それから、ササラは図書の整理があると言って一足先に兵舎に戻った。フェルはミユウと二人だけになった。
 裏口から外へ出ると、そこには石造りの頑丈そうな建物があった。ミユウは武器庫なので中は見せられないと言った。外観だけでも案内してくれるのはそれなりに信用されてきた証拠だ。
「フェルの時代はどんな武器を使っているの」
「軍隊は小銃やマシンガンで武装しています。他には戦車や大砲、長距離まで届くミサイルなどがある。けれど、ほとんどの市民は武器は所持していません」
「つまり、戦わないってこと? 」
「数十年前までは国と国が戦う大きな戦争もありました。銃で撃つだけでなく大砲や爆弾を落として、兵隊はもちろん、市民もたくさん犠牲になった歴史があります。ヒロシマに落とされた原爆では何万人も死んだことがありました」
「そういうのは許せない。つい最近も、敵というか、まあ、敵みたいな相手だったけど、爆弾で一度に五、六人倒された。私も爆風で吹っ飛ばされてひっくり返ったんだ」
「それで、ミユウちゃんは怪我はしなかったのですか」
「気絶しただけ」
 ミユウが悔しそうに言った。
「私はどっちかというと、敵を探るのが使命です」
「ミユウちゃんは、偵察して、敵の情報を調べる役目なのですね」
「実際に戦場に出ると、敵の動きは把握しにくいし、結局はドカンとぶつかり合いで勝ち負けが決まってしまう」
 この時代は槍と盾で武装した歩兵同士の肉弾戦が主流だったのだ。
「州都の軍隊は小銃が配備されているけど、ここ辺境には、まだ届いていません」
「なるほど、おそらく大量生産できないんでしょう」
「グリア共和国では配備されて・・・」
 ミユウはそこで口をつぐんだ。お客様のフェルにはこれ以上は話せないというのだろう。
「部屋に戻りましょう」
 武器の話はそこまでにして図書室に向かった。フェルは図書室に隣接した部屋を居室として宛がわれている。
「ねえ、フェル、一つ訊いてもいい」
「ええ、どうぞ」
「さっきのスマートフォンみたいな道具を見ると、500年先は今とはすごく変わっている気がするの」
 ミユウの指摘はなかなか鋭い。
「フェルの時代は、こういう城砦とかは残っているんですか」
「それは・・・」
 ミユウが知りたいこと、それは、今の状態、今の生活が永久に続いているかどうかということだろう。フェルが未来から来たのであれば、知っているに違いないと思っているのだ。
 しかし、フェルが知っているのは、バロムシュタットが「遺跡」になったことである。
「この時代の石造りの建物は将来も壊れずに残っている物がたくさんあるんです。500年後にも住宅として使われていたりする。だけど、中には廃墟になったり、戦争で破壊された物もあります」
「やっぱりそうか」
「シュロスというか、バロムシュタットの町は僕の時代でも健在です。周囲はすっかり開発されていて、畑や牧場はありません。高いビル、つまり、十階建てのマンションとか・・・マンションとは高級住宅ですが」
「ふうん、王宮のことをマンションって言うこともあるわ。それじゃあ、あんまり変わっていないところもあるんだ」
「そうです、僕たちもこの世界と同じように、パンを食べたりコーヒーを飲んだりしています。肉、魚、野菜の料理方法だってそれほど大きくは変わりません」
「何だか少し安心した・・・やっぱり、明日も明後日も、というか、ずっとこのままだと思わないと、生きていけないものね。あと、今よりはちょっとだけ良くなってもらいたいけど」
「ミユウちゃん、その考えはすごく立派で正しいと思います。過去の人が、そうやって生きてきたので、僕らの時代までこの世界が引き継がれているのです」

 図書室ではササラが本の整理をしていた。
 本棚には革で装丁された本が並んでいる。その隣には簡単に閉じられただけの本や丸められた紙の束が積まれていた。
 机の上には新聞の束も置かれていた。さりげなく日付を見ると「1456年、3月」という文字が見えた。今年の新聞かどうかは確認できないが、これは重要な情報だ。3月にしては陽の光が温かいから、少し前の新聞かもしれない。
「二か月前の新聞ですよ。州都に届いて、その後でシュロスに送られてくるから、その分遅くなってしまうの」
「フェルの時代にも新聞はありますか」
「あります。新聞にはカラー印刷で写真が大きく載っています。昨日起きた事件でも翌日の新聞に出るし、世界中の記事が読めます」
「フェルの話しはとても勉強になる。私たちが知らないことをいっぱい教えてくれるし・・・もっといろいろ聞きたいな」
 ミユウは真顔で言った。
「いま、世界中って言ったわね。ここにはバロンギア帝国があり、隣はルーラント公国があるでしょ。ここ、シュロスの城砦を出てみると森があって、山があって、川が流れて、その先はどこまでもまっすぐで、見ることができない」
 ミユウは偵察を得意としていて隣国にも潜入した。そのミユウでさえ、知っているのは森と山と川があるというくらいだ。
「世界中って、もっともっと先の遠くのことかしら」
「本でしか読んだことないけど、海というものがあるらしいんですよね」
 ササラは州都に暮らしているが海を見たことがない。それでも恵まれている方で、辺境で生まれた者は城塞都市の外へ出ることすらままならないのだった。
 おそらく二人はこの大地がどこまでも平らなものだと思っているのだ。
 フェルは、どこまで教えたらいいのかと迷った。この時代の人が知る由もない事実、持っていない知識を与えることは慎重にしなければならない。王様や貴族などの権力者が最新の知識を得たならば、それを利用して人々を支配しようとするだろう。だが、辺境の女性兵士ならば、それほど影響力はないかもしれない。せめて、この世界が地球という星であり、大地が丸いことぐらいは教えても差し支えないだろうと思った。
「いいでしょう、その質問に答えますね」
 フェルは椅子に座り直した。ミユウとササラも椅子に座った。
「この地球、私たちが暮らしている地球は・・・」
 フェルがそう言うと、いきなりミユウが手を上げた。
「地球って、何ですか」
「この星を地球と呼んでいるのです」
「星って、空に光っている星でしょう」
「星は夜空にくっついていますけど、この国が空の星なんですか」
 これはなかなかやっかいなことになってきた。自分たちが普通に知っている知識、用語は一から説明していかなければならない。
 フェルは手帳を取り出し、ペンで丸を描いた。
「この世界、地球という星は、平坦ではなく球形、つまり丸い球のような形をしているんです。たぶん、みんなが住んでいるのは、ここではないかと・・・」
 大雑把に大陸を描いてヨーロッパの辺りを指し示した。二人はその描かれた点を覗き込んでしきりに頷いている。フェルは、地球は球形をしていること、月も太陽も、全ての星は球形であること、地球上で人が住んでいる大陸は全体の三割程度で、七割近くは海であることを話した。
「ありえない・・・丸い玉なら、上にいる人はいいけど、下の人は地面から落ちちゃうじゃないんですか」
「それは、重力があって、全ての物は地球の中心に向かって引っ張られているんです。だから落ちたりはしません」
 説明しても分からないだろうと、フェルは手帳を持った。
「手を放しますよ」
 フェルが手を放すと手帳は机の上に落ちた。
「落ちるのは当たり前」
「これが重力です。私たちの身体はこれによって地面に引っ張られて、くっついているわけです」
「なるほど、凄い発明だわ」
「州都へ帰れずにシュロスに引っ張られていたのは、重力だったのか」
 ミユウが言うのは少し方向は違うが、さすがに理解は早いようだ。
 フェルは紙の中心に丸印を描き、これを太陽だと思ってもらいたいと言った。
「太陽を取り巻くように幾つかの惑星、地球と同じような星があります。地球も含めて、これらの惑星は太陽の周囲を回っています・・・その星の上に乗っている私たちも一緒に動いているわけでして」
「この町が動くなんて、ありえないですよ。太陽は山から上がって、夕方には向こうの山へ沈んでいくんだもの」
「そうだよ、ミユウちゃんが言う通り、動いているのは太陽だよ」
「確かにそう見えるんですが、実は地球の方が動いているのです」
「どうりで目が回ると思った」
「今から数十年先に地動説、すなわち地球が動いているという研究をしたコペルニクスという学者が現れます。ですが、その説が認められるには、それから百年くらいかかりました」
「ペコちゃんも大変なんだ。私がフェルの話を教えてあげよう」
「その後、ガリレオ・ガリレイという人が地動説を証明しますが、当時はなかなか理解されませんでした」
「ガリガリ君も大変なんだね」
 ペコちゃんにガリガリ君とは、この二人にかかっては世紀の科学者もかたなしだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み