【ダメ王女】①

文字数 2,770文字

 カッセル守備隊の隊長アリスは寝台に横になった。
 一人でいる隊長室は広々として寒気を感じるほどだ。灰色の石壁、木組みの天井、大きな窓、どれもが冷たく感じられた。

 外の広場では先ほどまでカッセル守備隊の隊員たちが訓練をおこなっていた。ベルネとスターチは槍と剣で打ち合い、リーナ、レイチェル、マーゴット、クーラたちは、木で作った枠を飛び越えたり、縄で編んだ網をくぐり抜ける訓練に励んでいた。
 かつて軍務省の上官から、これからの戦争は大砲や小銃が主役だと聞かされたことがある。先の尖った弾丸の開発によって、数キロ先の城砦も破壊できるということだった。大砲を備え付けるために城砦の構造にも変化がでてきた。高く築いていた壁を低くして砲台を設置する台を設けるのである。そのうえ、小銃部隊が編制できれば、歩兵が突撃するような戦法は時代遅れになる。遅かれ早かれ辺境にも小銃や爆弾などの最新兵器が伝わってくるだろう。
 先のローズ騎士団との戦いでは敵の爆弾により、一度に数人がなぎ倒された。

 エルダのことを思い出した。
 バロンギア帝国ローズ騎士団との一戦では司令官のエルダだけが命を失った。みんなで揃って帰還しようと、口癖のように話していたエルダ。それが皮肉なことに一人だけ帰ってくることができなかった。この前の戦いは勝ったのか負けたのか、いったいどちらであろうか。国境を守り抜いたのだから、勝ちでも負けでもなく引き分けたと言えるだろう。しかし、カッセル守備隊にとって司令官のエルダを失ったのは大きな痛手だった。エルダを殺害された恨みは月光軍団が晴らしてくれた。騎士団のローラは州都軍務部の手によって処刑されたという。これで、守備隊、月光軍団、ローズ騎士団の指導者がことごとく戦死したのだ。
 ときどきエルダの夢を見る・・・だが、夢に出てくるエルダには右手と左足がなくなっていた。
 信じられないことだが、エルダの身体の一部は時計の歯車のようなからくり仕掛けになっていた。その足は布に包んで大切に保管してある。
 そして、とうとう、心を開いて語り合うことができぬまま、エルダは帰らぬ人となってしまった。返す返すも残念でならない。

 アリスは寝台に寝そべったまま、サイドテーブルに手を伸ばして干しリンゴを口にした。その果物は王女様が運んできてくれたものだ。こんな格好で食べているところを見られたら、それこそギロチンものだろう。
 マリアお嬢様は貴族のお嬢様と名乗っていたのだが、実はルーラント公国第七王女様だった。正しくは、マリア・ミトラス王女様と呼ばなければならない。役立たずの見習い隊員が王女様だったのだ。王女様ともあろうお方がこの辺境においでになり、自分の部下になっていたとは、あまりにも畏れ多いことだ。ローズ騎士団との戦いで苦境に立たされた守備隊は、王女様の出現によって勝利を掴んだと言っても言い過ぎではない。

 そのマリア王女様はこのところ人が変わったとしか思えなかった。
 帰還した当座は、王女様、王女様と崇められ、町の住民はひれ伏して出迎えたのだった。商人はこぞって貢物を届けに来た。
 王女様は一段高いところに座り、
『皆の者、近こう寄れ、苦しゅうない』
 などと言っていたが、その後で、貢物は隊員に分け与えたり貧しい人々に施したのだった。しかも、自らメイドとなって働き始めたのだからアリスは驚いた。メイド長のエリオットの指示にはきちんと従うし、嫌な仕事も引き受けるようになった。もっとも、水汲みは桶が重くて持てないのであっさり諦めたようだった。
 メイドの王女様は、さきほどもアリスの部屋に紅茶と干した果物を運んできた。二度の戦場で生きるか死ぬかの恐ろしい目に遭い、国境を守っている辺境の兵士たちが、いかに厳しい環境に置かれているのか身に染みて分かったのだろう。そして、自分たち王室一族がどれほど恵まれた暮らしを送っているかを体得したのだ。
 これが城砦に良い効果をもたらした。王女様のような高貴なお方がメイド服に身を包み、率先して掃除、洗濯をしているのだ。城砦の住民たちはこれを見習って農作業、機織り、鍛冶職にと、いままで以上に精を出すようになった。
 さすがは国室の一族、さすがは王女様、人々は、これでルーラント公国の繁栄も約束されたと喜んだ。もちろん王女様には相応に給料を支払っている。タダ働きさせたということが王宮に知れたら、それこそ懲罰物だ。
 王女様の処遇について悩むことがなくなってアリスは安堵した。ここでしっかり忠誠を尽くして取り入っておけば、いずれ復職が叶うかもしれないという計算づくでのことだ。
 因みに、アリスが辺境のカッセル城砦に左遷されたのは「不倫」が原因であった。
 メイド姿の王女様を見ると、むしろ、アリスの方が地位が高いのではないかと思うくらいだった。不倫で左遷されながら、今や、メイドを雇えるまでになったのだ。
 それも、王女様という高貴なお方を・・・

 そういえば、十日ほど前だったか、エルダの後任の司令官が赴任するという連絡が届いていたはずだ。だが、たとえ司令官が来たとしても、このカッセルの城砦で一番偉いのはアリスであることは疑う余地はない。城砦監督のロッティーは、誰が来ても新しい司令官だとは認めないと言っていた。それはそうだ、先ずはお手並み拝見といこう。司令官の初仕事として、王女様の身の回りの世話がふさわしい。アリスにとっては司令官などより、寝台でお菓子でも食べていることの方がよほど重要だった。

     〇 〇 〇
     
 マルシアスは十時間以上も馬車に揺られ、ようやく赴任先の城砦に着いた。州都を立って間もなく、道は石ころだらの悪路になり、しかも、馬車の座席が硬くて腰と背中が痛くなった。部下のスザンヌも同じとみえて盛んに伸びをしている。
「ああ、やっと着いたわ」
 新司令官のマルシアス・ハウザーはカッセルの城砦に到着した・・・だが、馬車が遅れたためだろうか司令官が到着したというのに歓迎行事どころか出迎えの姿もなかった。メイドに案内されて兵舎の部屋に入ったのだった。
 ところが、通されたのは狭いうえに窓が小さくて薄暗く、どことなくカビ臭い部屋だった。
「こんな部屋、狭いし暗いし、司令官の部屋には相応しくありません。きっとメイドが間違ったのですよ」
 部屋の天井は煤で真っ黒に汚れ、床板にはあちこちに穴が開いている。
「あのメイド、見るからに役に立ちそうにありませんでした。司令官の鞄さえ持てないんだから」
 メイドは二人だったが、そのうちの一人が鞄を運ぼうとして見事にひっくり返った。あちゃ~とか言うだけで、大事な鞄を倒したことは謝ろうともしなかった。もう一人が地面を引きずっていこうとしたので、スザンヌは思わず「私が運ぶ」と叫んだ。
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