【シュロスの異邦人ー3】①

文字数 2,883文字

 フェルはシュロスの城砦を見て回った。
 案内役はミユウとササラだ。州都から派遣されているミユウは滞在が長びいてシュロスの城砦にも詳しくなっていた。
 怪しい人物でないことは分かってもらえたが、それでもフェルは一人で歩くことは許されなかった。ミユウ、あるいはササラやミカが同行することが条件だった。それとなく見張られているのだ。しかも、今朝は城砦に届いた荷物運びをさせられた。お客様どころか労働力を期待されているのだった。さすがに寝る場所は暗くて寒々しい監獄ではなく、図書室の隣の部屋を宛がってくれた。

 これまでも研究や発掘で各地の城砦を見慣れているフェルだが、実際の城砦では驚くことばかりだった。
 カルカソンヌ、ドブロブニクなど現存する城砦は、外壁を含めほとんどの建物が当時のまま残されている。人が住んで生活している所もあれば、観光施設になっている城もある。しかし、このシュロスの城砦はそれらのいずれとも異なっていた。城砦としての規模は小さいし、見栄えも決して良いとは言えない。だが、確かなことは、ここには人が生きて暮らして、そして現役の城砦の役割を果たしていることだった。紛れもなく防御と攻撃のための軍事施設である。

 シュロスの城砦に入るには、堀に架けられた跳ね橋を渡り、城門を潜り抜ける。城門は馬車がギリギリ通れる程度で、人が三人並んで歩けるくらいの幅しかない。狭いのは敵の侵入を防ぐためだ。
「フェル、そんなに珍しいの、城門が」
 行ったり来たり、これで三回目だ。フェルが城門を何度も行き来するのを見てミユウが笑った。
「これまでにもいろいろな城砦で見てきましたけど、やっぱり本物は凄いですね」
 城壁は部分的に二重の壁が建てられていた。
 城門は単独で建てられているのではなく塔の中に組み込まれている。門の壁の石積みはくすんだ灰色の石で頑丈そうに組み上がっていた。ここが敵の侵入を防ぐ最初にして最も重要な場所だ。ところどころモルタルが新しくなっているのは補修された形跡だろう。これが現代に残されている城砦なら「当時の様子が分かる」ということになるのだろうが、そんな悠長なことは言っていられない。シュロスの町を守るための必死の修繕作業なのだ。
 門扉は滑車巻き上げ式で、日中は通行できるが日没とともに閉められるそうだ。重そうな板戸が鉄鋲で補強されていた。
「城門の扉、分厚い材質だ」
「ここを破られたら攻略されちゃうからね。絶対に壊されないようにしないと・・・」
 ミユウが足元を指差した。
「気を付けて、フェル、そこ、落とし穴」
 落とし穴は床板の一部が開いて侵入者を穴に落とす仕掛けだ。穴の中には槍の穂先のような尖った武器が牙をむいている。落ちたら即死は免れない。
「今は大丈夫だよね」
 とはいえ、落とし穴には落ちたくないのでフェルは上を見上げた。
「跳ね橋を渡って、次が落とし穴、そして落とし扉まで用意してあるみたいだ」
 落とし穴の上部の天井には前後を仕切る落とし扉が備えてあった。敵が落とし穴を逃れてもこの扉を落下させて侵入者を閉じ込める仕組みだ。
「さすがは研究者、よく知ってるわ」
「本や写真で見ているからね。それに現在残っている城砦には案内板が立っていて、施設の名前などの説明が書いてある」
「写真って・・・何のこと」
「そうか、ミユウちゃんの時代の人はまだ写真を知らないんだ。写真と言うのは目の前の風景や人物を写し取る装置です。今で言えば、精密な絵画、あるいは挿絵のようなものだと思ってください」
 500年以上も前の世界に写真などあるわけがない。思わず写真という言葉を使ってしまったので、絵画、挿絵と言い換えて説明した。もし、ポケットに入っているスマートフォンの写真を見せたら、どんなに驚くだろう。しかし、この時代の人にスマートフォンや写真そのものを見せていいものかどうか悩むところだ。
「挿絵なら知ってる」
 図書係をしているササラが言った。
「木の板に彫って印刷するもので、板を使った木版や鋼に彫った版もあるわ」

 三人が城砦の扉をずっと見ているので事情を知らない門番に睨まれた。門をあとにして城壁に上がってみることにした。その途中、塔の前では壁の修復工事がおこなわれていた。木で作った足場が組まれ、石工職人が切り出した石の角を鑿で削って調節している。傍らには崩れた壁に使われていたと思われるレンガや石が転がっていた。
「面白い?」
 ミユウが訊いてきた。
「城壁の修復の作業を見ることができて感激です。このレンガは・・・」
 フェルは足元のレンガに興味を持った。崩れた壁はかなり古いようでボロボロに腐食している部分もある。壁に使われていたレンガはおそらくこの時代の物ではないだろう・・・
 例の金属部品が食い込んだレンガを思い出した。
「かなり古い物ですね、ひょっとするとローマ時代くらいまで遡るかもしれない」
「ローマ時代?」
「つまり、それは、この時代よりも数百年前で・・・」
「待って、聞いてくる」
 ササラが石切職人のところへ行き、なにやら話していたがすぐに戻ってきた。
「あのね、ここはシュロスの城砦の中で一番古い壁なんだって。もともと低い壁だけがあって、それをそのまま利用して高く積み直したらしいよ。フェルさんが言ったローマ時代っていうのは知らないみたいだった」
「なるほど、その昔に蛮族を防ぐために低い壁が造られたのでしょうね。ということは、ここシュロスは歴史と由緒がある城砦なんだ」
「何でも知ってるねフェルは。感心しちゃう」
 工事現場の脇を通って城壁に向かった。
「みなさんは州都に住んでいるということでしたね。そこはもっと開けた町ですか」
「州都だからね、人がいっぱい住んでいて町も賑やかよ。お店もあって肉とか野菜を売ってる。服の生地も買えるし、お店といったら、鍛冶屋とか酒場、本屋、コーヒー店、郵便屋。そんなとこかな」
 ミユウが州都の様子を楽しそうに語った。
「州都の町を取り囲んで高い壁があったんだけど、ちょっと前から低くする工事が始まった。出っ張った場所を作ったんだ・・・ええと」
「バスティアンですか」
「それよ。フェル、物知り」
 バスティアンとは城壁の一部を低くして張り出した部分で、おもに大砲を撃つために設置されたものである。これ以前は壁を高くして敵襲に備えていたが、高い壁は城砦内から大砲を撃つには不向きなので、だんだんと低くなっていった。シュロスでは敵の攻撃を防ぐには、まだ高い壁が必要なのだろう。

「それじゃあ、塔に上ろう」
 塔の入り口は狭く二人並んで入ることはできない。ミユウが先頭になって螺旋階段を上った。螺旋階段は時計回りに作られている。これは防御側が剣を振るいやすくするためだ。下から攻め上る攻撃側は右側にある支柱に剣が当たって邪魔になる。上がるに従って窓が小さくなり昼でも暗い、足元を確かめながら一段ずつゆっくり進んでいった。観光地化している城砦には螺旋階段に手すりがついているところもあるが、もちろん、ここは手すりは取り付けられていない。フェルは帰りが心配になってきた。
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