第33話

文字数 775文字

 しかし光の思惑はあっさり崩れ去る。トラックを12周半する5000メートル走、駿輔は残り1周の時点でスパートをかけた。
『どこで仕掛けるか』それは体力面以上に精神的な強さを必要とする。思惑を外したとき、気持ちが引き離されてしまえばもうその後を追うことは叶わない。

 油断……そんなはずはなかった。しかし光はもう、駿輔のスピードに乗っていける距離を逃してしまった。二人を連結していた気流は一旦そこに隙間ができると、厚く重い壁となって抵抗と化す。

(グッ……。…………。)

 攻める気持ちの、そのほんの鼻先を弾いたように挫かされた『たったの一歩』。その一歩目の加速がここまで大きな差につながる、これこそが長距離戦の醍醐味。
 再び光が駿輔の背中を捉えることはなかった。



「ハァー……ハァー……、ハァ、ハァッ」 

 下を向く光。その鼻先から汗が流れ落ちる。身体から湯気が立つのは勝者の側。吐く息が白いのは敗者の側、流した汗が瞬時に冷えていく。光は今日、それを初めて知った。
 横目で駿輔の背中を見上げる。駿輔は思ったより肩で息をしていないのが分かる。

「もう10キロは走れる、って言ったろ?!」

 駿輔が冬の空を見上げた。それにつられて光が夜空を見上げると、澄んだ空気だからこそ響かせる耳鳴りが止まない。光はそれを打ち消す様に応える。

「く……そっ……たれぇぇぇ」

 息が途切れて、言葉が感情を表せない。それが負けを示していた。



 5000メートルのタイムは15′05″ラスト1000メートルのタイムは2′51″。決してベストのタイムではない、しかしレースを支配する、ということはこういうことだ。去年駿輔は学んだ、駿輔はまだ余力を残しているような余韻。

 高校駅伝の1区(エース)を高校3年間すべてやり通す、という光の野望はあっさりと潰えた。聖和高その記録は天道駿輔だけのものとなったのだった。
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