第27話 愛について

文字数 2,369文字

知念の実家は、八幡区と小倉区の境にある辺鄙な集落にあって、老朽化した公営住宅を見下ろすヒトサライ山(山菜やきのこが豊富に獲れることからこの名がついた、昭和初期、きのこ採りに訪れた一家が収穫に夢中になり、崖下へ転落した遭難事故が元とされる。死亡者は出なかった。当時の村長が戒めの為に名付けた)のふもとで、散弾銃射撃場を細々と営んでいた。
トラップ、スキート、フィールドを併設するこの施設は、県内外からの評価も高く、猟友会やスポーツ競技選手らの技能向上の場として、パンデミック前は大いに賑わっていた。
しかし、国内の感染者の増加と緊急事態宣言の発出で現在は閉鎖されている。
国道沿いには、大型ショッピングモールや遊興施設が建設されてはいるが、駅のないこの集落で、区画整理の恩恵に預かろうというのは絵空事で、知念の両親は、期待に胸躍らせている村人たちに呆れていた。
そして、移住してくる都市部の人間をあまり好まなかった。
礼儀作法がなっていないと父親は言い、母親も目を細めて笑うだけで意見することもなく、暗黙の一家のルールには従順だった。
ふたりは仲が良く、家庭もそこそこに幸せだったと知念は今でも思っている。
質素な生活にも温もりがあったからだ。
春には花見に出かけ、夏には山間の寺で流し素麺に舌鼓を打ち、秋になれば川釣りに興じて、冬になれば地元猟友会企画の温泉旅行に家族で招待された。
放任主義で育てられた知念に反抗期はなく、親思いの好青年、勉強熱心な若者と村では評判が良かったが、彼の思い描く妄想は違っていた。
その異変のはじまりは、中学1年生の時に観た、ドラマのワンシーンがきっかけだった。
洞窟の中で、怪しげな女呪術師が全裸の若い男性に呪いをかけている。苦悶の表情を浮かべる男は、身をよじらせながら絶命し、大男に担がれて森の中を彷徨う。
歩く毎に上下する、仰向けの男の裸体と、演出された死の表情は美しく、虚空を見つめる目には色気さえ漂っていた。土に埋められ、数年後に掘り返されるシーンでは、チョークのように白い髑髏が映し出されて、知念少年は「ああ、生気を亡くした人体はなんて綺麗なのだろう」と興奮した。
性衝動と共に、思いに耽りながら性器を弄ぶ時間も増えた。
人気の無くなったクレーハウスの隅は鏡張りになっていて、古めかしいリクライニングチェアーが置いてある。居並ぶクレー放出機を眺めながら知念少年は、生死の間にこそエロスあってドラマがある、それを際立たせるのは「赤」だと考えるようになった。
鏡を眺めながら真っ赤なルージュを塗って、廃棄を待つだけの粉々になった朱色のクレーの断片を胸にあてる。
そっと血が流れた。
これが真髄だと、知念少年は思うようになった。
クラスメイトの女子の身体を思う時もあれば、図書館で借りた、人体の仕組みを説明する筋肉組織図や、骨格標本の写真を眺めながら自慰に耽ることも多くなった。
その時は必ず、ドラマで観た、身体を仰け反らせて担がれていく男の死体も想像していた。
間近で死を知らない知念少年にとって、魂の抜けた肉体は美しいものでなければならず、瞳孔の開いた瞳も、口から流れ出る血液も、土から掘り起こされた腐乱死体も、数日間水に浸かった死体も、物言わぬマリオネットらしく存在しなければ意味をなさなかった。
実際、興味本位で目にした闇サイトの遺体画像は拒絶した。
ネクロフィリアと云った言葉を知ったのもこの頃で、それに関わる過去の犯罪や、被害者の生い立ち、遺族の苦悩を知ると、知念少年は自我を否定するようになり、性的な趣向を正常に戻そうと、アダルトビデオを観るようになった。
普通でありたい少年は、本性を隠したまま勉学に励んで医大に入り、そして精神科の研修生となった。
将来は、瀬戸際大楽のような人物になりたいと思っていた。
内科や外科と云った、人の死に直面する医師にはなりたくなかった。
研修中に経験した血の滑りや匂い、乾燥しきった髪の毛や白く濁った眼球、枯れ木のような肌の感覚を二度と味わいたくもなく、そう強く思うことで、やっと普通の人間になれた気がした。

「・・・もっと、べろ出して」

ボイスレコーダーから流れ出る鮫島結城の声を聞きながら、知念は自室のベットに横たわって思いに耽っていた。唇にはあの頃と同じ、真っ赤なルージュを施して、首にはペット用の赤いハーネスを巻きつけていた。
録音された鮫島の声は魅惑的で、重なり合う吐息に興奮しながらハーネスを両手で引っ張ると、咽頭が締め付けられて頭がぼーっとなった。
虚構の生死の狭間で、自分のペニスにたっぷりのローションをつけて、焦らしながら性器を弄ぶ。

「もっと、もっと突き出して」

鮫島の言葉通りに舌を突き出すと、あの日の官能が脳内に蘇った。冷たい鼻先と絡み合う指先。
ボイスレコーダーは元々、鮫島結城に潜む人格達の統合治療の為に、瀬戸際から託されたものだった。それにはまず、三宅リヨツグの心を開放する必要があり、そして厄介なことに、リヨツグもまた、解離性同一症を患っていた。
「私」と名乗る人格は彼に寄生し、人間を嫌い、生きることを放棄している。
では何故「私」は、リヨツグに執着するのだろう。
死ねないからだ。
瀬戸際からそう告げられた時、知念は背筋に冷たいものを感じた。
虚構の生死の挟間でしか、オーガズムに達しない。
これまで封印してきた何かが、ぷつりと音を立てて切れた瞬間だった。
性的趣向もマゾヒズムへと移行し、胸や肩に刃物で傷をつけ、それを鏡で眺めながらの自慰行為も増えた。回帰する日常で、知念を決定的なエクスタシーに陥らせたのが鮫島結城の交代人格、三宅リヨツグだった。
容姿や声、肌の質感、繊細過ぎる髪の毛、全てに触れたくて、そして壊してほしかった。
普通を演じながら生きる限界と、あるべき姿を自認出来ないもどかしさを。






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