第18話 ダウンバースト

文字数 2,548文字

助手席のフロントガラスから見える渋谷の街は夢幻的で、昔見たSF映画に出てくる近未来都市さながらの陰影を、通り雨で濡れたアスファルトに映し描いていた。
カーラジオは九州地方の豪雨被害の状況や、パンデミック時における避難の仕方を事細かに伝えている。
半開きになったウインドウからは、車が停車する度に生ぬるい空気が車内に入り込んで翔子の髪の毛を乱した。
通行人の減ったスクランブル交差点に差し掛かった時。

「流行り病で人が減って、夜空とか綺麗に見えるらしいですよ、なんか皮肉ですね」

と、隣からひとり言のような声がした。
翔子は運転席の知念を瀬戸際から紹介された時、その深く澄んだ瞳を見て嫌な予感がした。
他人に搾取される人間に思えたのだ。
それに、いかにも男ウケする端整な顔立ちをしていた。
特に後部席に座る、三宅リヨツグに人格支配された鮫島結城には・・・。
どうして瀬戸際が知念を同行させたのか理解に苦しむ中、ふたりの対面はとても危険な行為に思えた。

「マスクが邪魔だねえ」

瀬戸際の声に、隣のリヨツグが言った。

「先生がそんなことを言ったらだめだよ」

「そうかい?」

「そうだよ、食事の時とキスする時以外はマスクを外しちゃダメ。ねえ、鴻上さん、知念くん」

「キスはダメでしょ、いちばん危ないよ、この流行り病は飛沫感染なんだから」

「ええ~。だけどそれは仕方ない、愛は命がけでするものなんだから。だよね、知念くん」

知念は相槌を打つだけで何も言わなかった。
予定外のドライブを提案したのは瀬戸際で、彼の所有する軽自動車に乗り込むや否や、リヨツグは上機嫌になった。
翔子は、こんな事になるのなら電車で来れば良かったと後悔した。
ドライブの最終目的地も知らされず、帝北神経サナトリウムに戻って、再び自分の車を運転しなくてはならないのは億劫だった。
それに煙草も吸いたかった。
かといって、愛車のミツオカ・レイに、見ず知らずの人間を乗せる気にはなれず、行き当たりばったりな瀬戸際の無神経さを呪った。
車は高島屋を通り過ぎて明治通りへ入って行く。
思いついたように瀬戸際が。

「あ、知念君、靖国通りに入ってさ、ゴーストタウンと化した歌舞伎町を散策してみないか? リヨツグ君、いいだろう?」

「いいねえ。なんか楽しくなってきちゃった」

「開いている店もあるだろう。腹が減ったら適当な場所で軽く食べてさ、どうですか? 鴻上さん?」

「問題ありませんけど・・・」

「よし、決まりだ」

4人で歌舞伎町をそぞろ歩くなど、翔子は考えもしなかった。
16時の歌舞伎町一番街は、平時であれば業者のトラックや客引きや、外国人観光客でごった返している。
ところが、パンデミックで外出自粛が要請されている現在は、ホームレスと物珍しさに写真を撮る数人の若者の姿しか見つけられなかった。
すっかり仲良くなったリヨツグと知念は前を歩いている。
翔子は瀬戸際に小声で尋ねた。

「良いんですか? もし逃げたりしたらどうするんです?」

「大丈夫、リヨツグは逃げない」

「どうして、そう言い切れるんですか?」

「外界じゃ生きるのに不都合すぎるのを彼は知っている。いや、リヨツグ自身は上手く立ち回れるでしょうが、鮫島結城はダメでしょう。それもちゃんと理解している。彼はね、疲れている。鮫島結城の人生の大半を背負っているのは彼です。ま、それ以上はまだ解りませんがね」

「それが逃げない理由だと? 疲れているから?」

「まあ、そういうことでしょうね。あと、居心地が良いんですよサナトリウムの方が。敵もいないし、鮫島結城を守るには持って来いだ。不沈空母とでも呼んでやってください。お、我ながらいい例えだ!」

瀬戸際はぎこちなく笑った。
歌舞伎町一番街のメインストリート、その突き当りには映画館を併設したホテルがあって、巨大なゴジラのモニュメントが、建物を破壊しようと中層階のテラスに手を掛けていた。
リヨツグは立ち止まって、ゴジラの鋭利なツメを見上げながら知念に言った。

「ここがオープンした時は、人生最悪の時期だったよ」

「え?」

「いや、昔の話」

ゴジラホテルが完成した年、リヨツグは自宅へ押しかけるマスコミから逃れる為に、歌舞伎町や新大久保の簡易宿泊施設や、ネットカフェを転々としながら、日雇い労働やウリ専で生活費を稼いでいた。
貯蓄は既に使い果たしていた。
KYO-JIとの交際は「MDMAの過剰摂取による若手俳優のSEX中の死」という形であっけなく幕を閉じた。
リヨツグは、彼を特別に愛していた訳ではなかった。
事実、恋人の野田秀美とは同棲生活を送っていて、近々結婚するつもりでいた。
KYO-JIもそれは同じで、互いにどことなく不安定な心と、暴走しそうな性欲への恐怖心。それらを紛らわせる大事な存在としてベットの中では素直になれる間柄・・・そんな風に信じていた。
時折、想い出に浸ろうとする度に、記者らの心ない言葉がフラッシュバックして記憶を汚す。

「今のお気持ちは!?」

「彼とはいつから関係を?」

「獄中のお母さんには連絡した?」

「彼女と彼氏、どちらが大切ですか?」

「あなたもクスリを?」

「お父さんを殺した時と今とではどちらが・・・」

「鮫島さん! あなたはゲイですか?」

露骨に責め立てる記者達の質問に躊躇いながら、リヨツグは弁護士が用意したタクシーに乗って警察署を後にした。
あの日以来、何も変わらない人生を歩んでいるのに、心臓は血液を体内に送り続け、細胞は死んで、また新しく生まれ変わっていく。
無意味な時間の中で、死を選択するのは鮫島結城と同じだという不条理をリヨツグは理解していた。
死にたがりの出来損ないにはなりたくなかった。
その一心で、生き抜く為にもがき苦しみ、辿り着いた先が「帝北神経サナトリウム閉鎖病棟」というのは笑えた。
リヨツグにはゴジラのモニュメントが。

「あの時を覚えているかい?」

と、語りかけている。
KYO-JIとの関係も、秀美との生活も、そこには紛れもなく命がけの愛が存在した。
だが、事件が公になると、人々はその愛情を非難し、愚弄し、蔑んだ。
SNSは誹謗中傷で溢れ、住所は特定されて顔写真も公開された。
見せしめの処刑。
リヨツグはそう呟きながら、子供みたいに泣きじゃくりながら、秀美の留守中に家を出た。
ごめんね。
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