第16話 ドブロク

文字数 2,531文字

年季の入った山小屋の屋根に落ちた木の実が芽吹いて宿り木化し、小屋の歴史を語る様に大きく育っている、小屋が潰れていないのが不思議だ。
 小屋の中に案内され二度驚いた、中には髭のない山猫がもう一人いた、ジダンは独り者ではなく結婚していたのだ、婆様の名はアファという、ジダン同様に六十からは年をとっていない。
 その肌は薄い緑で小さな角を持っている魔族だった。
 アファ婆はムトゥスの来訪を大喜びした後、イーヴァンの訃報を聞いて泣き崩れた。

 「うちら猟師は三年前にイーヴァン様とシン様に助けられもうした、大きな恩があるんだす、あんときシン様が自分の命と引き換えに、わてらと、この世界を守ってくんなした」

 アラタは爺と婆にここまでの経緯を話した、自分が異世界人であること、異世界人 山岳猟兵師団が行った侵略戦争、魔族国の破滅とイーヴァン魔王の死、ムトゥスを連れて冥界神社へ行こうとしていること。
 二人は黙って聞いていた。

 「迷宮の神様が遣わしたのじゃ、あの英雄ホシジロ・シン様同様、あんたを寄越したのに違いなかばい」
 「その銃という魔法武器、シン様も最初は使っておったが、なんでも(たま)が無くなったといって途中からは使わなんだ、その代わり迷宮の神具で冥界蟻と闘っておられた」
 「神具とはなんだ?」
 「良くは知らんが、形は銃と似たものだ、もっとデカいがの」
 「それはまだあるのか?」
 「ああ、冥界神社に奉納されておる」
 「!」
 イーヴァンが言っていたものに違いない。
 「案内してもらえないだろうか」
 「もちろんよかばい、ムトゥス様を連れたあんた方はイーヴァン様とシン様同様だわい、粗末にしたらバチがあたるぞい」
 ここまでアファ婆ばかりが話している、ジダン爺は話したそうだが出番を与えてもらえない。
 手持ちぶたさになったのだろう、ジダン爺は台所へ行ってガサゴソやっている。
 
 「さあ、腹も空いているだらー、なんも無ぇけんど、これでも食わっしゃい」
 ジダンが持ってきたのは干した魚の焼き物や、きのこ汁、何かの肉の串焼きなど大量のごちそうが並んだ。
 「爺さん、俺達は厄介者だ、こんなにもて成されても困る、返すものがない」
 「何ば言いよるったい、ぬしゃ、遠慮などいらんばい」
 バシィッと婆さんの平手がアラタの肩に飛ぶ。
 「んだ、んだ、この巡りあわせは神がらのお告げじゃ、何も遠慮はいらんじゃ」
 「ほれぃ、これもたんと有るぞぃ」
 一升瓶に入っているのは自家製のドブロク(濁り酒)か。
「これは・・・お酒ですか?」
 アラタはヨーロッパ出身、日本酒や濁り酒は初めて見た。
 「なんとぉ、どぶろく知らんがとぉ、シン様はたいそう好きじゃった」
 「いただきます」
 コップに注がれた白い濁りは、ほんのりと甘く酸味もある、見た目よりもすっきりとした味わいで美味い。
 「美味いな」
 「んー、んー、そう来なくちゃ、ほりゃぁ、マリッサ姉ぇやんも飲まらっせぇ」
 「姉やんっ!?

 アファ婆が何やら物欲しいそうにしていたが、ついに耐え切れずにマリッサに懇願した。
 「すまんが、そん子ば抱かせてほしかぁ、ムトゥス様ちっとも変わらんままじゃ」
 「もちろんいいですよ、抱いてやってください」

 馴れた様子で抱いてあやす様子は孫、いやひ孫を抱く婆そのものだ。
 今は起きているムトゥスもだぁだぁ言いながら手足をばたつかせて喜んでいるように見える。
 「おーっおーっ、ムトゥス様、婆を覚えておるかいね、偉いのぉ」
 バタつかせた手がバシバシとアファ婆の顔を直撃しているが、やはり嬉しそうだ。
 アファ婆のおかげでマリッサは久しぶりに両手を使って食事を採ることがことが出来た。
 「なすて、少すもでっけぐなってねぇのかの、ムトゥス様は」
 覗き込んだジダン爺にも容赦ないムトゥス拳が飛ぶ。
 やはり、人族とも魔族ともムトゥスは違う、迷宮の核から生まれし子供。

 ジダン爺もムトゥスを抱きたいがアファ婆が譲ってくれない、静かな闘争が繰り広げられた。
 「生ぎ物には、皆役目があらぁ、おいらも、あんたも、ムトゥス様もいらん人はいなかぁ」
 「だはんで、一生懸命生ぎで、泣いで笑って暮らせばいいじゃ」

 訛りの強い言葉が逆に説得力を持って響く、あの時自分の頭に向けた銃口の引き金を引けなかった事には意味があったのだと思えてくる。
 
 その晩、アラタとマリッサはジダンの小屋で久しぶりに風呂に入り、屋根の下で眠る事が出来た。
 まるで家族のように三人川の字で床についた。
 マリッサも丸まらずに手足を伸ばしている。

 アラタはゴルジュ帯を渡る風の音を聞きながら、追撃者のことを考えていた。
 当面の脅威となり得るのはシュワルツ少尉、一人で追跡してくればこちらの意図を汲んでくれねかも知れない。
 心配なのは別動隊がいた場合だ、最悪はユルゲン隊長だ。
 間違いなく、こちらを逮捕ではなく抹殺にやって来る。
 どちらにしても見逃してくれることは期待できない。

 「役目がある・・・か」
 自分の役目は何なのだろうか、腕の中の二人を守り戦う、自分が死ぬことは簡単だ。
 掴んだ命の先、どこまで逃亡し見届ければ良いのか、いかなる超兵器をもってしても個人の力で一国を相手にすることは不可能だ。
 いつか来る不幸な未来が見えてしまう。
 
 メッサーME323ギガントごとの転移現象、偶然ではなく意図したものなら、この侵略撃も役割なのだろうか。
 オカルトだ、無意味な推論に費やすべきではない。

 パタンッと寝返りをうったマリッサの手がアラタの手に触れた。
 「!?
 偶然にも死線が交わり、川の字に寝ていることが不思議だ、これも運命だというのだろうか、迷宮の神が描いたプロットの一つだとすればエンディングには何が書いてあるのだろう。
 マリッサは静かに寝息を立てている、整った顔立ちに洗った髪はまるで夕焼けを編んだようだ。
 並んで寝ているマリッサとムトゥスの寝顔を見れば、二人の不幸を、悲しむ顔を見たくはない、明るい未来であってほしい。

 「アンナ、俺はどうしたらいい?」
 暗い天井だけがアラタの独り言を聞いていた。
 
 その日はドブロクの酔いも助けて、朝まで目覚めることも悪夢を見ることもなく熟睡した。
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