第22話 夏小屋
文字数 2,437文字
アラタたちは冥界神社を目指すための前線キャンプ、ジダン爺の夏小屋を目指してサガル神山を登る。
樹海内は針葉樹の高木の中に黒笹が群生している、そこから先は広葉樹林帯となり、下草は全て黒笹だ。
冥界神殿は標高二千五百メートル付近、紅葉樹林帯の始まりに過ぎない。
「冥界というからには地下にあるのだろう、何でこんなに高いところで冥界なんだ?」
ジダン爺がサガル神山の頂上を見上げる。
「この山は標高一万メートル、この辺はまだまだ足先さ過ぎね」
見上げた頂きは雲に隠れて見るとはできない、その半分は雪が光を反射して銀色に輝き、風が運んだ雪がまるで銀のベールを伸ばしているようだ。
「じゃあ、天界の迷宮というのは標高何メートルにあるのだ?」
「それは分からん、地上からは行けん、冥界神殿から山の中を進むしかない」
「爺さんは行ったことがあるのか?」
「ねよ、その先はなんにもどれやすね、時間の無駄だべさ」
「シンとイーヴァンはどうだ」
「さあのう、いっとらんと違うかの、二人にもその暇はねがったと思う」
「アラタ、興味があるの?」
マリッさは繭化したムトゥスを背負いアラタの後ろについていた。
「冥界神殿までは人が来れるということだ、その先にも隠匿場所はあった方がいいだろう」
軍としてはそこまで追ってくることはないと思っていたが、ユルゲンたちは違う、戦争というハンティング場所が無くなれば必ずこちらにやって来る。
「ムトゥスはどうだ?」
「変わりない、まるで卵に還ったようだわ」
今朝の婆とのやり取りからアラタとマリッサの空気がおかしくなってしまった。
妙によそよそしく歯がゆい。
高所の黒笹の蕾は小さい、甘い香りはなく、(冥界の使徒)の気配もなかった。
「この辺には居ないようだな」
「黒笹の開花ど何が関係があるのがもすれね」
「だといいが・・・神殿に付くまで静かにしていてもらいたいものだ」
なぜだろう、天界の迷宮、その頂きに心を惹かれる、いや行かなければならないと感じる。
なぜなのかは分からない、登山やクライマーの趣味はない。
高度八千メートル以上はデスゾーン、人が立てる場所ではない。
しかし、自分がそこに立っている姿が浮かんで消えない。
丸一日登り続けた先に爺婆の夏小屋が見えてくる、迷路のような岩が立ち並ぶ隙間に建つ小屋は奥が洞窟に繋がっている。
奥は真夏でも冷んやりと涼しいという、天然の冷蔵庫だ。
「儂らは夏の間、魚や茸なんかを捕って保存食を拵える、冬になるとそれを持って低地に降りて猟師になるんさ」
「夏の山はええぞぃ、命が湧いとる、何を見ても美しいもんじゃ」
「中でも婆さんがえちばんきれいじゃ」
「持ち上げても何もでりゃせん」
「仲が良いんですね」
マリッサは少し羨望のまなざしを向けた。
「婆さんは魔族、儂は人族、異種間に子供はできんかった、でもその分二人で一緒じゃった、夏小屋と冬小屋をいったりきたり、もう何回繰り返したのか忘れちもうた」
「田舎では魔族と結婚する男衆は割と多いばい」
「でもな、山にいると毎年、毎日が新しいのじゃ、なんつーたらええか、山の神様が五月蠅いほどに話しかけちくる、山の神さんはお喋りじゃ」
「まーた、爺さん訳の分からんこと言いばってん、顔に似合わずロマンチストじゃ」
「山の神さんは女じゃから、あんまし婆さんと仲良くすっとやきもち焼かれてしまうぞな」
「アラタ兄やんも気ぃつけや、ヒヒヒヒヒッ」
「若輩者なんでね、まだ山の神様とは未見だよ」
この爺婆と一緒にいると一時間に一回は恋話でいじられる。
その度にマリッサが赤くなって俯く、だんだん可哀想になってきた。
純情なのだろう、仕事に、イーヴァンに尽くしてきた人生、その全てを無くした喪失感は一生消えないだろう、異世界人の我々が奪ってしまった。
その現実を直視しすぎれば、きっと心を焼き尽くしてしまう、別な視点が必要だ。
爺婆の存在はマリッサに取って、軸線の違う人生があることを教えている。
(命の使い方はまだ残されている、マリッサは若い、これからだ、姉さんとイーヴァンの分まで生きろ)
アラタは俯くマリッサの影に無念だったろう魔族の女たちの顔を見た気がした。
贖罪になどにはならない、でもマリッサとムトゥスは必ず守る。
マリッサの影に誓った。
「ガンガラシバナ?」
「そうじゃ、赤い割岩沢大滝、高さ千メートルを越える斜度五十度以上の岩壁じゃ」
「冥界神殿はガンガラシバナの上部にある洞窟の中にあるのじゃ」
「千メートル?上れるのか」
「垂直には登れんじゃろな、蛇行しながらいくしかあるまい」
「イーヴァン様は登られたのですね」
「ああ、あの跳ねっ返りは無理じゃ言うたら絶対登るちぅて聞かんせんかった、呼ばれておったんじゃろ」
「誰に?」
「山の神様とムトゥス坊に決まっとろおが」
「上からはアプローチ出来ないのか?」
「延々と黒笹の海原じゃぞ」
「くそっ、登るしかないか」
「私が行く、イーヴァン様がいけたなら私にも可能性はある」
「その訳の分からん武器を取りに行って死んでしもうては元も子もなかぞ?」
「ムトゥスを狙ってくるかも知れない敵に対して、このワルサーPPKだけでは頼りなさ過ぎる、伝説の神具が本当なら大きな助けになる」
「そんなら二人でいかんしゃい、その方が滑落を防げっとよ」
「そうじゃ、そうじゃ、ムトゥス様は儂らでちゃんと面倒みとくっとよ、心配いらなかぁよ」
「心配なのは異世界人の追撃者たちだ、爺婆を巻き込みたくは無い、あいつらも銃を持っている」
「なあに、洞窟の奥は迷路だ、簡単にはやられん」
「それにジダンは罠の名手ばい、返り討ちじゃ」
爺婆は目を合わせて笑う、単にムトゥスを預かれるのが嬉しいだけのようにも思えるが。
「行こう!アラタ!」
「分かった、しかし無理だと判断したら引き返す、武器の当てはもう一つあるんだ」
「爺婆に頼みがある」
樹海内は針葉樹の高木の中に黒笹が群生している、そこから先は広葉樹林帯となり、下草は全て黒笹だ。
冥界神殿は標高二千五百メートル付近、紅葉樹林帯の始まりに過ぎない。
「冥界というからには地下にあるのだろう、何でこんなに高いところで冥界なんだ?」
ジダン爺がサガル神山の頂上を見上げる。
「この山は標高一万メートル、この辺はまだまだ足先さ過ぎね」
見上げた頂きは雲に隠れて見るとはできない、その半分は雪が光を反射して銀色に輝き、風が運んだ雪がまるで銀のベールを伸ばしているようだ。
「じゃあ、天界の迷宮というのは標高何メートルにあるのだ?」
「それは分からん、地上からは行けん、冥界神殿から山の中を進むしかない」
「爺さんは行ったことがあるのか?」
「ねよ、その先はなんにもどれやすね、時間の無駄だべさ」
「シンとイーヴァンはどうだ」
「さあのう、いっとらんと違うかの、二人にもその暇はねがったと思う」
「アラタ、興味があるの?」
マリッさは繭化したムトゥスを背負いアラタの後ろについていた。
「冥界神殿までは人が来れるということだ、その先にも隠匿場所はあった方がいいだろう」
軍としてはそこまで追ってくることはないと思っていたが、ユルゲンたちは違う、戦争というハンティング場所が無くなれば必ずこちらにやって来る。
「ムトゥスはどうだ?」
「変わりない、まるで卵に還ったようだわ」
今朝の婆とのやり取りからアラタとマリッサの空気がおかしくなってしまった。
妙によそよそしく歯がゆい。
高所の黒笹の蕾は小さい、甘い香りはなく、(冥界の使徒)の気配もなかった。
「この辺には居ないようだな」
「黒笹の開花ど何が関係があるのがもすれね」
「だといいが・・・神殿に付くまで静かにしていてもらいたいものだ」
なぜだろう、天界の迷宮、その頂きに心を惹かれる、いや行かなければならないと感じる。
なぜなのかは分からない、登山やクライマーの趣味はない。
高度八千メートル以上はデスゾーン、人が立てる場所ではない。
しかし、自分がそこに立っている姿が浮かんで消えない。
丸一日登り続けた先に爺婆の夏小屋が見えてくる、迷路のような岩が立ち並ぶ隙間に建つ小屋は奥が洞窟に繋がっている。
奥は真夏でも冷んやりと涼しいという、天然の冷蔵庫だ。
「儂らは夏の間、魚や茸なんかを捕って保存食を拵える、冬になるとそれを持って低地に降りて猟師になるんさ」
「夏の山はええぞぃ、命が湧いとる、何を見ても美しいもんじゃ」
「中でも婆さんがえちばんきれいじゃ」
「持ち上げても何もでりゃせん」
「仲が良いんですね」
マリッサは少し羨望のまなざしを向けた。
「婆さんは魔族、儂は人族、異種間に子供はできんかった、でもその分二人で一緒じゃった、夏小屋と冬小屋をいったりきたり、もう何回繰り返したのか忘れちもうた」
「田舎では魔族と結婚する男衆は割と多いばい」
「でもな、山にいると毎年、毎日が新しいのじゃ、なんつーたらええか、山の神様が五月蠅いほどに話しかけちくる、山の神さんはお喋りじゃ」
「まーた、爺さん訳の分からんこと言いばってん、顔に似合わずロマンチストじゃ」
「山の神さんは女じゃから、あんまし婆さんと仲良くすっとやきもち焼かれてしまうぞな」
「アラタ兄やんも気ぃつけや、ヒヒヒヒヒッ」
「若輩者なんでね、まだ山の神様とは未見だよ」
この爺婆と一緒にいると一時間に一回は恋話でいじられる。
その度にマリッサが赤くなって俯く、だんだん可哀想になってきた。
純情なのだろう、仕事に、イーヴァンに尽くしてきた人生、その全てを無くした喪失感は一生消えないだろう、異世界人の我々が奪ってしまった。
その現実を直視しすぎれば、きっと心を焼き尽くしてしまう、別な視点が必要だ。
爺婆の存在はマリッサに取って、軸線の違う人生があることを教えている。
(命の使い方はまだ残されている、マリッサは若い、これからだ、姉さんとイーヴァンの分まで生きろ)
アラタは俯くマリッサの影に無念だったろう魔族の女たちの顔を見た気がした。
贖罪になどにはならない、でもマリッサとムトゥスは必ず守る。
マリッサの影に誓った。
「ガンガラシバナ?」
「そうじゃ、赤い割岩沢大滝、高さ千メートルを越える斜度五十度以上の岩壁じゃ」
「冥界神殿はガンガラシバナの上部にある洞窟の中にあるのじゃ」
「千メートル?上れるのか」
「垂直には登れんじゃろな、蛇行しながらいくしかあるまい」
「イーヴァン様は登られたのですね」
「ああ、あの跳ねっ返りは無理じゃ言うたら絶対登るちぅて聞かんせんかった、呼ばれておったんじゃろ」
「誰に?」
「山の神様とムトゥス坊に決まっとろおが」
「上からはアプローチ出来ないのか?」
「延々と黒笹の海原じゃぞ」
「くそっ、登るしかないか」
「私が行く、イーヴァン様がいけたなら私にも可能性はある」
「その訳の分からん武器を取りに行って死んでしもうては元も子もなかぞ?」
「ムトゥスを狙ってくるかも知れない敵に対して、このワルサーPPKだけでは頼りなさ過ぎる、伝説の神具が本当なら大きな助けになる」
「そんなら二人でいかんしゃい、その方が滑落を防げっとよ」
「そうじゃ、そうじゃ、ムトゥス様は儂らでちゃんと面倒みとくっとよ、心配いらなかぁよ」
「心配なのは異世界人の追撃者たちだ、爺婆を巻き込みたくは無い、あいつらも銃を持っている」
「なあに、洞窟の奥は迷路だ、簡単にはやられん」
「それにジダンは罠の名手ばい、返り討ちじゃ」
爺婆は目を合わせて笑う、単にムトゥスを預かれるのが嬉しいだけのようにも思えるが。
「行こう!アラタ!」
「分かった、しかし無理だと判断したら引き返す、武器の当てはもう一つあるんだ」
「爺婆に頼みがある」