第4話:洋楽聞いて、就職し、投資へ

文字数 2,051文字

 1977年は、英語を聞いたり、モータウン・サウンドに酔いしれた。また、英語に興味を持ち、アメリカ人の同年代のグラマーで可愛いペンパル「文通を相手」を見つけて英語の勉強を楽しみながら続けた。これにより英語の成績が良くなり、高専在学中に珍しく英語検定2級を取得。まさに「好きこそものの上手なれ」であった。

 肝心の化学の成績と言えば、物理化学、理論的な化学の成績はトップクラスだったものの実践的な化学の実験については、指先の不器用さと臭いが苦手という弱点が露呈。あまり良くなかった。そこで、同じ研究室の仲間に理論的なことを教える代わりに合成実験の方を任せた。こうして、何とか卒業論文を書き上げて提出し、卒論を受理してもらえた。

 そして、卒業前の一斉テストを受けて、最終学年5年化学科のテストの成績の合計点がトップになり、卒業時、化学科の総代となった。そのため、就職試験で、M化学に学校推薦で就職することが決まった。しかし、総代として卒業式の時、機械科、電気科、化学科の順に答辞を述べならないので研究室で仲間を前に何回も練習して抑揚をつける読み方を練習した。

 その結果、つっかえることなく1980年の春、卒業式で答辞を述べることができ、就職先も決まった。その後、父が蒔田亮三に株投資して資金をつくって将来大きい事業でもしてみろと言われ、わかったと答えた。そして、父の利用しているN証券へ行き証券口座を開き父が200万円を蒔田亮三の口座に入金してくれた。

 1980年4月1日、蒔田亮三は、東京高専化学科を卒業し学校推薦でM化成「現在のMケミカル」入社した。八王子から横浜線で長津田駅で降りて会社の専用バスに乗って15分ほどでM化成の研究所へ通い始めた。家を出て1時間20分かかり通勤ラッシュで疲れた。そのため父に行って研究所の近くのアパートに引っ越したいというと了解してくれた。

 そして、5月の連休を利用して4トンロングのトラックに本などを乗せて引っ越した。大和ハウスのプレハブ・アパートから研究所までは自転車で5分、徒歩で10~15分。アパートと言うよりも大きな勉強部屋という感じであった。しかしシャワーとトイレ、ガスコンロと電源があった。この頃、富士通マイクロ8という富士通初のパソコンの情報が流れた。

 アパートから会社へ自転車で5分で、雨の日は、傘をさして徒歩で約15分かけて研究所へ通った。研究所内には、多くの若い女性の研究助手が働いていた。しかし、あまり、華やかさとか、おしゃべりもなく、淡々と担当する仕事を続ける姿が印象に残った。蒔田亮三を始め、今年入社して10人は、2つのグループに分かれで研修が始まった。

 その後、聞いた話では、大学院のマスターと大卒、高専卒のグループに別れて研修が始まったようだ。その内容は、まるで学校の授業のようで実験の仕方と注意事項。さらに会社での1日、1週間、月間、四半期、1年のスケジュールの説明が細かく説明された。しかし、要するに言われた事をきちんと決められた時間内に正確に、こなせという指示が中心だった。

 そういう形式ばった説明が3日間続き、入社したメンバーの持ち場が決められ、発表され、それぞれの持ち場に移動していった。仕事の内容は、厳しかったが10時と15時の休みがあり、勤務条件としては悪くなかった。さらに残業することも滅多になかった。ただし、先輩、上司に言われたことを守らないと厳しく叱責されているのが印象的だった。

 5月20日に富士通マイクロ8が新発売された。それ情報を知り父に合格祝いとして富士通マイクロ8本体とディスプレイ、プリンターを36万円で買ってもらう約束をした。こうして年末休みに入り秋葉原に父と一緒に行き買ってもらいアパートまで送ってもらうことにした。こうして1981年が明け、初詣に出かけ、健康と投資の成功を祈願してきた。

 2月23日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日。3月2日、中国残留孤児47名が初の来日10月19日、福井謙一が日本人初のノーベル化学賞を受賞。4月22日、マザー・テレサが初来日した。1981年8月中旬の朝、証券会社の担当者から蒔田亮三に電話が大和ハウス株が236円と安く買いと言われた。

 それに同意し8千株成り行き買い注文を出し合計189万円で買え残金が11万円となった。10月28日、ロッキード事件、丸紅ルート公判で榎本敏夫の妻・榎本三恵子が「ハチは一度刺したら死ぬ」と田中角栄元首相の5億円受領を裏づける証言をし話題となった。11月5日、ロッキード事件の裁判で国際興業創業者の小佐野賢治に懲役1年の実刑判決が出た。

 11月13日、沖縄本島の与那覇岳で貴重なヤンバルクイナが発見された。しかし、その後、1985年9月、日本、アメリカ、西ドイツ、フランス、イギリスの「先進五カ国」の蔵相・中央銀行総裁会議がニューヨークのプラザホテルで開かれた。その会議の結果、この五カ国が為替相場に協調介入、ドル高の修正を試みた。
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