三十八の巻 時はきたり
文字数 4,997文字
私達はお得意の「今まで通り」をどちらともなく貫き、元通り上司と部下の仮面を被る日々を送っている。というのも。
『
目の前に、そんな共通目標があるからだ。
『では、倍返しという意味を込め、お
『なかなか良い案だが、それで全ての罪を吐くだろうか。それに失神でもされたら迷惑だ』
『……確かに。ではもういっそ、虫を部屋に忍びこませるとか』
『却下だ』
といった感じ。私と帷様はふざけながらも、美麗様にギャフンと言わせるべく、夜な夜な話し合い策を練った。そして、これならばと思う案がとうとう出来上がり、関係各所にその
一部の者には渋られもしたが、周囲の賛同をなんとか得たのち、ついにその日は訪れた。
「大奥に
気合い充分の私は、一先ず
(これが最後の大奥でのお勤めになるかもだし)
正直
(問題は帷様のやる気のなさだよなぁ)
『書簡を探す件は、重臣達が勝手にやった事であり、本人は「迷惑」だと思っている。だから見つからなくとも、誰もお前を
またもや他人事のような言い方で、帷様がまるで任務を終了させるかのような言葉を、私に漏らしたのである。
書簡の件はともかく、私に発情しかけた帷様は、多分
(だって、私になんか欲情しちゃったわけだし)
私は身をもって帷様の快方を確信し、当初の目的「
書簡の捜索打ち切りは非常に残念ではある。けれど……。
(まぁ、私も襲われたくはないし)
一度ある事は二度あると言う。次に同じような事があれば、断る自信がない。何故なら相手は天下の公方様だからだ。それに、お手付きになったら二度と外には出られない上に、
(私みたいな子を増やさないこと)
それだけは絶対守り抜きたい信念だから。
何より共に過ごす時間が長くなると、少なからず情が湧いてしまうというもの。情に
(だからそろそろ
私は
私は産まれた瞬間から双子という制約を受けている。けれど、更に大奥から出られないという制約までもを、甘んじて受け入れるつもりは
忍び者として、あちこち飛び回る。それだけは、私に許された唯一の自由だから。
「任務は完璧がいいけど、結果を残せれば良しとしなきゃ」
私は自分に言い聞かせる。そして「勝手知ったる」と言えるほど、もはや馴染み深いものとなった大奥の中。御火乃番の詰め所に向かい足を進める。
(何だかもうここが、第二の故郷のように思えてきたな)
まるで世界から男性だけが
狭い通路を、忙しなく通り過ぎる奥女中達はみな、こっそり文句を口にする事もあれど、特別なこの場にいる事を誇りに思っている。
(ここに来るまでは、もっと違った感想を抱いていたんだけどな)
正直外から見た大奥は、自由を奪われ、羽をもがれた鳥達が暮らす場所だと、中で働く奥女中達を
(
それは勿論、「いつか外に出られる」という確約があるから抱ける気持ちなのだろう。
だから手放しでいい場所だよ。
そんなふうに人には公言できない。
けれど、大奥という存在自体に賛否両論はあれど、中で出会った人は優しくて、楽しくて。私は生涯みんなの事を忘れない。
(ま、色んな意味で危機一髪もあったけどね)
今度は美麗様との決戦に向け、表の仕事に向かった帷様の顔を思い浮かべる。
(今日はいつも以上に緊張してたな)
改心したらしい帷様は、至って
(最初は女装
けれど、いざ離れる日が近い事を感じると、不思議と寂しく思う。
(でも、これでいい)
「よし、頑張るぞ」
私はパンパンと
***
美麗様を成敗する為に、先ず動いたのは帷様だ。
この知らせは瞬く間に、大奥中にまさに、「帷が降りるように」知れ渡る事となる。
「美麗様がお怪我されたから、公方様がご心配なさっているそうよ」
「え、でも普通に歩いていたって聞いたけど」
「嘘なんじゃない?」
「どっちが?」
「お渡りのほうよ」
「でも
「だとしたら、美麗様がご
「うわっ、微妙。おっと、失言」
「でもお世継ぎはきっと可愛いわよ」
お
私はしめしめと悪い笑みを浮かべつつ。
「美麗様は今頃何してるのかな」
素朴な疑問を口にする。
「お風呂よ、お風呂で身体を清めているはずよ」
隣を歩く、情報通のお仙ちゃんが得意げな顔で教えてくれた。
「二人の女中が十個も
「
「それは一部のお金持ちだけだよ。
確かにそうだと頷く。
私も当たり前のように「石鹸」などと口にしたが、年間を通して使用しているわけではない。父が誰かに貰ったりした時だけ、切り分けた
因みに帷様は、ある時からお風呂帰りは石鹸のいい香りをさせるようになった。
(確かに石鹸香る帷様は悪くない)
歩く香り袋のようでとても好ましい。その上部屋にわざわざ
(でもそれって、やっぱり帷様が公方様だからだよねぇ)
だから毎日舶来品である高級石鹸の、良い香りを漂わせ帰宅できるのだ。
(つまり経済的負担も少なく、資源を無駄にしない
納得した私は、お仙ちゃんと美麗様のお渡り準備について、皆と同じように少し浮かれた会話をかわしながら、
そしてあっという間に夜になる。
昼間のお勤めを終えた私は既に風呂を済ませ、作戦本部と化した、いつもの部屋。長局にて変装を開始する。
今日の変装は、普段するような全くの別人になりきる為に、入念に準備するわけではない。ただ単に普段のお化粧の風味を変え、しっかりとそばかすを消すよう、色をつけただけだ。
それから大奥で演じている御火乃番の「お
「完璧にいいところのお姫様っぽい」
私は鏡に映る、自分の変装に満足する。
そもそも忍びは存在感が
私は大奥でも存在感を消す事。
それを心がけて行動していたつもりだ。
集団で集まる時はなるべく発言を控え、むしろ何も知らぬ
勿論情報を得る為に仲良くしていた人は別だ。けれどそれはほんの
何故ならここは数百人の女が集まると言われている大奥だ。数百分の一であり、特段
万が一噂に上がるとしても、「美人な帷ちゃんの
きっと私の容姿すら的確に思い出せない人が多いはずだ。
(そう考えると、帷様の人選はあながち間違っていなかったのかもな)
くノ一連い組には私よりずっと見栄えが良い子がいる。けれど、そういう子は人の目を惹き、印象に残りやすいため、それなりに苦労しているようだ。
(ごくごく普通で良かった)
私は言い聞かせるように変装を終え、いつもよりは少しマシに見える自分が映る鏡を見つめた。
「つーかさ、何で女って、こんなにベタベタ塗らなきゃなんないんだよ。
私の隣で化粧を直しながら、今日の作戦に駆り出された
「ニヤニヤすんな。もう少し顔を引き締めろ」
「顔を引き締めろって、この顔は生まれつきなの。正輝こそ、タレ目がより垂れて情けない顔をになってるわよ?」
私は正輝が自分で引いた、ガタガタとはみ出した目元の線を見て、吹き出しそうになる。
「タレ目はお前と揃いで、生まれつきだ。というか、何で俺がこんな目に合わなきゃならないんだよ。つーか、こんなもんだろ」
正輝は口元に紅を塗った筆を
「そりゃ、美麗様をギャフンと言わせる為に決まってるじゃない」
私は正輝の頭に脱ぎ捨ててあった、島田髷に結ってあるかつらを乗せる。
「うわ、重っ」
正輝が
「文句言わない。私達は毎日自前でこの重さに耐えてるんだから」
「おみそれしました」
「わかればよろしい。よし、完璧!」
正輝の肩をポンと叩き、私は鏡にうつる自分と正輝を眺める。
「なんか、やっぱり俺たちって」
「似てるね」
性別も性格も、それから背格好だって全く違うはずだ。それなのに鏡に映し出される正輝と私はとても良く似ているように見える。
(だから鏡って好きじゃない)
普段はうまく隠しているはずの真実を、
「さ、準備完了。早く岡島様の所に行かなきゃ」
私は鏡に布をかけ、双子を映し出す鏡に強制的にさよならする。
「うぉっ、歩きずれー」
立ち上がった正輝が大股で歩こうとし、よろけた。
「ちょっと、女の子なんだから、もっとチョコチョコ小股で、しかも内股で歩くのよ」
正輝に見本を見せてみる。
「わかってる。けど女の着物って、ほんと重たいし、頭のかつらも重いし」
「でもわりと似合ってるわよ」
「やめてくれ。今回だけだ。帷様が女装を嫌がる気持ちが理解できるな……」
正輝はうんざりとした声を出した。
そんな正輝を見ながら思う。
(やっぱり、私が二人いるみたい)
あまりいい気はしないが、今日の作戦のためとあれば仕方がない。
「よし、こうなったら、とことんやってやる」
気合充分といった正輝に、私は大きく頷くのであった。