三十七の巻 公方様、ご乱心

文字数 4,346文字

 私は自分が表に出られない事を重々承知し生きているつもりだ。そして内心、双子という存在をまるで鬼の悪行であるかのように、憎み、排除しようとする、この国を恨む気持ちもしっかりと抱いて生きている。

 けれど、そんな非情な迷信地味た話を信じきる桃源国(とうげんこく)の中には、私を生かし影から支えてくれる、とても心根(こころね)の優しい人達がいる事も確かな事実だ。

 だから私はこの国が無くなっていいとは思わない。今の時代のような、平和がずっと続けば良いと願ってやまない。

 そのために必要な存在の一つは、間違いない。東雲(しののめ)家の正当なる血筋を持ったお世継(よつ)ぎだ。しかし私の失言により、(とばり)様は深く傷つき「御三家(ごさんけ)から跡継ぎを」などと口にされてしまった。

 これは非常にまずい状況だ。

 私はゴクリとつばを飲み込み、喉の通りを良くしたのち、口を開く。

「ご、御自分を責めないでください。大奥にいる者は全て、帷様に仕える事を心から誇りに思っておりますし、伊桜里(いおり)様の事を寵愛(ちょうあい)されていたお気持ちを理解しつつ、お国の為になるのであれば、喜んで身を差し出す覚悟は出来ております」

 (勿論、身を差し出す覚悟があるのは、私以外の「みんな」だけど)

 私は必死に自分の失言を挽回(ばんかい)しようと、思いつくままに言葉を紡ぐ。

「だから帷様におかれましては、何卒(なにとぞ)前向きにお考えいただければ幸いでございます」
「それは一体どういうことだ?」

 (いぶか)しげな声が暗闇に響く。

「つまり、準備が出来ているということです」
「準備?では今ここで俺がこの屏風(びょうぶ)を蹴飛ばし、お前を無理矢理手籠(てごめ)にしても、仕方がない、世継ぎの為だと、素直に俺に抱かれるというのか?」

 帷様が私なんぞを例に出し、不穏な言葉を発した挙げ句、不機嫌な声で私に尋ねた。

 (ご、ご乱心なさったのかな?だ、抱くとか聞こえたような……)

 私は帷様の発した言葉の意味を再度噛み締め、青ざめる。
 思えばこの状況は呑気(のんき)としか言いようがない。ピカピカな屏風(びょうぶ)一枚隔てた向こうには、大奥の女をより好み可能な(あるじ)がいるのである。

 (ただ、まさかそんなことあるわけないって思ってたし)

 そういう可能性についての心の準備はしてこなかった。

 残念ながら私には未だ子作りの経験はない。しかし忍術を学ぶ延長線上で知った、具体的な方法についての知識はある。

 (それに、断ったりしたら、父上や伊賀者(いがもの)達に迷惑がかかるかも知れない)

 公方様の申し出を断るだなんて、(おそ)れ多くて無理だ。

「そ、それは……公方(くぼう)様が望まれるのでありましたら……頑張ります……だけど私はやめておいたほうがいいと……」

 最後は消え入りそうな声になってしまった。

 (父上、ちゃんと説明してくれたんだよね?)

 私は父が「事情は説明しておいた」と言っていた言葉を祈るような思いで信じる。と同時に、「お手付きをされたら二度と出られない」という同じ父の口から飛び出した言葉を思い出し、絶望感で打ちひしがれた。

 (私、大奥で一生暮らすの?)

 突然身に降り掛かった驚愕(きょうがく)の事実と未来にひたすら焦る。

「構わん。俺だってお前と同じような理由を抱えた日陰者(ひかげもの)だからな。光晴(みつはる)で良いと言う覚悟を持ったのであれば、俺だっていけるはずだ」

 帷様は訳の分からない理由を口走ると、突然立ち上がった。

 そして屏風越しに私を見下ろす。

 暗闇との相乗効果によって、帷様の落ち武者感が更に増している。正直怖い。

「俺だって男なんだぞ。毎日まいにち、生殺しのような状態が続いてるんだ。それにお前もいいと言った」
「え、意味が分からないです」

 帷様は屏風を丁寧に折りたたむと、壁にたてかけた。そして布団に入り、半身を起こしたまま唖然とする私の横に何故か背筋をピンと伸ばし、正座した。

「このような、雰囲気もへったくれもない状況ではあるが、俺はお前を抱きたい。いいか?」

 薄暗い中、帷様が欲望丸出しの発言をする。

 (こ、断ったら)

 きついお咎めがあるかも知れない。
 私の脳裏に、父と兄の家族と正輝(まさき)。それからお多津(たつ)に馴染みの伊賀者達が揃って路頭に迷い、その挙句、野垂れ死ぬ姿が浮かぶ。

 どうしてこうなったのか。
 もはやわからないし、考える猶予(ゆうよ)もない。

 ただ一つ思うのは。

 (権力に逆らうといいことなんてない)

 覚悟を決めた私は掻巻(かいまき)を強く握る。

「あ、有り難きし、幸せでござりまする」

 私は覚悟を決め、ギュッと目を閉じる。すると衣擦れの音が響き、帷様の大きな手が私の肩をしっかりと掴んだ。

「許せ」

 帷様は短く言うと、私を布団へ押し倒す。
 私は目を(つぶ)ったまま、自分の背中が敷布団に触れた瞬間思う。

 (私の中に帷様の子が宿るかも知れないんだ)

 それを自覚した瞬間、紙風船がパンと割れるように、私の心は張り裂ける。

 (私と同じ運命を背負う子を産み落としてはならない)

 そう強く感じ、口が勝手に動く。

「ごめんなさい、無理です」

 私はパッと目を開け、謝罪の言葉を口にする。

「え?」

 私の上に覆い被さり、キョトンとした顔を見せる帷様。

「私には、子を産む資格はありません」

 帷様にも、自分にも。諭すように言うと、思い切り帷様の大事な部分を蹴り上げた。

「…………!!」

 私の与えた衝撃によって、帷様の手が緩む。その瞬間、猫のようにしなやかに体をくねらせ、帷様の下からすり抜ける。

「ぐふっ」

 帷様は思いの外激しく布団の上で悶絶(もんぜつ)すると、そのまま動かなくなった。

「だ、大丈夫ですか?」

 大事な公方様の身に何かあっては……というか、私の蹴り上げた部分は最も何かあってはいけない場所だ。

「も、申し訳ございません」

 一応心配になって声を掛けてみるが、帷様は布団に前かがみになり、小さく唸るだけ。

「無礼をお許し下さい。けれど、私は桃源国(とうげんこく)で忌み嫌われる双子の片割れです。もし今日この場の雰囲気で私とそういう事になったら、この身に双子が宿ってしまうかも知れません。それに私は任務中だし、何より伊桜里様に、貴宮様にも申し訳が立ちません。ですから有難い事ではありますが、謹んで辞退させて頂きます」

 私が言いきると、身体を半分に折り悶絶する帷様がよろよろと手を伸ばした。

「に、握りませんよ」

 私は警戒する。やっぱりお国の為とは言え、私にはそのお勤めは無理だ。

 (だって忌み子だもん)

 百歩譲って私はいいとしても、産まれて来る子に同じ思いはさせたくない。

「すまぬ、せめて」
「せめて?」
「情けを」
「は?聞いてました?私が言った事」

 全く懲りない男だと、私は帷様をため息と共に見下ろす。

 (悪いけど、ただのやらしい男の人にしか見えないんだけど。さいてい!!)

 しかも、美麗様とだって、こんな風にその場の雰囲気に流され、男女の関係になったに違いない。

「見損ないました」
「お前がいいと」
「言ったかも知れませんけど、やっぱり駄目です」

 私は不敬(ふけい)を承知で帷様を拒む。
 こうなってしまえば、どうにでもなれの心境だ。
 家族には悪いが、みなで野垂れ死んでもらうしかない。家族には、私という人間をこの世に産み落とした(さが)だと、連帯責任で諦めてもらう。

「なんだよそれ……」
「私は双子ですから。その意味わかりますよね?私が服部半蔵(はっとりはんぞう)正秋(まさあき)(むすめ)でありながら、十七にもなって嫁いですらいない。それはそういう事なんです。帷様は私と共に日陰者(ひかげもの)となる覚悟がおありですか?折角国中の人達に望まれ産まれて来る子に、日陰者としての道を歩ませたいのですか?」

 私は帷様に言い聞かせるように「日陰者」という言葉を何度も口にし強調した。

「理解している。というか、そもそもお前が俺を(あお)るような事を言うのが悪い。男は単純で、本気にしやすい生き物だ。気をつけろ」

 人のせいにした帷様が、ゴロンと私の布団の上で仰向けになる。

「俺はお前の気持ちが手に取るようにわかる」
「そんな訳ありません」

 (双子じゃない人が理解出来る訳がない)

 私は誰よりも恵まれた場所に生まれたであろう、将軍である帷様に、恨みがましい視線を送る。

「何故双子など、この世に生まれて来るのだろうか。この世は拒絶ばかりするくせに。そうやって世を恨む気持ちだ」

 帷様の言葉にドキリとする。それは私が考えないようにしているけれど、何処かでしっかりと抱えている気持ちだったからだ。

「俺達が望むのは、皆と同じ。人並みでいい、ちっぽけな幸せなんだ」

 帷様がまるで自分の事のように、私の気持ちを代弁する。

 (あぁ駄目だ)

 私の中に、自分でもどうにも出来ない気持ちがこみ上げてくるのを感じる。

 (完全に負けだ)

 欲望に負けて、伊桜里様の事を傷つけて、貴宮様に寄り添う事もしない。そんな許せない事ばかりをする女の敵のような男の人なのに。

 (私は帷様をもう許そうと思ってる)

 その事に気付いた私の口は勝手に開く。

「さっきは、御乱心(ごらんしん)なさったから、この世の終わりだと思いました。でも、今の公方様はこの国に必要な御方(おかた)だと、私は思い直しております」

 私が本音を告げると、帷様は眉を(ひそ)めた。

「その呼び方はやめろ。せめてお前の口からは俺の名を聞きたい」
「……帷様ですか?」

 私は素直に口にしてからしまったと思う。
 何故なら目の前の落ち武者様の名は「光晴」だ。それなのにうっかり偽名であるほうの名を私は当たり前のように、口にしてしまったからだ。

 (ご、ごめんなさい)

 またもや叱られるのだろうかと、恐る恐る帷様をうかがう。すると暗闇の中でもはっきりと、帷様が満足げに微笑んでいるのがわかった。

「お前が口にすると、だいぶ悩まされてきた俺の名は世界一良い名に聞こえる。すまないな、今日は色々ありすぎたようだ」

 帷様はゆっくりと立ち上がる。そしてすごすごと屏風を定位置に戻す。
 私と帷様をしっかりと隔てる頼りない、キラキラと(まぶ)しい境界線だ。

「俺が言うのも何だが、ゆっくり休め」

 私にそう告げると、帷様は自分の陣地にいそいそと消えていく。それから布団に入る衣擦れの音が響いた。

 私は困ったなと動揺しながら、布団に入る。

 帷様は人としてどうかと思う部分がいっぱいある。そう思わざるを得ないような、(ろく)でもない人なのに、それら全てを許そうとしている自分がいる。

 (やだなぁ、この気持ち)

 嫌だ、嫌だと思いながらも、先程帷様が私の気持ちを代弁してくれた事が嬉しくて頬が勝手に緩んでしまう。

 人並みな幸せ。それは私が望んではいけないと理解しつつ、つい欲しいと願ってしまうものだ。

 ((ほだ)されちゃだめ。私は伊賀者くノ一連い組の女)

 男を(だま)しても、自分が男に騙されてはいけないのだ。

 (敵はすこぶる厄介な御方だけど)

 私ならできると、しっかりと自分に言い聞かせる。
 そして心が落ち着いた所で。

「おやすみなさい」
 
 思いの外、帷様に優しく告げてしまうのであった。
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