一の巻 嬉しい知らせ

文字数 4,490文字

 肌を撫でる風が少し冷たく感じるようになり、山々が美しく彩られる秋を迎えた桃源国(とうげんこく)。移りゆく春夏秋冬の変化は、この国に住まう人々の代わり()えしない日々に、(こよみ)を再確認させる大きな役割を果たしている。

 それは伊賀者(いがもの)、くノ一連い組に所属する私。服部琴葉(はっとりことは)の周囲にも平等に訪れるもので。

 (秋と言えば紅葉狩(もみじが)り。紅葉狩りと言えば行楽弁当。行楽弁当と言えば、忙しい)

 現在、桃源国を統一する将軍のお膝元となる江戸(えど)では、秋の風情(ふぜい)を楽しもうと、賑わう人で通りが埋め尽くされている。

 そして、移り変わる季節を満喫(まんきつ)しようと、皆がこぞって出かける紅葉狩りに欠かせないのは何と言っても旬の食材。現在のところ、栗に松茸にさつまいにほうれん草。それにサンマも食べ頃を迎えている。

 通りには松茸やサンマの食欲そそる香りが漂い、人々が「どこどこの紅葉は見頃だ」などと、浮かれた会話を盛んに交わす中。
 くノ一として私が半年前から潜入している小料理屋鳴瀬(なるせ)においても、連日満員御礼(まんいんおんれい)状態。目がまわるほどの忙しさを迎えていた。

「おい、栗ご飯が炊けたぞ」
「あい」
「菊酒に浮かべる菊はどこだ」
「知らねぇよ、おめぇがさっき千切ってただろうに」

 私が立つ台所にも通りと同じ。食欲をそそる香りが充満していた。と同時に少しばかり、殺気立つ声も飛び交っている。

 そんな状況の中、(しの)(もの)である私は一人諜報活動に(いそ)しんで……と言いたい所だが、あいにく今はごぼうと真摯(しんし)に向き合っているところだ。

 (ごぼうは一分一厘(いちぶいちり)の狂いもなしにっと)

 分厚いまな板の上に乗せられたごぼう。
 それを丁寧(ていねい)に、しかし素早く同じ太さで短冊(たんざく)切りにしていく。

 (実に難儀(なんぎ)な作業だわ)

 コンコンコンと小気味よい音を立て、集中し、ごぼうをよく()がれた切れ味抜群の包丁で刻んでいく。

「お(こと)。おめぇは、だいぶ腕が良くなってきたな」

 ごぼうを短冊切りにする私を褒めてくれるのは、料理人頭(りょうりんがしら)として台所を監督する(げん)さんだ。

 江戸っ子らしく、口は悪いが腕は立つを地で行く人物で、ひょっとこみたいな青ひげが特徴の壮年男性である。

「おめぇさんがここに来た時にゃ、何も出来なかったのになぁ。料理のうまい女を嫌う男はいない。おめぇもきっと直ぐに嫁の貰い手が出来るだろうよ」
「……ありがとうございます」

 源さんのその言葉に私の胸は少しだけ痛みを覚える。
 何故なら、任務完了に伴い、もうすぐこの慣れ親しんだ小料理屋を後にしなければならないからだ。
 嫁のあてに関しては言わずもがな。私を嫁にしようだなんてそんな奇特(きとく)な人は今も、この先も現れる事がないので今更心は(いた)まない。

 (今回の任は情報収集だったから楽だったしなぁ)

 何より料理を覚えられたのが個人的には嬉しかった。だからもっと様々な料理を源さんに教わりたい、というのが本音でもあり私の願望でもある。

 (でも、また次の任務予定もあるって言ってたし)

 忍び者である私がここで料理人として一生を終える事は無理確定。よって今この瞬間を大事にすべしが、吉なのである。

「嫁の貰い手といえば、殿さんのお世継(よつ)ぎ誕生つう、めでてぇ話は一体いつになりやがったら聞けるんだろうな」
「あぁ、全くだぜ。それ以外は文句の付け所のねぇ、まさに天与(てんよ)の人つう、感じなんけどなぁ」

 ごぼうと格闘する私の耳に、近くでサンマを手際よく(さば)きながら会話を交わす男達の声が届く。

 (ええと、若いながらも聡明で武勇に優れ、さらに政治手腕も優れている天与(てんよ)の人だっけ)

 私は桃源国を統一する、第二十五代征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)東雲(しののめ)光晴(みつはる)様に対する町方(まちかた)での評判を思い出す。

「でもよ、前の殿さんが急死しちまったからなぁ。色々と若いのに頑張ってると思うぞ。確かまだ二十歳そこらの若造だろう?」
「だよなぁ。だとするとよぉ、いつになっても子が出来ねぇのは、側室になったっちゅう、町奉行(まちぶぎょう)んとこの、姫さんの方に問題があるんじゃねぇか」
「とにかくよぉ、お世継ぎ問題で揉めるのだけは勘弁だぜ。こっちまで景気が悪くなっちまう」

 ((うわさ)好きなのは、私達女性の特権だと思っていたけど)

 男性もわりと、言いたい放題である。

「おめぇら、くっちゃべってねぇで、さっさと手を動かせ!」

 源さんがその場に漂う、何とも言えない雰囲気を打ち消すように怒鳴りつける。

「へい!すいやせん」
「へぇい」
「あい」

 話に夢中になっていた面々は、肩をすくめつつ、それぞれ与えられた仕事を再開した。

 (東雲家の安泰(あんたい)を図るには長幼(ちょうよう)(じょ)を守ることが肝心……だっけ)

 私は初代将軍の言葉を思い出す。
 その言葉を東雲家は現在に渡るまで守り抜いてきた。そして代々長子(ちょうし)として誕生した者を跡継ぎとし、幼き頃よりしっかりと帝王教育を(ほどこ)している。

 (だから私達は平和な世に生き、それこそ紅葉狩りなんて、風情たっぷりな季節ごとを楽しむ余裕があるわけで)

 現に将軍光晴様は、他国との争いごとを未然に防ぎ、国民の生活が豊かになるよう努めている。そして文化の発展にも力を注ぎ、世界中から多くの学者や芸術家を招いたりといった努力もされているわけで。

 (何だかんだ言って、結構優秀な方よね)

 後はお世継ぎ問題さえ解決すれば、桃源国がますます発展するのは間違いない。

 (とにかく子作りを頑張って下さい、公方様)

 私はごぼうを切りながら、お会いした事もない光晴様に対し、切に願うのであった。


 ***


 服部琴葉が他人事(ひとごと)全開で「子作りを頑張れ」と応援している頃。

 当の光晴本人は、桃源国の政務の中心でもあり、居を構える江戸城本丸中奥(なかおく)にいた。そして、城内でも知る人ぞ知る隠し部屋において、とある報告を受けていた。

「……それはまことか?」

 上段(じょうだん)に座る光晴は腕を組み、思わずといった様子で声を上げる。

「間違いない」

 疑う様子を見せる光晴に対峙(たいじ)する形で座るのは、その名を(とばり)と呼ばれる青年だ。

 光晴に瓜二つである、(りん)として整った顔をした帷は、光晴と同じ親から同じ日に生まれた弟だ。

 つまり本来ならば、表で堂々と謁見(えっけん)するに値する「将軍の弟」である。しかし現在二人が顔を合わせているのは、風通しも悪く、光の当たらぬ暗い部屋。

 これには深い事情がある。

 というのも、継承問題が勃発する事を嫌う東雲家は、古くから「双子は凶兆(きょうちょう)」としてきた。

 通常歳の違う兄弟であった場合、年功序列(ねんこうじょれつ)通り、兄が家督(かとく)を継ぐのが自然の流れとなる。しかし同時に生まれた多胎児(たたいじ)の場合「どちらが跡を継ぐか」と、話がこじれかねないからだ。

 現に東雲家でも双子により政権が揺らぎかねない事態が起きた事がある。

 運が良いのか悪いのか。
 双子の弟の方が優秀とされる代があった。

 しかし東雲の(おきて)では、長子継承が絶対だ。
 よって、周囲を巻きこみ揉めに揉めた末、長子が弟を殺すという、悲惨な事件が起きてしまったのである。

 そのような、かつての苦い経験もあり、東雲家の双子の弟としてこの世に誕生した帷の存在が(おおやけ)にされる事はない。

 帷は人知れず、影の道を歩んでいるからこそ、生かされているのである。

懐妊(かいにん)とは、まことなのか?」

 突然の知らせに驚いたのか、光晴が帷に先程と同じ言葉をかける。

「めでたいことなのに、嘘をつく理由などないでしょう。なぁ、宗範(むねのり)そうだろう?」

 自分では(らち)が明かないとばかり、帷は背後に控えている、大老(たいろう)を務める初老の男、柳生(やぎゅう)宗範に話しの主導権を譲る。

「はい、帷様の仰る通りでございます。本日大奥より報告を受け、奥医師(おくいし)である曲直瀬(まなせ)殿を向かわせたところ、伊桜里(いおり)様にご懐妊の(きざ)しが見られたという事でございます」
「なんと、まことであったか。そうか、私に子が」

 光晴は、もたらされた報告を噛みしめるように喜びの声を上げる。

 それもそのはず。天与の人と名高い光晴であったが、政権を担ってから二年。未だ子に恵まれなかったのである。

 そもそも最初の一年は父、秀光の喪に服していた。しかしその事を考慮しても、喪が明けてからの一年は、それなりに大奥に足を運んでいたはずだ。

 しかし一向に子宝に恵まれない。

 最近ではその事を危惧(きぐ)する声も周囲からちらほらと上がりはじめ、光晴も、そして弟である帷もまた、どこか焦燥感(しょうそうかん)のようなものを抱いていた。

 そんな中での吉報だ。

 これで東雲家の安泰はひとまず、確約されたようなものである。

「すぐに伊桜里に祝いの品を用意しなければならぬな。なぁ、帳よ。あいつは何が喜ぶだろうか」
「兄上、まずは落ち着いてください。曲直瀬によると、今は大騒ぎをせず安静にとのことです」
「しかしなぁ、喜ぶなと言う方が無理だ」
「そのお気持ちは理解いたしますが、祝いの品よりもまず、伊桜里様に労いの言葉を述べるのが先では?」

 帷は、喜びのあまり今すぐにでも大奥へ駆け込みかねない光晴を(なだ)める。

 とは言え、幼馴染であり、自らが懇願し大奥へ招いた伊桜里が懐妊したのだから、光晴の喜びは当然であろう。

「今宵は伊桜里の元へ参る事にしよう」

 嬉しさを隠そうともせず、光晴が言う。

「今宵もでしょうに。それにきっと、伊桜里様の面倒を見ている御年寄(おとしより)岡島(おかじま)が父と母の墓に報告を兼ね、代参(だいさん)に参ると申しだす気がします」

 帷はすでに今後の動きをよみ、光晴に進言する。

 現在伊桜里を含む、大奥にいる者達の面倒をみている岡島は、光晴と帷の母である天優院(てんゆういん)の代からその座につく者だ。

 よって、この慶事を真っ先に伊桜里の名代(みょうだい)として、前将軍秀光とその妻、天優院の墓前に報告したいと申し出るのは間違いない。

「情に厚い岡島のこと。必ずそのように言い出すだろう。ただ伊桜里にとっては母も同然と慕う岡島に何かあってはならぬ。服部(はっとり)に一番優秀な『くノ一』を密かに警護につけるよう、伝えておけ」
「御意。それから、大奥内においてこの事を公にする時期ですが」
「帷、話は後でゆっくりと聞く。今はともかく伊桜里に文をしたためよう。筆を持て」
「……かしこまりました。宗範、用意はあるか?」

 帳は浮かれた様子の光晴に呆れた顔を向けつつ、それも致し方ないことだと潔く諦める。将軍だろうと、今この瞬間くらい、喜びに浮かれる権利はある。そう思ったからだ。

「こちらに」

 そうなることを見越していたのか、宗範が(すずり)(ぼく)を光晴に手渡す。

「さて、何と書こうか。どうせなら和歌が良いかもしれん。よし、『初秋の月夜にそぐわぬ我が心』でいくぞ。お前達も手伝え」
「そのくらい自分で考えろと、兄上には進言したいところですが」
「私は最高のものを贈りたい」
「……仕方ない。宗範、紙は?」
「ここに。すでに準備は整っております」

 帷が尋ねると、宗範は満面の笑みで半紙を手渡した。

「相変わらず、仕事が早いな。では早速始めるとするか」

 こうして三人は政務を放り出し、伊桜里への祝辞を考え続けた。

 心底嬉しそうに笑う光晴。
 帳は苦笑いを浮かべつつ。
 そんな二人の様子を微笑ましく見つめる宗範。

 この場にいる三人とも、同じ思いを共有していた。

 やっと東雲家に待望のお世継ぎ候補が誕生する。
 これで東雲家にも明るい未来が開けるであろう、と。

 その時は一同、信じて疑わなかったのであった。
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