十九の巻 ご飯つぶと幽霊の足

文字数 4,647文字

 美麗(みれい)様の部屋で(とばり)様が見つけた、真鍮(しんちゅう)の小さな塊。決論から言うと、それはやはり伊桜里(いおり)様のもので間違いないそうだ。

 いつも通り、猫の額ほどの部屋で向かい合い、夕餉(ゆうげ)を済ませている時。私はご飯つぶを口元につけた、うっかり屋さんの(とばり)様からその事を知らされた。

 因みに美麗様の夜廻(よまわ)りは無事、お役御免となっている。理由は簡単だ。

 『美麗様より、二人を任から外すようにと直談判(じかだんぱん)されました。あなた方は何をしたの?しかもグチクチ、ネチネチ、しつこくあの方に文句を言われた挙句、最終的に私の容姿まで(けな)されて、地獄に()ちろと願いそうになりました』

 御火乃番頭(おひのばんがしら)であるお(きよ)様に、多大なるご迷惑をおかけした結果、帷様と私は晴れて自由の身となったのである。

正輝(まさき)に例の欠片(かけら)を渡したところ、伊桜里が大奥入りをする際、実家より持たされた小刀の縁頭(ふちがしら)についていたものではないかと言っていた」

 帷様は懇切丁寧(こんせつていねい)に、解明された事実を明かしてくれる。

「正輝は何故、そんなに詳しくわかるのですか?」

 個人的に正輝が伊桜里様と懇意(こんい)にしていたという印象のなかった私はたずねる。

「大奥の御祐筆(おゆうひつ)が記した目録(もくろく)。そして御広敷御用人(おひろしきごようにん)が記した出入り台帳など。一通り残されたものを洗いざらい調べたところ、判明したそうだ」
「それは確かな情報ですね」

 どうやら正輝は真面目に仕事をしているようだ。

「正輝はその小刀について、新たな事実が判明次第こちらに知らせるとのことだった。ん?これはうなぎの蒲焼(かばや)きではないのか」

 帷様が訝しげな顔で、口に入れた物の残りが乗る皿を見つめた。
 
 帷様の視線の先には、確かにうなぎの蒲焼にそっくりな物体、せたやき芋がある。作り方は至って簡単。すりおろした山芋にくず粉を加え練ったものに、蒲焼のタレを塗って焼いただけだ。

 そもそも「寿司」、「蕎麦」、「天ぷら」に「うなぎ」と言えば、江戸の四大名物と言われている。しかしうな丼を外で食べようとすれば、最低でも、一杯六十四(もん)はするだろう。因みにかけ蕎麦が一杯十六文なので、うなぎは高級品であり、庶民が気軽に食べられる物ではない。そこで工夫を凝らし、うなぎに似せた「せたやき芋」という料理が出来たのである。

 (いつでもうなぎを食べられるくらい潤ってるお侍様なら、こんなの食べないのかも知れないけど……)

 私はいわゆる庶民の味といった、せたやき芋がわりと好きだ。

「お口に合いませんでしたか?」
「いや、うまい。しかし、うなぎではないとすると、一体これはなんだ?」

 不思議そうな顔で問いかける帷様の口元には、ご飯つぶ。

「ご飯つ、ご飯に合うかと思って。本当は「せたやき芋」と言って、山芋なんです」
「まんまと騙された。しかしお前の料理がうまいせいで、任務中なのに太りそうだ」

 夜廻りを回避できた帷様はニコニコとご機嫌だ。

 (言えない)

 帷様にご飯つぶがついているだなんて、言えない。

 (私の料理を美味しいと言ってくれる。そんなお優しい帷様に「ご飯つぶが口元についていますよ」なんて)

 言えない。

 たかがご飯つぶ。されどご飯つぶ。無視できない状況に、私の心は荒ぶる。

「俺は料理などできぬ。よって、お前にばかり負担をかけてしまい、すまないな」

 帷様が突然、私を(ねぎら)う言葉をかけてくれた。
 
 どうした風の吹き回しなのだろうか。もしかして、ご飯つぶがついていると、心が満たされるのだろうか。

 (お米は私達の主食だから?)

 もはや思考が明後日の方向に飛び始めた私。しかし何とか理性を総動員させ、冷静を装う。

「恩返しなんていりません。私のこれは息抜きのようなものですから」

 閉鎖的な大奥で、女中たちはそれぞれ息抜きを見つけている。それは井戸端会議だったり、縫い物であったり、美味しい物を食べたりと、三者三様だ。

 そんな中、私はどうやら料理をすることが息抜きになっているようだと気づいた。と言うのも、普段は屋敷の使用人達が全てやってくれる為、私は料理などしない。だからここでは自炊しなければならないと聞いた時は、上手くこなせるか不安でしかなかった。
 けれど、ここではやらざるを得ない。御目見得以下(おめみえいか)の役職に就く人間が私用に誰かを雇う事は許されていないからだ。
 
 そして、何とかやっているうちに、意外にも楽しく思えてきた。

 だからわたしにとって、料理は息抜き。自由の少ない大奥で、人らしくいるための、心の栄養剤のようなものかも知れない。

「息抜きか」
「帷様の息抜きは何ですか?」
「俺の、息抜き」

 帷様は呟くと、黙り込んでしまった。聞いてはいけない質問だったのかと、私は少し焦る。

「息抜きをしなくてもいいなら、それに越したことはありませんから、特になければ」
「うまい飯を食うこと、だな」
「え?」
「どうせ腹にはいれば同じ。そう思っていた頃もあったが、うまい飯を食う。すると幸せな気分になる事を知った。だから至極単純だが、俺はそれが息抜きかも知れん」

 ご飯つぶをつけた帷様が言うと、妙な説得力がある。そして「うまい飯を食う」それは間接的に私が褒められているような気がして、自然と頬が緩む。

「お前は、夜廻りをしていた時に目撃した白い女。あれをどう思う?」

 突然帷様が話題を変える。
 
 白いと聞くと、ご飯つぶが思い浮かぶくらい、ご飯つぶで思考が埋められているが、私はくノ一連い組の女。よってご飯つぶという煩悩(ぼんのう)を断ち切る事など朝餉(あさげ)前。

「幽霊ではない事は確かですね。そして美麗様もまた、幽霊ではない。その事をご存知だと思います」

 私はきっぱりと断言する。

「幽霊ではない。それには同意だが、美麗が知っているという、その根拠はあるのか?」
「はい。幽霊騒ぎの翌日。美麗様のお住まいにうかがいました。あの時、美麗様は幽霊について「駆け足で消えていった」と言ったんです」

 私が伊桜里様の幽霊を見たとはっきり口にしなかった時。

 『昨日あなた達は、幽霊が駆け足で消えていった現場にいたじゃない』

 美麗様は確かにそう口にした。

「言っていたような気もするが、それが何故、美麗が幽霊ではないと知っている。その根拠になるんだ?」
「そもそも帷様の想像する幽霊に足はありますか?」
「……ないな」

 帷様は訝しげな表情をしつつも答えてくれた。

「そうなんです。桃源国(とうげんこく)では、幽霊には足がない。そのような認識が定着しているのです」
「確かに」
「一節では、有名な浮世絵師が描く幽霊に足が描かれていないからだと、言われています」
「百歩譲り、もし実際に幽霊に会ったとしても、驚きが勝り、まじまじと足があるかどうかを確かめたりする暇はないだろうからな」

 帷様の推測に私は「その通り」だと頷く。

「何故浮世絵師(うきよえし)は幽霊の足を描かないかについてですが、そもそも幽霊を任意に呼び出すには、昔から何を使うと良いと言われているか、帷様はご存知ですか?」
「その煙の中に死んだ者の姿が現れると言われている、反魂香(はんこんこう)か?」
「正解です。しかしあれも作り話です。ただ、有名な幽霊の絵に揃って足が描かれてないのは、この反魂香が大いに関係していると言われています」

 帷様がパッと明るい表情を見せる。

「そうかそういう事か。呼び出された死者の足元が、ゆらゆらと揺れる反魂香の煙によって隠されている。だから足が見えない、描けないというわけか」

 いい終えた帷様はスッキリとした表情になった。

「だけどそれを知る人は少ないはずです」
「そうだな。大抵の人は幽霊には足がない。ただただ、そう思い込んでいる」
「つまり美麗様が「駆け足で」という部分に私は違和感を覚えました。そしてきっと幽霊に化けた人の存在をそもそもご存知だった。だから「駆け足」と口にされたのだろうと思ったわけです」
「なるほど。一理(いちり)あるな」

 ご飯つぶをつけたまま、真面目な顔で頷く帷様。

「真鍮の欠片。そして幽霊の件。それらについて、私達から美麗様にゆさぶりをかけたりしてみますか?」

 そろそろ動いてもいいのではないか。そう思った私は思い切って提案する。

「まだその時ではない。拾った欠片の件で問い詰めるにしても、もう少し情報を集めねば、知らぬ存ぜぬで通される可能性もある。それに幽霊の件も言った、言ってないと、水掛け論になるだろう」
「そうですね……」

 私は帷様の返事に「その通りだな」と納得する。そして口元についたご飯つぶに、またもや意識が削がれてしまう。

 (ご飯つぶ……言うべき?言わないべき?)

 もどかしさを感じ、落ち着かない。

 真鍮の小さな欠片、それから幽霊の件について、異論はない。
 今は待つ。多分それが正しい。

 (となると、残された問題はご飯つぶのことだけど)

 私は悶々(もんもん)とする。

 『あはは、帷様、ご飯つぶがついていますよ?おっちょこちょいですね』

 それは無理。

 『正直に言います。帷様、ご飯つぶが口元についているでござる』

 家族でもない人に真面目な顔でそんな風に指摘されたら、わりと恥ずかしくて死ねるし、私も武士でもないのに「ござる」は出来れば控えたい。

 (さり気なさを装い、つまみ取るか……)

 しかしそのさり気なさを作るのが非常に難しい。袖口(そでぐち)ならともかく、敵は帷様の口元にしがみついているのだから。

「案ずるな。歩みは遅いが、確実に真実に近づいている。少なくとも俺はそう思うぞ」

 帷様がやたら気障(キザ)な言い方をした。

 (ご飯つぶがなければ格好良かったのに)

 そのことを、つくづく残念に思う私であった。


 ***


 その日私は四ノ側の自室に置いてある、葛籠(つづら)の底をゴソゴソと漁っていた。冬も深まってきた今こそ、珊瑚(サンゴ)の出番だとひらめいたからだ。

「あれ、ここにもない。どこにしたっけ」

 大きい葛籠の中には私が服部(はっとり)の屋敷から持ち込んだ荷物がギュウギュウに詰め込まれている。

 『そもそも普段からきちんと、整理しておかないからですよ』

 乳母(うば)であるお多津(たつ)の声が聞こえるような気がして、私は既に畳の上に広げていた、小さい葛籠の中身を再度確認する。

「そう言われると思ったから、こっちにしまっておいたのに」

 小さい葛籠の中には、髪を結ぶ元結(もとゆい)という(ひも)や、根掛(ねが)けと呼ばれる、元結を隠すための髪飾り。それから大奥では出番のない、飾り(ぐし)(かんざし)などが無造作に放り込まれている。その中に、丸く削った珊瑚を数珠(じゅず)つなぎにした根掛けが見当たらないのである。

 夏は翡翠(ヒスイ)、冬は珊瑚というのは、季節を楽しむ決まりごと。

 (だからこそ、珊瑚のあれが旬なのに)

 私は思い切って葛籠の中身を畳の上にぶちまけた。
 散らばる、色とりどりに鮮やかな髪結いの道具。その全てに目を凝らしてみるが。

「うーん、やっぱり、ない」

 やはり珊瑚の根掛けはどこにも見当たらなかった。

「最後に髪に飾ったのっていつだっけ?」

 思い返してみると、数日前だったような気がする。

 (となると、やっぱり大奥(ここ)に持ってきていたってことか)

 しかしどこにも見当たらない。

「どうしたものか」

 決して安い物ではない。かといって時間をかけて探すほどかというと、そうでもない。何故なら自分で買ったもので、誰かにもらったといった、特段思い入れのあるものではなかったからだ。

「数日前に髪に飾った記憶。それこそ気のせいなのかな……」

 つぶやくとそんな気がしてきた。

 そもそも一番のお気に入り、というわけでもなかった。そして今日は絶対にそれで髪を飾るという断固とした思いも持ち合わせてはいない。

「ま、後で探せばいっか」

 私は記憶の片隅に、珊瑚の根掛けの存在を押しやったのであった。
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