二十四の巻 秘密の部屋の会合2※

文字数 5,764文字

 光晴(みつはる)が落ち込む気持ちはわかる。しかしこのまま手を打たず、放置しておけば、事態は悪化していく一方だ。

 何より問題なのは、朝廷側とギクシャクし始めてしまったということ。

貴宮(たかのみや)様の願いを叶えること。それは朝廷側の顔を立たせる事でもあります。ですから、幽霊騒ぎを先ずは何とか収めるべきかと」

 これと言った解決策が思いつかないまま、とりあえず話を本題に戻す。

「私が奥へ向かう以外に、策はあるのか?」
「……御広敷(おひろしき)の役人を夜廻(よまわ)りさせる、御庭番(おにわばん)伊賀者(いがもの)を忍び込ませる……とか、ですかね」

 (というか、一名。既に大奥にいるんだよな。伊賀者が)

 脳裏に共に暮らす事となった服部琴葉(はっとりことは)の、勝気さを隠した、人懐こい丸顔が浮かぶ。

 (ここまで(こじ)れてしまえば、今更、正攻法(せいこうほう)にこだわる必要がないのでは?)

 今までは光晴の大奥という事もあり、大奥内に波風を立てる事のないよう、慎重に忍び、情報収集していた。けれどここまで話が大きくなった今、琴葉を美麗の部屋に忍ばせ、何が起きているのか探らせても良い時期なのかもしれない。

 (現にあいつは、こちらから仕掛けないのかと、口にしていたし)

 だとすると一体どういう手順で事を運べば良いか。それを頭の中で組み立て始めた時。

「そうだ。親愛なる弟よ。お前に確かめる事があったのを忘れておった」

 突然光晴が、脈絡(みゃくりゃく)なく俺に声をかけた。しかも本題を話す事なく、勿体ぶった様子で口を(つぐ)んだ上に、ニヤニヤしながらこちらの様子をうかがっている。

 俺は嫌な予感しかしないその状況に、眉間に皺を寄せる。

 (そもそもなんだよ、親愛なるって)

 何だか背中に寒気(さむけ)すら覚えるような。

「とある筋から耳にしたのだが、服部半蔵(はっとりはんぞう)正秋(まさあき)の娘、服部琴葉。彼女は今大奥にいるそうじゃないか。しかもお前と一つ屋根の下で仲良く暮らしているとかなんとか」

 脇息(きょうそく)についた(ひじ)で顔を支え、俺そっくりな顔でニヤリと意地悪く微笑む光晴。

 (誰だ、こいつに漏らしたやつは!!)

 ハッとして宗範(むねのり)の顔をうかがうと、人の良い(つら)で微笑み返された。

 どうやら犯人は、こいつのようだ。

 (先程まで俺の肩をもっていたくせに)

 前言撤回。流石宗範ではなく、策士(さくし)宗範の間違いだ。

「で、本当なのか?」

 形勢逆転とばかり、嬉しそうな表情で光晴が俺を追い詰める。

「結果的にそうなってはおりますが、それは成り行きであって」
「職権濫用(らんよう)し、彼女を相方(あいかた)に指名したと聞いたが」
「…………」
「で、お前は恋い焦がれる娘と、何か進展はあったのか?」

 光晴が噂話に花を咲かせる奥女中のように、興味津々といった表情になる。

「ありません。そもそも表に出る事のない俺は、誰をも幸せにする事など出来ませんから」

 俺はきっぱりと告げた。日陰者である俺は、人並みに家庭を持つなど、望んではならぬ人間だ。

「兄上。私が生かされている理由。それを思い出して下さい」
「それは……」
「俺は兄上が誰でもいい。先程そう口にされた東雲(しののめ)家において、本家筋(ほんけすじ)の男児であったからこそ、生かされている者です。そして兄上の影となり、この国を裏から支える。それが俺に課せられた使命です」

 東雲本家の血をひく子ども。そのお陰で俺は生かされている。もし俺が市井で産まれていたら、この世に姿を現した瞬間、産婆に首を(ひね)られていただろう。
 それくらい双子というのは、桃源国(とうげんこく)では忌み嫌われる、厄介な存在として認識されている。そしてその事を幼い頃から俺はしっかりとこの身で感じ、生きている。

 現に俺の名は幼い頃から「(とばり)」のままだ。

 先程()のあがった、尾張(おわり)東雲家の五郎太(ごろうた)も、紀州(きしゅう)東雲家の長福丸(ながとみまる)も、元服(げんぷく)を迎えれば、皆当たり前のように(いみな)を授かる。

 けれど、俺はずっと帷のまま。

 人々が美しいと感じる(あかね)色を、じわじわと暗く染めあげていく。それを人は「夜の帷が下りる」というが、俺の名の由来は、そこからきているらしい。

 物寂しく、恐怖を感じる夜の闇を連想させるその名が、俺の後にも先にも、永遠に変わる事のない、父から与えられた唯一の名だ。そして俺はこの名の通り、表舞台に立つ事なく生涯を終えるつもりでいる。

 何故なら、かつてこの名を唯一褒めてくれた者がいたから。それが今、話題にあがる服部琴葉だ。
 彼女もまた、双子という星の下に生まれたからか。それとも闇を得意とする(しのび)の家系だからか。何故かは未だにわからない。けれど彼女は俺の名を生まれて初めて褒めてくれた、たった一人の人間だ。

 『いい名前ね』

 勿論、その言葉の前に「性格はあまり良くないけど」という断りが付属していた事もしっかりと覚えている。だが、服部琴葉に「いい名前ね」と言われた瞬間、俺は表に立った気がした。常に光の当たる場所にいる光晴の側に、並んで立てた気がしたのである。

 勿論それは幻想だ。

 けれど名前を褒められた。その経験があったお陰で、俺は何処かで「あの子が褒めてくれたこの名に恥じぬよう」と、くすぶることなく前に進めたのだと思う。

 (ある意味、俺にとっては恩人のような存在なんだ)

 だから服部琴葉という人物を、特別に思えてしまうのは仕方がない。けれど子どもの頃、自分が口にした言葉を、密かに心の支えにしていた者がいるだなんて、本人が知れば気持ち悪いと思うに違いない。

 (出会った事すら、忘れていたのだからな)

 きっと何気なく放った一言なのだろう。だから、俺が抱える一方的な気持ちは、本人に伝える訳にはいかない。
 
「俺は自分の抱えた想いを告げる事はしません。そう決めていますから」
「しかし……」
「俺が表に出たら困るのは兄上ですよ」
「……そうだな。お前がいなければ、心から叱ってくれる者もいない。そして私は愚痴や弱音の一つも吐けず、他人の意見に耳を貸すことのない、暴君となっていたかも知れんからな」

 光晴の言葉に大きく頷く。

 (よし、これで話の主導権は握り返した)

 上手くいった。そう思いホッとしたのも束の間。

「しかし、お前は表に出るつもりはないと言いつつ、職権濫用してまで、何故か彼女を手元に置いた。それは心に秘めた想いを、諦めきれないからではないのか?」

 光晴の言葉にぎくりとする。

「わかったぞ。お前は伊桜里(いおり)を失った私の姿を見て、不安になったんだな」
「なるほど。彼女は伊賀者ですからね。いつ任務で命を落とすかわからない」

 宗範が余計な合いの手を加える。

「その通りだ、宗範。だから側においておく。さすれば安心だからな」
「しかも光晴様不在の大奥なんて、この国で一番安心安全な場所ですからな」
「おい、さり気なく私を(けな)すな。で、どうなんだ、弟よ」

 光晴と宗範が同時に俺に顔を向ける。その顔に浮かぶのは好奇心。

 (だから双子は嫌なんだ)

 妙にお互いに対し、勘の良い所がある。
 それは説明のつかない、紛れもない双子の事実だ。

「確かに伊桜里の件で、心が揺れ動かされたのは認める。しかし、大奥で任をするとなれば、それなりに信用のおける者を選ぶ必要があったんだ」

 もうどうにでもなれと、本音をぶちまける。

「それに御年寄(おとしより)である岡島(おかじま)天英寺(てんえいじ)代参(だいさん)に行った時。あの時、俺が男である事を彼女は知る事となった。さらに言えば、彼女の忍びとしての能力をこの目で見た。だから信用できると思ったわけであって、やましい気持ちは一つもない」

 ムッとしながらもいい終える。相変わらず光晴はイラつく俺を見て嬉しそうだ。

「そう必死にならぬとも良い。そういえば、寺参りの事件。あの件は傑作(けっさく)だったな」
「傑作なんかじゃない。まさか彼女が参加しているなどと思わ……ず……」

 光晴と宗範がチラチラと視線を合わせ、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 (あの場に彼女が参加していた事。まさか、あれはこの二人に仕組まれたものだったのか?)

 俺が大奥御年寄である岡崎に化け、寺参りに向かう途中で襲われた件。あれは裏を返せば、そもそも公儀(こうぎ)による大掛かりな模擬訓練だったのである。
 結果的に模擬訓練は成功し、それを利用する形で、裏で動いていた岡島は滞りなく代参が出来た。ただ一人、本当の盗人が乱入したのには驚いたが、運が悪かったとしか言いようがない。そもそも盗みを働く事自体、悪なのだから。

「出会いがどうであれ、服部の娘はお前の女装姿を見ても、すんなりと受け入れていたのだろう?」

 俺は確信する。

「あの訓練に彼女を参加させたのは、兄上の仕業なのですね」

 おかしいとは思った。くノ一が参加するとは事前に聞かされていなかったからだ。

「いいではないか。忍び者は口が堅い。それにそのような出会いのお陰で、想い人に隠し事をしなくて済むんだ」
「そもそも、俺は……」

 自分の主張を通そうと思ったがやめた。何故なら暖簾に腕押し状態だからだ。俺を手のひらの上に乗せ、突いてからかう状況を楽しんでいる光晴には、何を言っても無駄。

 (全くもって悔しいが)

 気が済むまで遊ばれてやるのが、唯一の対抗策なのである。

「現に彼女はお前の女装癖について、誰かに話したりはしていないのだろう?」
「女装癖ではありません。任務のため。そして兄上が楽しむためです」
「ははは。私は幼い頃、本当にお前の事を妹だと思っていたからな。私を(だま)していた仕返しだ」
「俺だって好きで女の格好をしていたんじゃない。させられていたんだ」
「それが今役立っているのだから、いいではないか」
「兄上!!」

 つい大声をあげてしまう。これでは光晴の思う壺だ。

「許せ。お前に春が訪れる。それは私にとって嬉しい事なんだ。待てよ」

 光晴が黙り込む。また嫌な予感しかしない。

(ひらめ)いたぞ。私の信用を回復する。そしてお前の恋を成就させる。全てが解決する方法を、私は思いついたぞ」
「光晴様、その件で行きましょう!」

 詳しい話を聞く前に、宗範がやる気に満ちた声をあげる。非常にまずい流れだ。

「待て、待って下さい兄上。先ずはともあれ、内容を開示(かいじ)してください」
「言えばお前が反対するに決まっておる」
「それはなんとも。とにかく話を聞かねば、いいとも、悪いとも判断できません」
「確かにな。この案にはお前の協力が不可欠だからな」

 悲嘆に暮れていた筈の光晴が久しぶりにやる気に満ちた表情になる。それ自体は嬉しい事だが。

「一体どうなさるおつもりなんですか?」

 恐るおそる尋ねる。

「お前が私になり、奥の見廻(みまわ)りをすれば良い。私はそうだな。お前になって服部琴葉とやらが、本当にお前にふさわしい娘なのかどうか。それを見極めるとしよう」
「お断りします」

 (ありえん!!)

 光晴が彼女に近づく。それは絶対に駄目だ。
 何故なら悪気なく俺の事を漏らしそうだからだ。しかもそれを後日問い詰めた所で、「俺のためを思って」と飄々(ひょうひょう)とした顔でぬかすに違いない。

「ほら、そう言うと思った。宗範、お前はこの案をどう思う?」

 味方を増やそうと、光晴が宗範に矛先(ほこさき)を変える。

「そうですね。久しぶりに入れ替わるのも、光晴様にとっては良い気晴らしになるかも知れません。しかし問題が一つございます」
「何だ、その問題とやらは」

 光晴がたずねる。

「帷様の代わりをするのであれば、光晴様には女装していただく事になります」
「……そうか。今回の舞台は大奥だったな。私はいかぬ。弟よ、頼んだぞ」

 光晴は珍しく素直に諦めてくれた。

 (ん、頼む?)

 諦めていない、だと?

「これは任務だ。お前は私の(かげ)なのだろう?ならば大奥に私として堂々と参れ」

 光晴が伝家(でんか)宝刀(ほうとう)「これは任務だ」を振りかざす。

「してやられた感はありますが、任務とあれば……仕方が、ない……くっ」

 渋々ながら、承諾する。

「これで貴宮様への顔も立ちますし、幽霊事件もまるっと収束しますなぁ」

 宗範が呑気な声をあげる。

 (何がまるっとだ)

 面倒ごとを全て押し付けやがってと、俺は光晴と宗範を睨みつける。

 (でもまぁ、考えようによっては助かったのか?)

 光晴が俺に化けて服部琴葉の周りを、いや、大奥をウロチョロするのは非常に避けたい。それに加え、夜廻りをする人員から琴葉を外せば、光晴に化けた俺に合わなくて済む。

 (あいつは化粧を落とした、俺の素顔を知っている数少ない者だからな)

 光晴の顔を見てしまえば、俺とそっくりだと気付くだろう。そうなってしまえば、俺が双子である事が知られてしまう。

 (光晴の為にも、それだけは阻止せねばならん)

 何故ならば将軍たる人物が、不吉な双子の片割れである。そんな噂でも立てば、光晴の敵となる者から、「忌み子が将軍の座につくなんて」と攻め込まれかねないからだ。

 弱みは見せないほうがいい。
 これは、絶対だ。

 悶々(もんもん)としながらも、これで良かったと自らを納得させる。

「久しぶりに、楽しみが出来たな」
「えぇ。本当に」

 肩の荷を下ろしたと言った感じ。すっかり穏やかな表情を俺に向ける二人。

「お前ら……」

 (きんぴらごぼうは食わせないからな)

 俺は密かに誓う。

「そうだ。宗範、あれを」
「はっ」

 一体今度はなんだと(いぶか)しむ。

「そんな怖い顔をするな。自分で自分を睨んでいるようで、何故か落ち着かなくなるからな」

 そう言って、光晴は宗範から受け取ったばかり。白い半紙に包まれた怪しい物体を俺に手渡した。

「何ですかこれは」
「えげれすの商人から買った石鹸(せっけん)だ。いい香りがするだろう?」

 言われて舶来品(はくらいひん)らしい石鹸を半紙越しに手で仰ぐ。すると確かに爽やかな良い香りがした。

「お前は女と住んでいるんだろう?しかも猫の額ほどもない狭い部屋で」
「住んでいる、まぁ、そうなるのか」
「ニヤつくな。だからそれをやる。臭い男は嫌われるからな。せいぜい「でおどらんと」しておけ」

 光晴は習い立てらしい、外国語を口にする。

「宗範にも一つやったのだが、加齢臭(かれいしゅう)があからさまに穏やかなものとなった。だから効果は抜群だ」
「お陰様で、若返った気がします」

 得意げに言うが、すでに宗範の顔はしわしわだ。しかし確かにいつも臭う、すえたような匂いが、宗範からしないような。

「ありがたく頂戴致します。でおどらんと、今日からしておきます」

 俺は素直に意見を聞き入れる。

「恋するお前は素直で可愛げがあるな」
「ええ、本当に」

 俺の顔を見てニマニマと気色悪い笑みを浮かべる二人。

 (やっぱりきんぴらはやらん!)

 俺は再度誓ったのであった。
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