三十二の巻 狸ちゃんの告白

文字数 4,232文字

 (たぬき)ちゃんと和解した私。
 その事を嬉しいと思う気持ちはある。けれど、この世を去ったお(なつ)さんとも、もう少しちゃんと話をしておけばよかったと後悔する気持ちが湧き、とても複雑な心境になる。

「あのね、お(こと)さんに言わなきゃならない事があるの」

 狸ちゃんは思い詰めたような顔で私を見つめた。

 (え、まだ何かあるの?)

 失礼ながらそう思ってしまった私は身構える。

「大奥で盗難事件が起きてたのは、お夏ちゃんと私がみんなの物を盗んでたからなの」
「え?」
「でもそれは、美麗(みれい)様に言いつけられてやったことなんだ」
「…………」

 思いもよらぬ衝撃的な告白が飛び出し、思わず言葉を失う。

 (お夏さんは盗んでないって言ってたし、私も信じてたんだけど)

 それが嘘だという事だろうか。
 私は狸ちゃんの言葉をジッと待つ。

「最初はおしろい粉が切れちゃって。それで友達に借りたんだけど、うっかり返し忘れちゃったの。そしたら貸した子もそれを覚えてなくて、私は何も言われなかった」
「うん」
「どうして返してって言って来ないんだろうって疑問に思った時、ふと気付いたんだ。大奥に奉公している子達は、わりと実家が裕福な子が多い。だからあんまり物に執着してないんだって」
「あー」

 (それは何となくわかるかも知れない)

 お寿美(すみ)ちゃんは人気蕎麦屋(そばや)の娘だし、怖がりなお(せん)ちゃんも、実家は呉服問屋(ごふくどんや)を営んでいる商家(しょうか)だと言っていた。

 (それに公方様に会いたいだなんて、口癖のように言うけど)

 正直それは、お祭りに参加する感じで浮かれているだけ。実際、みんなにお手付きになりたいかと質問したら、明言を避け、上手く話を逸らすだろう。
 
 何故なら彼女達は結婚するための「箔」をつけるためにここにいるようなものだから。

 町方では、大奥奉公で自然と行儀作法や教養を身につけ、奉公を終えた()を、高嶺の花と呼び「是非嫁に」と望む。つまり、それを狙い腰掛けのような感じで、ここにいる子がそれなりの数いるということ。

 勿論、人それぞれ大奥で奉公している事情は違う。ただ、皆に共通するのは、狸ちゃんの言う通り困窮(こんきゅう)している感じはしないということ。

 (ま、身辺調査や面接に受からないと働けない、狭き門だもんね)

 大奥で働く子は、つてを頼り奥女中に雇ってもらい部屋方(へやかた)になる子も含め、身元がしっかりしている子が多い印象だ。

「私とお夏ちゃんは実家が商家だとは言え、正直上手くいってないから、むしろ仕送りしているような状態で」

 狸ちゃんは自らの行いを恥じているのか、(うつむ)いた。

 確かに一概に商家と言っても、ピンキリだ。

 (まさか仕送りをしている人がいるとは思わなかったけど)

 親からしたら、相当親孝行な自慢の娘だろう。
 俯くほど恥じることではないのにと、私は感じた。

「私は自分で買えないぶん、色んなものをくすねてたの。勿論、悪いとは思いつつよ?でもここではみんな競い合って着飾るから、負けたくなくてつい」

 狸ちゃんは少しだけ自分を肯定するような言い方をした。

 確かに大奥という場所で見栄を張りたくなる気持ちは私にもわかる。だからと言って盗みをしていい理由にはならない。

 けれどここはあまりにも、(ぜい)を尽くした、(きら)びやかな場所であり過ぎる。だから埋もれたり、(かす)んでしまわないよう、自分を着飾りたくもなる、そんな女心は私にも理解できた。

「でもある日それが美麗様に見られちゃって。あ、まだその時は美麗様も(よご)れた(かた)じゃなかったんだけどね。実は私達、元々はわりと仲良かったんだ」

 狸ちゃんは将軍のお手付きとなった者を揶揄(やゆ)する、「汚れた方」という隠語を使った。因みにお手付きされていない御中臈(おちゅうろう)などの事は「御清(おきよ)」というそうだ。
 お手付きとなる人の数が圧倒的に少ない事を考えると、この呼び名には(ひが)みや(ねた)みが込められていそうだ。そうでもなければ、お手付きされた事を、「汚れた」という言葉で言い換えたりはしない。私はそんな気がしている。

 そもそも今まで同じ部屋で寝食を共にしていた人が、突然別格扱いされるようになるのだ。

 (それって、複雑だよね)

 だから、自覚しているかどうかは別として、「汚れた方」と口にした狸ちゃんの中にも、美麗様を羨む気持ちがあるのかも知れないと推測する。

「それでそっからは地獄。お夏ちゃんと私は美麗様の指示を受けて大奥で色々盗んで、それを美麗様はこっそり出入りの商人に買い取ってもらってた。そしてまた私たちは盗みを働く。ずっとそれの繰り返し」
「どうして美麗様の指図を受け入れていたの?岡島様に相談……は無理でも誰かに言えなかったのはどうして?」

 咄嗟に浮かんだ疑問をまとめてたずねる。

「無理よ。そもそも美麗様は岡島様の部屋方だし。それに誰かに相談したら、公方様に知られて島流しになるかも知れないもの。絶対言えないわ、こんなこと」

 (ええと、公方様なら屏風の向こうにいるんだけど)

 帷様の存在を思い出した私は思わず苦笑いする。
 
「それに美麗様は美人だったから。だからいずれ汚れた方になった時、私達を美麗様の合之間(あいのま)にしてくれるって、そう約束してくれたし。しかも御末(おすえ)よりお給金も弾んでくれるって」

 狸ちゃんは唇を噛む。その口元を見つめ私は思う。

「でも、たぬ……えっと、今もまだ御末だよね?」

 うっかり「狸ちゃん」と言いかけ何とか回避する。そんな私の問いかけに、狸ちゃんは途端に顔を暗くした。

「……私達は伊桜里様に物をくすねてる現場を見られちゃって、それで正直に話したら伊桜里様は許してくれたんだ。しかも誰にも言わないって。でも美麗様がその事で怒っちゃって。そこから色々と関係が(こじ)れていくんだよねぇ」

 他人事のように話す狸ちゃん。そんな狸ちゃんの顔を眺めながら私も思い出す。

 (そういえば、伊桜里様は御火乃番と共に、大奥にはびこる悪を成敗(せいばい)していたって)

 そこまで誇張(こちょう)してはいなかったような気もする。けれど一緒に夜廻(よまわ)りをした時にお仙ちゃんが、伊桜里様の事を「正義感に溢れていた」と口にしていた事は確かだ。

「私は要領も器量も悪いからいいんだけど、お夏ちゃんは辛い思いをしていたと思う」
「ええと、どうしてお夏さんだけ辛いの?」
「美麗様って自分より綺麗な子をいじめるのが好きなの。それで、お夏ちゃんってわりと美人で気が利くじゃない?」
「なるほど」

 性格を語れるほどお夏さんという人物を知らない。けれど見た目だけで言うと、確かに細面で、涼し()な目元をした人だった事を思い出す。

「確かに美人だったね」

 私が言うと狸ちゃんはまるで自分が褒められたかのように顔をほころばせた。

「でしょ。自慢の親友だったんだから。だけどお夏ちゃんは私よりずっと美人だったから、美麗様の格好の餌食(えじき)になっちゃって。それで伊桜里様にいい顔して色々情報を流せって、まるで密偵みたいな事をさせられてたの」

 密偵という言葉が飛び出し条件反射的にドキリとする。けれどそんな私に気付く事なく、狸ちゃんは悲し気に顔を歪めた。

「でも伊桜里様には近づけないんじゃないの?」

 今の美麗様がそうであるように、御目見得(おめみえ)以上の奥女中は私的な女中を抱えている。身の回りの世話はその者達にやらせているはずなので、気軽に知り合いになれるとは思えなかった。

「私とお夏ちゃんは伊桜里様の長局(ながつぼね)水汲(みずく)みとか、火鉢(ひばち)の掃除とか、そういう事を担当してたから、そんなに難しい事ではなかったわ」

 (なるほど、そういうこと)

 先程狸ちゃんは「伊桜里様にくすねてる現場を見られちゃって」と口にしていた。それは、伊桜里様のお住まいとなる長局で、伊桜里様の物をくすねている場面を目撃されてしまった、という事かも知れない。

「伊桜里様は御末にも優しかったし、それに御火乃番達とも良く見廻りしてたし。まぁその事で、良く岡島様に叱られていたけど。でもみんな、武家のお姫様なのに気さくな伊桜里様が大好きだったんだ」

 狸ちゃんは伊桜里様を思い出したのかグズグズと鼻を(すす)り始める。

「勿論お夏ちゃんだって、伊桜里様が大好きだった。それなのに美麗様が、お夏ちゃんの背格好が伊桜里様と似てるからって、幽霊の真似をさせて。それであんな事になっちゃって」
「え?」

 狸ちゃんはサラリと、またもや衝撃的な言葉を口走った。

「幽霊って。それは本当?」
「うん。だからあなたに言わなきゃと思って」
「えーと、それは御火乃番だから?」
「いいえ、あなたと美人なあの()だけは幽霊を全く怖がらなかったって、お夏ちゃんが言ってたから。それで、これ」

 狸ちゃんがゴゾゴゾと胸元の合わせを探り、一枚の書簡を取り出した。

「お夏ちゃんが、私に残してくれたもの」
「え?」
「それと、これも」

 そう言うと、狸ちゃんは私の手を取る。そしてその手の中に、狸ちゃんの体温で生ぬるくなった丸い玉を握らせた。

「これは、私の……」

 きちんと紐で通った珊瑚(サンゴ)根掛(ねがけ)だ。しかし私の物であるという証拠となる部分、蝶の模様が入った珊瑚だけが抜けている。

「お夏ちゃんは、色々知りすぎたから、美麗様に殺されるかもって言ってた。それに、この根掛がお琴さんのものだって知って、ますます怯えてた」
「それはどうして?」
「だってそれは美麗様がわざと盗んだに決まってるから」
「ええとつまり」
「美麗様は勘が良さそうなお琴ちゃんの根掛をわざわざお夏ちゃんにあげた。それってお夏ちゃんに全ての罪を着せようとしているに違いないもの。それで、お夏ちゃんは、もし自分が危ないと感じた時に、あなたの珊瑚の根掛を落としておくって。だから」

 狸ちゃんは歯を食いしばるように、顔を歪めると続ける。

「だから、珊瑚が落ちてたら、私がその部屋の中で殺されてるから、ちゃんと見つけてって……お夏ちゃんは、そう言ってた」

 狸ちゃんはガクリと膝を落とし、地面に手を付いた。そして堪えきれないと言った感じで、大粒の涙をこぼし始める。

 ポタポタと狸ちゃんの瞳から落ちる涙が、乾ききった土間の土を濃い茶色に染めていく。

「お琴さん、お願い。お夏ちゃんの無念を晴らして」
「…………うん、必ず」

 私はしゃがみ込み、狸ちゃんの肩をギュッと抱く。
 狸ちゃんは私にしがみつき、泣きじゃくる。

 私は切なさ、悲しみ、そして怒り。それらが複雑に絡み合う感情を抱えながら、優しく狸ちゃんの背中をさする。

 ――お琴ちゃんなら大丈夫だよ。お夏の(かたき)をとってあげて。

 私の耳の奥にそんな風に告げる、伊桜里様の優しい声が届いた気がした。
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