二十二の巻 浮かれる大奥、沈む帷様と私

文字数 3,217文字

 将軍光晴(みつはる)様が大奥にお渡りされる。その知らせを受け、大奥内は途端に浮足立った。

 たとえそれが本来の目的の為ではなく、幽霊騒ぎを(しず)める為の夜廻(よまわ)りだったとしても、奥女中達にとって、長らく待ち望んだ事には変わりないようで。

「ちゃんと掃除しておかないと」
公方(くぼう)様の目線の通る所は隅々(すみずみ)までしっかりとね」
「わかってるって」

 いつもは適度に手抜きをしていたはずの御末(おすえ)達は掃除に汗を流し。

「こちらの植木は伸びすぎて警備の妨げになっているじゃない。すぐに植木職人の手配を岡島(おかじま)様にお願いしないと」

 御火乃番頭(おひのばんがしら)であるお(きよ)様までもが、いつも以上に張り切っていた。そんな中私はというと、(とばり)様と共に、いつも通り昼間のお勤めに励んでいる。

「異常なし!」

 私は決められた場所に不審な事や物、それから人がいないか、見廻(みまわ)りをしている。

 夜とは違い、昼間は手燭(てしょく)を持たなくていいし、掛け声もかけなくていい。その上視界も良好だ。そして何より、身を切るような冷たさが日差しで幾分、和らいでいるのが最高だ。

「あ、お(こと)ちゃん、ご苦労さま。頑張ってね!」

 庭の枯れ草を竹箒(たけぼうき)()く、お寿美ちゃんから声をかけられる。

「ありがとう。お寿美ちゃんも、お掃除頑張ってね」
「うん、公方様がここをお通りになるかもだしね」

 お寿美ちゃんは明るい声でそう言うと、竹箒をサッサッと慣れた手付きで動かした。

 (幽霊騒ぎどころか、むしろ嬉しそう)

 私はいつも通り。現実的思考をしっかりと()(そな)えたお寿美ちゃんに戻ってくれたとホッとした。しかしすぐに、彼女の帯につけられた根付(ねつけ)の先にぶらさがる物体を発見し、嫌でも「幽霊騒ぎ」に大奥中が振り回されている現実を思い出す。
 何故ならそこには、「疫除守(じょえきまもり)」と白い刺繍糸で綴られた、えんじ色の小さな、まるではまぐりのような形をした、守巾着(まもりきんちゃく)が吊り下がっていたからだ。

 (しかもあれは、現在高値で取引きされている神田明神(かんだみょうじん)のやつ……)

 江戸総鎮守(そうちんじゅ)とされている事もあり、「明神(みょうじん)さま」の名で庶民に親しまれている神田明神。人気の神社とあって、神田明神の授与所(じゅよしょ)で購入出来る厄除けの御札(おふだ)を包み込みんだお守り類は、それを包む守巾着と共に、現在大奥で大流行。
 現にお寿美ちゃんの帯からぶら下がるのは、ちりめんに、刺繍(ししゆう)の腕をふるい華麗な加飾(かしょく)(ほどこ)された守巾着だ。それは、通常であれば(じゃ)から守る為に親が子に(さず)けるものとされているもの。

 (大人が付けちゃ駄目って事はないだろうけど)

 幽霊なぞ信じない身からすれば、存在感たっぷり。まるで親の愛情が具現化された、子ども用である守巾着を目にし、もはや取り繕ったような笑みを浮かべる事しか出来ない。

 (そういえば、御用商人の一つ、山田屋の奥方が御札(おふだ)と共に、巾着(きんちゃく)の取り扱いを始めたとかなんとか……)

 大奥内に出入りを許される商人の妻達は、現在大奥内に巻き起こる幽霊騒ぎからくる、加熱する御札需要に応えようと、こぞって神社で御札を大量購入しているようだ。そして、彼女達は代参品として購入した御札を入れる巾着と駄賃込みという名目で、奥女中達に厄除けの御札を高値で売り捌いている。

 (まぁ、みんながそれで安心できるなら、文句を言う筋合いはないけど)

 ホクホク顔でみんなから注文を受けていた、御用商人の嬉しそうな奥様を思い出す。

 (あの人達は相当儲かっているに違いない)

 この騒ぎを冷静に見守る私は、そんな穿った考えを抱きながら、お寿美ちゃんに手を振りその場を離れた。
 
 (でもま、お寿美ちゃんも嬉しそうだったし)

 厄除け守りのお陰で、皆が精神的に安定出来るのであればそれは良い事だ。

 (それに、幽霊騒ぎの発端と思われる光晴様が、大奥を警備して下さるんだし)

 この異常な幽霊騒ぎもすぐに収束するだろう。

 (だって光晴様は、天与(てんよ)の人だもの)

 幽霊などいるはずがない。そう思う自分の常識に当てはめ、楽観視する私は、大奥全体の浮かれた様子を肌で感じながら帷様と見廻りを続ける。

「ここも、異常なし」

 確認しながら、皆のように浮かれた気分に浸れない自分を内心残念に思う。

 (ちぇっ、みんなはいいなぁ)

 浮かれる皆を前に、うっかりため息をつきそうになる。
 何故なら私は光晴様が編成した夜廻り隊の一員になれなかったからだ。

 (公方様が大奥内を警備する。そんな歴史的瞬間に立ち会えないのは残念)

 そもそも光晴様にお会い出来るのは、桃源国(とうげんこく)でもほんの一握(ひとにぎ)りの人間だ。

 (父上は旗本(はたもと)だから、直接お会い出来るみたいだけど)

 私のような、一介(いっかい)のくノ一。そして不吉な双子の片割れは、よっぽどの事が無い限り、光晴様にお会いする機会は訪れない。

 (一体どんな顔をされているのかな)

 御年(おんとし)二十歳。父(いわ)く、「男前」だとの事だ。

 (男前にも種類があると思うんだよね。そこを詳しく聞きたいのに。でも父上には無理か)

 私が日に二回。着物を替えても一切それに気づく事がない鈍感な父だ。そんな父には、男前の違いを詳しく説明など出来るはずがない。

 (でもだからこそ、想像が(ふく)らんじゃうんだよ)

 そして双子の()み子である私が光晴様にお会いできるとすれば、身分を偽り大奥に潜入している今しかない。

 (絶好の機会なのになぁ)

 現に御火乃番の中には、光晴様の警護に参加する人が多くいる。正直、それを羨む気持ちはある。

 (やっぱり美麗様の所を見廻るからだよね)

 だから帷様と私は外された。美麗様に嫌われるような事をしたのだから、仕方がない。

 (とは言え、一目でいいんだけどな)

 男前の種類は何系か。そして伊桜里様がお慕いしていた人はどんな人物なのか。私は一度でいいから、光晴様を拝見してみたいと心から願うのであった。

「はぁ……」
「はぁ……」

 同時にため息をついたのは共に見廻り中の私の上司、帷様だ。チラリと横目で表情を確認すると、私以上に浮かない顔をしていた。

 (気持ちはわかる)

 きっと帷様も光晴様にお会いしたかったのだろう。誰だってそう思うのが当たり前だ。

「帷様、今夜は何が食べたいですか?」

 私は気分を盛り上げようと、話を振る。

「ん?今夜の夕飯はいらん。言ってなかったか?」
「え?そうなんですか?」

 初耳だ。

「すまん。言った気になっていた。今日は光晴様の警護に出払う者が多く手薄になる(ゆえ)、当直を頼まれた」
「当直ですか?」
御広敷(おひろしき)詰め所の」
「あぁ、なるほど」

 (なんだ、今日の夜は帷様もいないのか)

 私は途端に寂しい気持ちになり、ガクリと肩を落とす。そして思わず漏れる本音とため息。

「はぁ……お会いしたかったな」
「誰に?」
「そりゃ公方様に、ですよ」
「なぜそう思うのだ」
「公方様を間近で見られるような機会なんて、今を逃したら、一生に一度もないかも知れないからです」
「なるほど」
「帷様はお会いしたことがあるんですか?」
「まぁな」
「えっ、どんな感じの御方(おかた)なんですか?」

 尋ねると、帷様は眉間に皺を寄せて黙り込んでしまった。そしてしばし、沈黙の後。

「きっと驚くだろうな」

 (え、なぜ?)

 帷様の思いもよらない返答に、私は混乱する。

「驚く……そ、それは具体的にはどの部分にですか?」
「異常なし」

 帷様はわざとらしく言うと、歩行速度を早めた。

「気になります。教えて下さい」
「別に会わなくとも、生きて行けるだろう」

 帷様は至極まともな回答をよこす。しかし肩透かしを食らった私は益々(ますます)光晴様のお姿が気になって仕方がなくなる。

「そうだ、今度きんぴらを作って欲しいのだが」
「……きんぴらを食べなくたって、生きて行けますから」
「そうきたか」
秘伝(ひでん)忍法(にんぽう)、その名も「意地悪(いじわる)返し」ですのであしからず」

 帷様に仕返しをした私は、少しだけ気分が上昇する。

 (まぁ、もう一回くらいは作ってあげてもいいけど)

 優位に立ったような気がしたからか。それともきんぴらをもう一度と願われたからか。沈んだ気分はどこへやら。私の頬は浮かれたように、勝手に緩むのであった。
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