二十一の巻 幽霊騒ぎふたたび

文字数 2,952文字

 何とも後味の悪い思いをした、珊瑚(サンゴ)寝掛(ねが)け紛失事件。

 やりすぎたのかも知れないと落ち込むお寿美(すみ)ちゃんを励ましつつ、私は何とか夕餉(ゆうげ)の支度を終えた。そして鼻緒ずれをして痛む足を引きずりながら、(とばり)様の待つ部屋に帰宅すると、食事をしながら一部始終を報告した。

「そんなわけで、お(なつ)さんは、美麗(みれい)様に頂いたの一点張り。しかも嘘をついているようには見えず、どうしたものかと」
「お夏という者の話す事が本当であれば、ますます美麗(みれい)が怪しく思えるな」

 静かに話を聞いていた帷様の見解は、私と同じだった。

 (そりゃそうだよね)

 幽霊騒ぎの自作自演疑惑もあり、もはや大奥内のいざこざはすべて「美麗様のせい」だと思えてしまう状況だ。

「実は美麗の部屋で見つかった縁頭(ふちがしら)欠片(かけら)伊桜里(いおり)の物だと疑われる小刀についてだが、正輝(まさき)より追加の情報がもたらされた」

 至極真剣な表情で帷様が明かしたのは。

「その小刀は、どうやら伊桜里が自害に使った物らしい」

 私はハッと目を見開き、息をのむ。それは衝撃的な事実だった。しかし、一気に真相に近づくような気がして、不謹慎だがはやる気持ちを抱いてしまう。

「だ、だとすると、美麗様の部屋に小刀の装飾品の欠片が落ちていたのは何故か。その理由は自ずと絞られてくる気がします」

 私は前に進む為にも一人考える。

 その一、以前美麗様は小刀を伊桜里様から見せてもらった事があった。

 その二、美麗様が小刀を盗んだ。

 それから、その三。
 実は美麗様が伊桜里様を自殺とみせかけて、殺害したから。

 何となくそのどれかではないか。そんな気がしたが、どれもまだ「これだ」という決定的な証拠はない。よって推測の域を超えないことであり、心に秘めておくべきだ。

 私は自分の中に留めておく事にする。

「もし、美麗が伊桜里の死に関わっていたのだとしたら。彼女を狂気に駆り立てたものは、何だったのか。一体大奥(ここ)で、何が起きていたというのだろうか」

 帷様はジッと一点を見つめ黙り込む。その表情は険しい。私はそんな帷様を見つめながら思う。

 (美麗様が伊桜里様の死に関わっている)

 どうやらこれだけは間違いなさそうだ。

 この日は帷様も私も、何とも後味の悪い知らせを交換し合ったのであった。


 ***


 帷様と情報を交換し、後味は悪くとも、わずかに真相に近づけた。そう思えた日の夜。

 美麗様のお住まいとなる、一之側(いちのがわ)周辺の夜廻(よまわ)りを早々に免除された私は、ぬくぬくとした布団に包まれ爆睡していた。しかし私が抜けた穴は、誰かがその穴を埋めなければいけない。そしてその穴を埋めてくれた御火乃番(おひのばん)が、その日の夜、またもや幽霊と遭遇したのである。

 その事実は既に過去にあったこと。通常であれば、これ以上大きな騒ぎに発展しようもなかった。けれど、その日の夜は大奥全体に運気が悪い風が流れ込んでいたようだ。

 現場となる美麗様の住まいであるニノ側の廊下で、御火乃番は幽霊を見た。そこへ御火乃番の悲鳴を聞きつけた、美麗様付きの奥女中達が駆けつける。そして御火乃番と奥女中が揃って大騒ぎする中、幽霊は逃げ去った。

 ここまでは帷様と私が幽霊に遭遇した時と大体同じだ。

 問題はその日、その時間に、偶然美麗様が廊下を通りかかってしまったということ。何でも美麗様は用所(ようしょ)(便所)へ向かった帰りだったらしい。

 自然現象なので、仕方がない事ではあるが、運悪く白い寝間着姿で、恐怖に怯える御火乃番と悪霊退散と叫びながら塩を振りまく奥女中達と鉢合わせしてしまった。
 その結果、御火乃番と奥女中達は美麗様を再び戻ってきた幽霊だと勘違いし、阿鼻叫喚(あびきょうかん)と言った大騒ぎになってしまう。そしてその騒ぎに巻き込まれる形で、美麗様は足を滑らせ縁側から落下。
 奥医師の診断によると、足を捻挫(ねんざ)したという事だった。

 私はその話を御火乃番頭(おひのばんがしら)であるお(きよ)さんから聞かされた時。

 (縁側から落ちて捻挫するなんて、運動不足なんじゃ……)

 意地悪にそう思った。そして美麗様が怪我をしたという事実は、御火乃番が幽霊を見たという話と共に、飛び火の如く、あっという間に大奥中へと知れ渡る事となってしまう。

 『美麗様がお怪我されたらしい』
 『成仏出来ない伊桜里様の(たたり)りらしい』
 『宇治(うじ)()の呪いかも知れないわ』
 『怖くてお勤めどころではない』
 『私も呪われている気がする』
 『具合が悪くなってきた』
 『めまいがする』
 『くらくらする』

 などなど。

 奥女中達の間を恐怖が瞬く間に伝染する事となる。そのあげく、ついには病に伏せる者まで出てくる始末となってしまった。そしてその皺寄せが、大奥全体に広まる事となる。
 
 というのも、病欠が増えたとしても仕事の量が減るわけではない。むしろ少ない人員で通常の業務をこなす事となる。そうなると、(いとま)を失った奥女中達の不満は、必然的に募ることとなり。

 『幽霊はともかく、物理的に働きすぎて、具合が悪くなりそうです』
 『そもそも明らかに仮病なのに、幽霊が怖いと言えば暇をもらえ、真っ当に生きている私達が働き詰めなのはおかしい』
 『正直者が馬鹿を見るのは間違っている』
 『過労死しそうです』
 『めまいがする』
 『くらくらする』

 もはや歯止めがかからない状況。不穏な空気が大奥中を覆いつくした。

 次第に「この緊急時に、光晴(みつはる)様は一体何故大奥に姿を見せないのか」といった、大奥の主である光晴様を責めるような、そんな不穏な空気までもが流れはじめてしまった。

 そしてついに。

 いつもは京から連れてきたお供である、上臈御年寄(じょうろうおとしより)姉小路(あねのこうじ)様と共に、御殿(ごてん)に静かに引き籠もっていた正妻、貴宮(たかのみや)様がついに動く。

 『大奥に漂う、伊桜里様の(たた)りをお祓いして欲しい』

 夫である光晴様に嘆願(たんがん)される事態となってしまったのである。それにより、一連の騒ぎはすべて「伊桜里様のせい」という雰囲気が加速してしまう。つまり、私が一番恐れていた事が起きてしまったのである。

 それから数日後。

 大奥に出入りする御用商人(ごようしょうにん)には、数珠(じゅず)を求める声が大きくなる。そして、悪霊退散、安全祈願のお守りが、密かに奥女中の間で高値で売買されるようになってしまった。

「ここまで来ると、流石にまずいな」
「ええ。お寿美ちゃんですら、除霊に効くという眉唾物のお守りの存在を気にしている様子でしたし……」
「どうにかせねばならんということか」
「ええ、そのようです」

 帷様と私は、ひっそりと大奥の行末(ゆくすえ)を案じた。

 そしてその日の夜。

 またもや帷様は夜中に抜け出した。私は密かに後をつけ、井戸に消えていくのを確認する。

「帷様は一体何者なんだろう」

 こちらも謎は深まるばかり。

 そうこうしているうちに、私たちは職種ごとに緊急招集される事となった。

「皆様、一連の騒ぎをお鎮めになるべく、明日の夜以降、しばらくのあいだとはなりますが、公方(くぼう)様自らが御広敷番(おひろしきばん)(かしら)、それから御広敷添番(おひろしきそえばん)の皆様と、大奥内を夜廻りなさって下さるそうです。勿論御火乃番である私たちも、公方様の夜廻りにご協力する事となりました。皆様、くれぐれも粗相(そそう)のないように。以上、解散!!」

 質問は一切受け付けない。そんな厳しい表情で、お清様は私達に告げた。
 こうして、あれよあれよと言う間に幽霊騒ぎは、光晴様をも巻き込む、前代未聞の大騒ぎとなってしまったのである。
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