四十七の巻 残された者

文字数 4,622文字

 ガタガタと長局(ながつぼね)の扉を外の風が叩きつける音が響く。その音に反応し、私は部屋をぐるりと見渡す。

 (なんか)

 掃除をし、整えた部屋は不思議と寂しさが増すような気がする。

「本当は明日渡すつもりだったのだが」

 (とばり)様は立ち上がると、私物を入れた葛籠(つづらかご)から、紫色に染められた風呂敷に包まれた、とても小さな物を取り出した。
 それから帷様は私の隣で(おもむろ)に片膝をつくと、葛籠から取り出したばかりの風呂敷包みを、ヌッと私に差し出した。

「お前にこれをやろう」
「これは?」

 私は目の前に差し出された小さな風呂敷包みを、反射的に受け取る。
 手のひらサイズほどの風呂敷包みは、真結(まむす)びで、結び目を美しく整えられていた。いかにも贈り物といった感じだ。

 問題は一番目立つ、ペロンと三角になった部分に「丸に三つ重ねの雲」の(もん)がしっかりと白抜きされていること。

 (これって、東雲(しののめ)家の尊き紋所(もんどころ)だと思うのだけど……)

 私は畏れ多く思う気持ちが限界に達し、思わず風呂敷を持つ手が震える。そんな私にはお構いなしといった感じ。帷様からぶっきらぼうな声がかかる。

「開けてみろ」
「は、はい」

 私は言われるままに風呂敷の結びを解く。すると中から出てきたのは、漆塗りの小さな小箱だ。

 (な、何か緊張する)

 何故か私の隣に張り付いた帷様。それだけでも緊張するというのに、帷様は何故か私の手元を、固唾を飲んで見守っている。よって私は、漆塗りのツルリとした手触りを楽しむ事なく、急かされるように小箱の蓋を開けた。

「あ、これは」

 中から出てきたのは、綺麗な珊瑚(サンゴ)根掛(ねがけ)(かんざし)だ。しかも綺麗に丸く削られた珊瑚は、見たこともないくらい(あで)やかな朱色をしている。

「ありがとうございます……」

 私は礼を口にしながら、自然の恵みがもたらす美しさに感動する。

「安心しろ。特に深い意味はない。お前は根掛を無くしたと言っていたし、正輝(まさき)に「自分で自分の為に買った、悲しいやつ」そうも言われていたからな」

 うっとりと珊瑚を眺める夢心地な私の思考を遮るように、帷様が余計な一言を口にした。

「自分の為に買ったのは、悲しいことではないです。ご褒美(ほうび)であって、嬉しいものです」

 私はつい、口を尖らせる。

「そうか。で、その、気に入ったか?」

 (わず)かに不安を滲ませる表情で、帷様が問いかける。

「はい。もちろんです。本当に素敵で、一生大事にします」

 私は満面の笑みで即答する。すると隣でホッとしたような気配が伝わってきた。

「ならばよかった」
「でも、本当に頂いてよろしいのですか?こんな高価そうなもの」

 (しかも東雲家の紋所が入った風呂敷に包んであるし)

 もはや、風呂敷だけで家宝ものだと言えるくらい値打ちのあるものだ。

「かまわん。気にするな」
「でも、この珊瑚に見合う働きを私はしたとは思えません」

 (私は大奥生活を満喫して、その挙げ句お(なつ)さんの死を阻止できなかった)

 それどころか伊桜里様の書簡も見つからないままだ。振り返ってみれば、私は役立たずだった。その一言に尽きる。

「お前はしっかりと任を全うしていた。何より任務外でこうして、俺に温かい飯を作ってくれた。だからその礼だと思えばいい」

 こともなげに帷様が言い放つ。

 (流石、公方(くぼう)様……)

 帷様が礼だと口にする料理は、どこでも手に入るような、しかも庶民が口にするような味付けという、何の変哲(へんてつ)もないものだ。それなのに、どうみても高価そうな物をポンと気前良く、私にくれるだなんて。

 (あ、でもこういう庶民的な食事は珍しいのかも知れない)

 将軍の食事には細かな決まりがあると、まことしやかに噂されている。
 精がつきすぎるもの、とれすぎた物、見た目や縁起が悪い物などが禁止されているとかなんとか。それに加え毒見をしたり、異物混入確認をしたり、更には一度温めた物を再度毒見したりと、何度も将軍の口に入る物は確認されるらしい。

 (だから、最終的に公方様の前にたどり着いた食事は、冷や飯になっているって話だけど)

 もしそれが本当の事ならば、料理人でもない私の料理を有難がってくれるのは、温かいから。きっとそういう事だろう。

 (ここでは一切そういう事気にしてなかったもんな)

 それはそれで問題がありそうだが、将軍御本人(ごほんにん)である帷様が喜んでいるのであれば、少しの違反は帳消しとなるだろう。

「ありがたく頂戴いたします」

 私は帷様に再度礼を伝える。

「うむ」

 少し照れたような顔で返事をした帷様。整った美しい横顔を眺めながら思う。

 (この時間がずっと続けばいいのに)

 かなわない事だと知りつつ、私は願ってしまう。

「冷めてしまったな」

 帷様が立ち上がり、いつもの定位置。箱膳(はこぜん)の向こうに座り直す。

美麗(みれい)の件だが」
「はい」

 突然真面目な話になり、私は頂いたばかりの漆塗りの箱を風呂敷ごと慌てて横に置く。

「確認したところ、伊桜里に言われ、美麗に情けをかけた。それは間違ってはいなかった」

 どこか寂しげに私に告げる帷様。

「確認……ですか?」

 私は一体誰に確認したのだろうと不思議に思う。

「そ、それは勿論自分の記憶に確認したという事だ」

 帷様はやましい事を隠すかのように、ぱくりとおにぎりに(かじ)りついた。

「なるほど。では美麗様が口にされた事は本当だと言うわけですね」

 おにぎりを頬張る帷様はコクリと頷く。

 (そっか、伊桜里様でもそういう事が出来ちゃうのか)

 私なら好きな人を誰かに差し出すなんて、出来ない。

 (だって嫌だもん)

 しかしそう思うのは少数派だろう。
 そもそも各地で名を馳せる大名には、正妻の他に側室がいるのが当たり前だし、世の中に人が溢れている分、それだけ多くの愛の形がある。だから一見すると歪んで見えるような愛も、それはそれで真剣なものである可能性が高いわけで。

 (帷様はどうなんだろう)

 ある意味、帷様は美麗様に対する復讐の道具に利用されたとも言える。

「それでも……。色々真実を知っても、帷様は伊桜里様の事をお慕いされているのですか?」

 気付けば本人にたずねてしまっていた。そんな私の無遠慮な問いかけに、帷様はギョッとした様子で固まる。

「も、申し訳ございません。不躾な質問でした」

 私は慌てて頭を下げる。

「いや、誰もが疑問に思うだろうから気にするな。正直俺は良くわからん。しかしそこまで追い詰められていた伊桜里の気持ちに気づかなかったこと。それをひたすら悔やんでいるようだ……いる」

 (でた、他人事(ひとごと)作戦)

 他人事地味た言い方をして、自分の気持ちを表現する癖。それは多分、帷様が自分自身の心を守るためだと私は思っている。

 (公方(くぼう)様って、気苦労多そうだし)

 きっと他人事に思わなければやっていけない事が沢山あるのだろう。

「お前は、伊桜里のした事をどう思う?」
「そうですね、理解し難いですけど、ここは大奥ですから」
「それはどういう意味だ」

 帷様がきんぴらに箸を伸ばし、私に尋ねる。

「私はここが公方様の寵愛を賭けた合戦場(がっせんじょう)に思えるんです。なので、時には鬼に魂を売る事もあっても仕方がないのかなと」
「仕方がない、か」

 帷様は少しだけ切なそうに眉根を寄せた。

「だって「勝つことは生きること」そう言いますから」
「では、自ら命を絶った伊桜里は負けたということか?」
「ええ、恐らく」

 私がそう答えると、帷様は複雑そうな表情を浮かべる。

「だだ、やはり伊桜里様はお優しい方なんだと思います。そうじゃなかったら、自害なんて選ばないでしょうから」

 (私なら死ぬ事を選ばない)

 生きて美麗様に仕返しをする。そもそも死んだら、お手付きになり大奥から逃げられない美麗様が朽ち果てて行く姿を見届ける事が出来ない。だから私ならば生きてそれを見届けるやりかたを選ぶ。

 けれど、伊桜里様は自らの命を絶つことで、勝ちを得ようとした。

 (それってあまりにも潔ぎ良すぎる)

 一体何を思ってこの世を去ったのか。

 伊桜里様の残された書簡。
 それが発見出来なかった事が悔やまれる。

 私は冷めてしまった味噌汁を見つめる。

「やっぱりお前のきんぴらはうまいな」

 帷様が突然話を変える。

「お気に召して頂けて良かったです」
「お前は外に出たらどうするんだ?」
「そうですね。多分今まで通り、与えられた任務をこなす毎日に戻るだけかと」

 私は自分で言って悲しくなる。何故なら代わり映えのしない人生をこの先も続けていくのだと、改めて実感してしまったからだ。

 私は冷たくなった味噌汁の入ったお椀を手に取る。

 (みんなは結婚、出産と、人生の転機があるけど)

 私にはそれが望めない。
 普通だと言われる人生を辿ることを私はもうずっと諦めていた。けれど、大奥で帷様と過ごした時間が思いの外楽しくて、同じような事をこの先も続けられたらいいなと願ってしまう自分がいる。

 (でもこの気持は、きっと時間が解決する)

 願ってみた所で手にすることは出来ない。だから諦めるしかないし、目の前に課せられた任務をこなしていくうちに、きっと帷様と過ごして楽しかった思い出は過去のものとなる。

 (私は帷様の事を忘れないけど)

 共に歩む道を望む気持ちは薄れていく。

 私は味噌汁を口に含む。
 冷めた味噌汁は少し塩辛く感じた。

 (あぁ、そっか)

「もしかしたら伊桜里様は、公方様の事をずっと好きでいたかったのかも……」
「どういう事だ?」

 帷様に問われ、私はつい口に出してしまっていた事に気付く。

「美麗様を恨む気持ち、それを突き詰めて行くと帷様に行き着くと思うんです」

 私はみんなの想いを独り占めする、罪深き将軍である帷様の顔を見つめる。

「どうして俺に行き着くというのだ」

 息を吸い、一気に述べる。

「もし帷様が公方様じゃなかったら大奥に来る事もなかったし。もし帷様がどこかのお侍さんだったらお世継ぎをもうける事への重圧も少なくて済んだかも知れない。そんな思い詰めた気持ちが重なり、いつか帷様の事まで憎んでしまう」

 これは完全なる推測だ。
 だけど、あながち間違っていない気がする。

「伊桜里様は公方様をお慕いしている感情だけは、誰にも、自分にさえ奪われたくなかったんじゃないかと思うんです」
「だから命を絶ったというのか」

 帷様が眉間に皺を寄せる。

「はい。伊桜里様は公方様を好きな以上、大奥からは出られませんから」

 つまり逃げ場がないのだ。
 そして病んでいく先にあるのは、帷様を恨む気持ち。

 そもそも伊桜里様は勝つとか、負けるとか。そういう気持ちは自分に向けていたのかも知れない。

「ここから出られぬ、か」

 何を思っているのか、帷様は物憂げな表情をきんぴらに向ける。

「まぁ、今ここで伊桜里様のお気持ちをあれこれ考えても、書簡が見つからなかった以上、本当の事は誰にもわかりません」

 私は自分の不甲斐(ふがい)なさを責める気持ちで口にする。

「伊桜里も辛かったかも知れん。しかしどんなに辛い事があろうとも、命を絶つ事を許されない者もいる。俺は、自らこの世に線引きした伊桜里を優しいとは思わん。自分勝手な奴だと思う」

 帷様は眉間に深く皺を刻む。そしてムスッとした表情のまま、残りのおにぎりを口に入れた。

 帷様はこの先も伊桜里様を救えなかったと、自分を許すことはないのだろう。そして先に旅立った者は残された人の苦しみを知らない。

 (伊桜里様、あなたはそちらで幸せなのですか)

 苦悶(くもん)に満ちた表情で。それでも生きる為に食事をとる帷様を眺めながら、私は心で問いかけたのであった。
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