五十三の巻 前に進む光晴、そして停滞する帷

文字数 5,179文字

 (さかのぼ)る事数日前。江戸城本丸。中奥(なかおく)にある秘密の部屋に俺はいた。
 
 すでに渡してあった、伊桜里(いおり)の書簡。それについて話したい事があると、光晴(みつはる)に呼び出されたからだ。

 因みに琴葉(ことは)から聞いた、貴宮(たかのみや)の想いとやらも書簡を渡した時に、俺なりに解釈し伝えてはある。

 『――「おかえり」「ただいま」を言い合う存在が、政務を頑張ってらっしゃる(とばり)様にも必要で』

 俺は密かな得意技、自分にとって都合の良い部分を切り出す。

 (正直、あれは俺に向けられた言葉だと思ったから)

 俺だけのものとしたかった。

 しかし、光晴が大奥に行くきっかけになるのであれば、出し惜しみをしている場合ではない。よって貴宮の想いとして、光晴には渋々伝えた。

 そして現在、上座に腰を下ろす光晴は腕を組み、目を(つぶ)りジッと考え込んでいるという状況。

 (呼び立てておいて、これだもんな)

 一体今度は何を思って俺を呼んだのか。
 ため息をつきながら、口を開く。

服部(はっとり)琴葉からの伝言を、早速実行に移されたようで。ありがとうございます」

 書簡を受け取ってから数日後。
 光晴が貴宮様の元を訪れたという話は耳にしている。

 (きっとその事だろう)

 そう思い、話を振ってみたのだが。

「やはり無理だ」

 ようやく目と口を開いた光晴は不機嫌な顔で俺に訴えた。

「何が無理なのですか」
「お前が言う通り、貴宮なりに懺悔(ざんげ)の気持ちを持ち、伊桜里の書簡を守り抜いた事。その礼くらいはと思い、足を運んだのだが」

 光晴はそこで一旦言葉を切ったあと、ため息と共に肩を落とす。

「どうにも、居心地が悪かった。姉小路(あねのこうじ)は、私を殺さんばかりの視線で射抜いてきやがったんだぞ?」

 不服そうな声と共に、自分の肩を抱き身震いする光晴。どうやら相当(こた)えたようだ。

 (まぁ、姉小路にとってみれば、顔を見せぬ光晴よりも庇うべきは断然貴宮様だろう)

 御殿で琴葉を取り囲み、鼻息荒く岡崎(おかざき)と言い合っていた姉小路を思い出しながら、光晴の身に起きた状況を理解する。

「私は自分が将軍である事を忘れそうになった。というか、むしろ虫けらを見るような、そんなけしからん視線だったな、あれは」

 恨み節を炸裂(さくれつ)させる光晴。

「そもそも、今まで放置していたこと。そして伊桜里の喪に服す期間について揉めたばかりなのですから、ある意味自業自得でしょう。なぁ、宗範(むねのり)?」

 俺は背後に素知らぬ顔で控える大老、柳生(やぎゅう)宗範を巻き込む事にする。

「帷様の仰る通りでございますな。しかし、貴宮様に対しては以前のような素知らぬ感情とは違う物を、光晴様はお感じになられたのですよね?」
「そうなのか?」

 宗範の言葉を意外に思い、真意を確かめようと光晴に視線を戻す。

「私が彼女に感じたのは同士。そんな感じだろうな。伊桜里に対し感じるお互いの罪悪感を話し合う。それ自体は有意義とも言える時間であった」

 (なるほど。傷の舐め合いをしたのか……)

 それでも以前よりはずっと歩み寄ったと言える。

「そもそも、私は貴宮と子を作る事はない。誰もそれを望まぬからな。かつては伊桜里もいたし、それこそ貴宮に情が沸かないようにと、遠ざけていたが」

 光晴はそこまで言ってから、ふっと笑みを浮かべる。

「逆に、子を作らねばという責務を負わないでいい分、貴宮と話すのは悪くないと思った」

 光晴が笑いながら、観念したような表情を見せる。

 (これは良い方向に向かっているということか)

 何となくホッとしかけたその時。

「私は伊桜里の残した書簡を目にし、彼女がどれだけ俺を想ってくれていたか。それが痛いほどわかった。彼女が命を賭け私を慕ってくれた分、伊桜里以上に誰かを慕う事はないだろう。いや、そうでありたいと思う」

 言い切った光晴の表情は曇っている。

「しかし、日々政務に追われていると、段々と伊桜里の件が私の中で薄れていくのも事実だ。そんな自分が嫌でたまらぬ。しかし一方で、このまま大奥から逃げるわけにもいかないと、少しはそう思えるようになった」

 前向きな言葉とは裏腹に認め難い。そんな表情をみせる光晴。

 多分光晴の中では、日々薄れていく罪悪感や想いを、伊桜里を裏切る行為だと思ってしまうのだろう。

「光晴様。それは人として当然の事ではございませんか? 人は誰しも忘れる事があるものでございますよ」

 宗範が力強く、光晴が抱えた葛藤(かっとう)の正当性を後押しする。

「時間が解決すると言うしな」

 俺も宗範の意見に賛同する。

 人の心は成長する。
 だから、伊桜里を失った時間が経過するにつれ、己の中に渦巻く、悲しみや後悔に囚われず、伊桜里のいない日々を事実として冷静に受け止められるようになる。そうなれば、自ずと前進できる。というか、生きている以上そうするしかない。

「何はともあれ、貴宮様との仲が深まる事は良きこと。そして、出来れば他の者にも目を向けて頂けると幸いです」

 宗範が懇願を込め、締め(くく)る。

「……あぁ、善処する」

 光晴は渋々といった様子だが、肯定した。

 (これで少しは進展するか?)

 いや、進展してもらわねば困る。

 (重ね重ね残念なのは、光晴がやや前向きになった事をあいつに俺の口から教えてやれない事だな)

 琴葉の見逃すまいといつでも大きく見開いた、美しい瞳を思い出しながら、そんな事を考える。

 (俺も光晴の事を言えない……か)

 いつまで経っても未練たっぷり。
 未だそばに置いておきたいと願ってしまう。

 (これもまた時間が解決するのを待つしかないんだろうな)

 諦める事は慣れている。
 だから今回もただジッと己の心が成長するのを待つだけだ。

 そんな風に自分に言い聞かせていると。

「まぁ、私のほうはそんな所だ。で、お前はいつ極上のきんぴらを私に食わせてくれるのだ?」

 まるで俺の頭の中を覗き込んだかのように、光晴が話題を変えてくる。しかも堪えきれないと言った感じで、口元を(ゆが)ませているではないか。

 (最悪だ)

 どうやら光晴にとって、今日の本題はここからのようだ。

「きんぴら……はて、何のことでしょう」

 俺は素知らぬフリを決め込む事にする。

「そうきたか。しかしおかしいな。私の元には四井(よつい)越後屋(えちごや)から、大層値が張る、根掛(ねが)けと(かんざし)を購入したと報告が入っている。しかし私にはそのような物を購入した記憶は一切ない。まさか宗範、私はとうとう()けてしまったのだろうか?」

 わざとらしく宗範に話を振る。

「いいえ、光晴様は正常でございます。何故なら、帷様が四井越後屋を呼びつけ、光晴様の名を語り「女物の品」を自腹で購入していたと、服部半蔵(はっとりはんぞう)正秋(まさあき)の息子、正輝(まさき)が申しておりましたので」

 先程まで俺の味方であったはずの宗範が、呆気なく裏切った。

 (しかも、正輝。お前もか……)

 光晴や宗範から問われたら、まぁ答えざるを得ないとは思う。

 しかしよりによって、一番知られたくない事を、一番知って欲しくない者達に、正輝はバラしてしまったようだ。

 俺は心で正輝に刀を抜いた。

「てっきり「女物の品」とやらは、うまいきんぴらを作る者への礼だと思っていたのだがなぁ」

 脇息(きょうそく)についた(ひじ)で顔を支え、俺そっくりな顔でニヤリと意地悪く微笑む光晴。

 (くっ、最近いつもこの流れじゃないか……)

 俺は光晴のわざとらしい笑顔を恨めしく(にら)みつける。

「私は思うのだが。お前はそこまで慕う者を何故手放せるのだ」
「俺がこの国で忌み嫌われる双子だからです」

 ズバリ即答してやった。

「しかしな、相手も双子ではないか」
「それはそうですが」

 (だからと言って、双子である事実がなくなる訳ではない)

 むしろ双子である事実と憎悪が増すだけだ。

「お前は我儘(わがまま)だな。好いた者が生きていて、手を伸ばせば届く場所にいるというのに、それをみすみす手放そうとしている。見ていて不愉快だ」

 光晴が吐き捨てるように言う。
 伊桜里という最も大切に思う女性を亡くした。その傷を背負う光晴に言われる「不愉快だ」という言葉は心に来るものがあり言い返せない。

「しかも、己を忘れるなと言わんばかり。未練がましく贈り物などをし、結局はあやつの気持ちを弄んでいるようにしか思えん。これまた見ていて不愉快だ」

 確かに忘れるなと思う気持ちが、琴葉に贈り物をしてしまったのかも知れない。
 光晴に指摘され、俺は自分の浅ましい思いに気付き、唇を噛む。

「しかもお前は彼女を手元に置き、まるで夫婦のように寝食まで共にした。彼女に幸せな夢を見せてしまったんだ。どうせ最後に拒絶するのであれば今まで通り、お前は服部琴葉を遠くから眺めて満足すべきだった。己が彼女にした仕打ちを、残酷だとは思わないのか?」
「…………」

 光晴の言葉に反論出来ない。
 全く()ってそのとおりだと思うからだ。

「そもそもお前は、彼女に対する想いをきちんと伝えたのか? 言葉にして、行動で示さねば伝わるものも伝わらぬぞ。何より私が気に入らないのは、お前自身が己の心を整理できていない事だ」
「俺の……心?」

 俺は光晴の指摘に項垂れていた顔をあげる。

「そうだ。お前は今、己の心に嘘をつき、誤魔化し、仕方がないと納得しているフリをしているだけだ。本当はまだ諦めきれず、未練タラタラではないか。そんな状態では、いずれ後悔する日が来る。それでは意味がない」

 俺は光晴の言葉を噛み締めた。
 確かに光晴の言った言葉は間違ってはいない。

 しかし俺にも言い分はある。

「兄上は……自分の気持ちをあいつに言えというが、それを口にしてしまえば、俺と兄上との関係が知られてしまう。俺は兄上の影であり、表に出る事はかなわない。一体どうすればいいのですか」

 俺は再度俯きながら、絞り出すような声で問う。

 (全てがうまくいく方法があるのならば、俺は迷わずその道を進む。けれど、そんなものはない)

 だからこうやって苦しみ、耐えてきたし、これからもそうするしかない。

「私はお前の苦しみを理解しているつもりだ。何故なら表に出ている私もまた、双子だからな」

 光晴の言葉に、忘れかけていた事実を思い出し、ハッと顔を上げる。

 (そうだ。俺ばかり損をしていると思いがちだが)

 光晴も俺と同じ。同じ親から産まれ、歩み道を(へだ)たれた俺の事で悩み、傷ついている。
 大抵の者が経験する事のない、追わなくて良い、双子の弟という重荷を背負わされているのだ。

「帷、勘違いするな。私は双子であっても、私は私であり、お前は私ではないと思っている。お前は俺の双子の弟である前に、帷という一人の人間だ」

 まるで俺の頭の中を読み取ったかのようだ。
 光晴が先回りし、俺の考えを否定する。

「それに私は双子だから出来ないではなく、お前と双子だから出来た事のほうが遥かに多いと思っている。だからお前にもいつか、私の双子の弟であって良かったと思って欲しい」

 心の内を明かし、微笑む光晴。

「もし本当に彼女が欲しいのであれば、己の心のまま動けばいい。欲しいと願い行動すること。私が治める桃源国(とうげんこく)は双子だろうとなんだろうと、それを許す国だ」

 堂々と告げるその姿は、誰よりも頼もしく思えた。

 (光晴と俺は違う)

 けれど光晴と俺だからこそ出来る事があると、光晴は言っている気がした。

「今すぐは無理ですが、いつか彼女に自分の素性を明かそうと思います。その時はもしかしたら、兄上にご迷惑をかけてしまうかもしれません」
「気にするな。というか、まだのんびり構えているつもりなのか?」
「流石に明日明後日というわけには行きませんので」

 俺にとって服部琴葉は特別な感情を抱く者だ。
 けれどそんな特別に想う者は、俺を光晴だと思い込んでいる。

 (そもそも、俺がそう思うように仕向けたのだが)

 まずは(だま)すような形になってしまったこと。
 それを謝るべきだろう。そしてその方法などは熟考せねばなるまい。

 (怒らせたくはないし、失敗もしたくはない)

 よって、今すぐ自分の気持ちを伝えるわけにはいかない。
 計画を練って練りまくらねばならぬのである。

「お前は頭が固いよなぁ……。でもまぁいいか。その方が根回しする時間があるしな」
「根回しですか……」

 (やはり服部半蔵正秋に先に、琴葉に俺の正体を知らせる旨を伝えておくべきか)

 光晴にしては、いい閃きだと思わず感心する。

「宗範、どうだ。私もやればできるだろう?」
「はい」

 何故か孫を見つめるような、そんな老後を楽しむ隠居者のような柔らかな表情をみせる宗範。

「うまくいったな」
「えぇ、本当に」

 光晴と宗範がしてやったりと言った感じ。怪しい笑みを向け合っている。

 (気持ちが悪いのだが……)

 何となく嫌な予感がしつつも、その時は「服部琴葉に如何(いか)にして本当の事を伝えるか」それから、光晴から受けた多くの指摘を思い返す事で思考が埋まっていた。

 だからまさか光晴が、俺の為に行動を起こすとは微塵(みじん)も思っていなかったのであった。
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