九の巻  落ち武者再び1

文字数 3,013文字

 大奥入りが決まり、父が新しく振り袖を仕立ててくれた。

 それは(あわせ)と呼ばれる裏地のついた、まるで冬の透きとおる空のような、美しい花浅葱(はなあさぎ)色のものだった。しかも冬らしく、南天(なんてん)椿(つばき)が描かれた見るからに豪華な振り袖だ。

 (何か、お見合いに行く人みたい)

 少し恥ずかしい気持ちを抱きつつ。

 (でもやっぱり気分があがる)

 新品の着物に袖を通すと、自然と心が弾んでしまう。

 (よし、この着物に恥じぬ働きをせねば)

 しっかりと決意し、いくつかの荷物と共に駕籠(かご)に乗り、大奥に向かう。そして無事に奥女中の仲間入りのち任務開始……とはいかなかった。

 何故なら私は、待ち構えていたらしい正輝(まさき)によって、大奥の通用口から入ってすぐのところにある、御広敷(おひろしき)内に有無を言わさぬ勢いで連行されてしまったからだ。

 正輝に続いて通されたそこは、いわば大奥の管理事務局といったところ。大奥を影で支える男性役人の詰め所となる場所である。

 御広敷に詰める彼らは、御錠口(おじょうぐち)の出入りを管理することは勿論のこと、出入りの商人とのやり取りや、警備などに勤めている。ちなみに江戸城御庭番(おにわばん)として秘密裏に活動する、伊賀同心達の詰め所があるのもこの場所だ。

 そして私は御広敷役人の詰め所内、八畳ほどの簡素な部屋に案内された。そこは男ばかりが詰める場所だというわりに、意外にも整えられた部屋だった。

 (というか余計な物がないというか、何というか)

 物見遊山(ものみゆさん)気味にキョロキョロと座敷内を見回し、床の間に飾ってある掛け軸の絵柄が、(うさぎ)(つき)である事に気付く。

「ねぇ、お月見とかもう随分前に終わったと思うけど」
「ん?あぁ、掛け軸のことか。ま、何もないより、いいんじゃないか?」

 私をこの部屋に案内した正輝は呑気に答える。

 (なるほど)

 ここには正輝のような、かなりいい加減な方向に傾いた人が何十人も勤務している。

 (うん、たぶんそう)

 季節外れの掛け軸を眺めながら確信する。

「で、何で私はここに通されたわけ?」

 正輝に尋ねると、ギシギシと床を踏み鳴らす音が部屋の前で止まった。

 (誰かくる)

 強張(こわばり)りそうになる顔をあわててほぐし、背筋を伸ばす。そして障子(しょうじ)が引かれる、その時を僅かに緊張しながら待つ。

「すまぬ。待たせたな。色々と準備に手間取った」

 ピシャリと音を立て、勢いよく開いた障子の向こうから、たぶん男が現れた。たぶん、と表現せざるを得ないのは、目の前の人物に見覚えがあったからだ。

 女性物の着物に、頭頂部を剃ったつきしろ。横にぼさっと垂れた髪とくれば。

「落武者様だ」

 思わず呟く。

「こ、琴葉(ことは)、なんてことを!!無礼だぞ。ほら謝っておけ」

 慌てた様子の正樹が私の頭を掴む。そして無理矢理畳に押し付けた。

「い、痛いんだけど」
「申し訳ございません。こいつは悪気があった訳ではなく、大奥入りをする。そして慣れない場所とあって、緊張のあまり無礼な事を口走ってしまったと思われます。何卒(なにとぞ)、お許しを」

 私と並んで座る正樹が勢いよく体を折り、おでこを畳につけた。

 (え、そんなにまずかった?)

 畳に頭をつけたまま、私は顔を横に向け正輝を盗み見る。すると正輝は唇を噛み締め、目を閉じて畳に頭をつけていた。

 (そこまで!?)

 正輝の慌てぶりに、頭を下げながら目を丸くする。

「わかったから、(おもて)を上げてくれ」

 呆れたような声で許され、私は遠慮なく頭をあげる。対する隣の正輝は恐る恐ると言った感じでゆっくりと頭を畳から戻した。

「別に何とも思っちゃいない。それに俺がお前の妹に落武者扱いされるのは、これで二度目だ。今更だな」

 言いながら、落武者様は私と正輝の向かいに腰を落ち着けた。

「なんということだ!!」

 正輝が大袈裟に私を睨む。そんな正輝を無視し、気になった事をたずねる。

「なんで、私が正輝の妹だとご存知なのですか?」

 (少なくとも私は言ってない。それどころか問われても、ちゃんと否定した)

 となると犯人は一人。隣に座り、こちらを睨みつけている正輝しかいない。

「まさか言ったの?」
「まさか覚えてないのか?」

 同時に発した言葉が被さり、呪文のように難解な音となる。

 正輝が更にむっとした顔になると私を睨みつけてきた。呆気なく散った私の疑問に正輝は答えてくれそうもないという状況だ。

「確かに私はこちらのおち……随分と面白味(おもしろみ)のある方とは初対面じゃないわ。以前兄上と共についた警護の任でお会いしたから」

 渋々正輝の問いかけに答える。

「は?そうじゃなくて、昔、兄上と俺と」
「正輝、そこまでだ」

 正輝の言葉を落武者様が遮る。

「しかし、それでは」
「良いと言っている」

 二人が苛々(いらいら)としているのが手に取るようにわかる。そのせいか、部屋の空気が一瞬にして、張り詰めたものに変わった。

 (どうなってるの?)

 何だか私が悪者みたいな雰囲気だ。

「私の名は(とばり)と申す。それ以上でもそれ以下でもない」

 落武者様がとうとうその名を口にした。

 (なるほど、この方が帷様)

 どうやら目の前の風変わりな人物が正輝の上司、妖狐(ようこ)の帷様らしい。

 (だから私の事情をご存じなのか)

 大奥に限らず、江戸城で仕える役人は一人残らず、きちんと身辺調査され、採用される事になっている。

 それは勿論、この国にとって非常に大事な将軍に間違いがあったら大変だからだ。よって、例え旗本(はたもと)の息子でも身辺調査は例外なく行われるのだろう。

 そして私という存在が(あぶ)り出された。

 (そういうことだったのか)

 ようやく納得する。となれば、今更ジタバタしてもしょうがない。

「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私は服部半蔵(はっとりはんぞう)正秋(まさあき)の娘、琴葉と申します」

 私は滅多に口にすることのない、全くもって慣れない「(むすめ)」という言葉を使い自己紹介をした。

「うむ」

 腕組みをし、短く答えた、落武者改め帷様の表情が少しだけ緩む。しかしすぐに真面目な顔に戻ってしまう。

「さて、お前をここに呼んだ理由だが」

 一旦言葉を切り、私をまっすぐ見つめる帷様。

「お前は俺と大奥に潜入し、伊桜里(いおり)の死の真相を探る、以上だ」
「俺と、ですか?」

 無礼を承知しつつ、聞き間違いではないかと驚き、重要な部分を聞き返す。

「驚くのも無理はない。大奥は男子禁制だからな」

 (そう、それそれ)

 私は頷きを返す。

「既に周知の事であるが、二ヶ月ほど前に伊桜里が亡くなった」

 帷様は静かな声で話し始める。

「ここからは公になっていないものとなるが」

 前置きをし、ため息を一つつくと、更に声を落とした帷様は、話の続きを口にした。

「彼女は自ら小刀で喉を突き、座ったままうつ伏せになった状態で発見された」

 私はハッと息をのむ。死因を出血死だとは聞いていたが、それが自ら起こしたものだとは疑いもしていなかったからだ。

 (さぞ、無念だったに違いない)

 逃げ道のない袋小路に追い込まれた挙句、敵に捕まり、自白を迫られ自害する。もし私が自害を選ぶならきっとそうだ。

 (そんなの悔しくてたまらない死に方だ)

 自分に置き換え、唇を噛む。

「残念ながら過去を振り返ると、大奥で自ら命を絶った者がなかったとは言えない。しかしその多くは井戸に身投げをするといった形だった。よって、現在では(くれ)()つになると、井戸には(ふた)をする決まりとなっている」

 厳しい顔をした帷様の言葉を受け、正直私は恐怖を覚える。

 そんな決まりが作られるほど、多くの者が自ら死を選ぶ場所。
 
 それが今私がいる、大奥という場所なのだ。
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