早く死ぬことは悪いことなのだろうか?

文字数 833文字

『うちの父が亡くなったんです。まだ70だったんです。』
『なぜうちの人がこんなに早く死ななくちゃならないのか』

『88まで自分が生きるなんて思ってもいなかった。腰は痛いし、膝は痛いし。
歳をとるたびにつらいことが増えてくる』
『私は94です。頭はなんとかはっきりしてますがね。こんなに歳を取らずにもっと早く逝きたかった。
もちろん頭もはっきりして、足腰も丈夫だったらこんなことは言いませんけどね。』
『もう100ですけどね、自分でトイレに行くことができないなんて最悪です。早く逝きたいね。』
『あの人は70で死にましたけど、急死でしたので、介護もなにも必要なかったんですよ。それはほんと良かったわ。』

死は現代医学では避けられないものだ。
若いうちは自分の家族が苦しんで死んだり、早く死んだりすると悲しみと同時にやりきれなさや怒りを感じる。
その一方で、80代ー90代の認知症や関節症で生活の制限をされている人々にとっては生きていることが苦痛と感じる人が多い。
高齢の両親を施設や病院に収容している人は、高額な金を払っている。
状況の改善はせず、やっと生きているだけの状態を維持するだけなのに。
こころの中では早く苦しませずに死んでほしいと思っている人もいるだろう。

死は避けられている。
死は綺麗なものではない。
皆が明日のジョーのように疲れ果てて真っ白になって突然死ぬわけではない。
死は汚いものだ。
死にゆく人は寝たきりになり、排泄物は垂れ流し、介護をしなければ皮膚は圧迫され床ずれを作って腐る。
現代はその様な死を汚いものを見たくない。
排泄物を水洗トイレで流すように汚いものを見たくない。
綺麗なものだけみたい、頭のはっきりした人とだけ関わりたいという社会だ。
死にゆく人は病院へ施設へ送り、その中でどんなことが起きているかよくわかっていない人は多い。

どうせいつか死ぬのだから死を少しずつ受け入れるべきだと私は思う。
100歳まで生きてつらい思いをするのなら、70歳で急死するのもある意味幸せだと思う。

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