第1:島村秀一誕生と善次の投資開始

文字数 1,508文字

 主人公、島村秀一の父、島村善次は、1963年7月、東京多摩ニュータウンで生まれ3人兄弟の2番目で頑張り屋。高校卒業後、1981年4月、都立大学経済学部に合格。小さい時から、お年玉、お小遣い、アルバイトの金をため大学2年の1983年8月、N証券で口座開設時には、既に120万円の貯金を持ち証券口座を開いた。

 さらに、父に300万円を借り投資資金の合計を420万円にした。1983年12月15日、朝8時過ぎにN証券の担当者から三井物産の気配値が340円となっているので成り行きで買ったらと言われ、成り行き買いで1万株の注文をお願いした。すると9時過ぎに、すぐ340万円で買え、投資残金が80万円となったと連絡が入った。

 その後も大学に通いながら土日、家庭教師のアルバイトを継続。やがて1986年3月に都立大学を卒業し、RS銀行・多摩ニュータウン支店に入社。同じ、RS銀行・多摩ニュータウン支店の片岡節子さんと結婚。そして2人で共働き。しかし東京都内では、マンションしか、買えないので、自然豊かで東京まで30分程で行ける場所を探し始めた。

 入社3年目、1988年4月、島村善次は、転勤で、RS銀行和光支店にへ転勤。その際、可愛がってもらった多摩ニュータウン支店の頭取に、結婚したばかりなので奥さんの節子さんと一緒に転勤させてほしいと懇願し受理された。埼玉県和光市は、近くを荒川が流れ、自然豊かで公園も多い土地である。東京まで東武東上線で15分と交通の便も悪くない。

 そして、1988年3月、転勤が内定した頃、和光市へ行きレンタカーを借りて周辺をドライブした。すると、彩湖・道満グリーンパーク、秋ヶ瀬公園、朝霞の森など自然豊かな土地だということが分かった。転勤後の住まいは、RS銀行の家族寮として2LDKのマンションを月3万円で貸してくれる事になった。

 その後、1988年4月12日、島村の奥さんの節子さんが、妊娠したことが分かり、出産予定日が、1988年12月12日と告げられた。そして、転勤して、1988年4月1日から社宅の近くからバスで10分で、銀行に着き、仕事に慣れるよう、気を張って働いた。やがて梅雨が明け7月から暑くなり、島村の奥さんの節子さんも汗だくになりながら職場に通った。

 その後、12月1日から休暇を取り、来年1月10日まで産休を申請。亭主の島村善次は、12月12,13日の休暇をもらい節子さんの両親も家の近くに宿をとり来てくれる事になった。
そして、予定通り1988年12月12日の早朝、近くの産婦人科病院で男の子を出産し、島村秀一と名付けた。

 その後、12月17日、島村善次は、奥さんの節子さんと生まれたばかりの長男、島村秀一をレンタカーを借りて、多摩ニュータウンの奥さんの実家へ送った。その後、12月は、何かとせわしなく過ぎ、1988年12月26日から島村善次は、有給休暇を取った。そして奥さんの実家に1989年1月2日まで泊まり、1月3日に和光市へ帰ってきて銀行に出社。

 その後、島村善次は、銀行で外勤業務をして定期預金口座を多くとれるように、バイクで周辺10kmの範囲を走り回った。その後、1月14日、島村善次は休暇を取り車で多摩ニュータウンの奥さんの実家へ行き、息子の島村秀一と節子さんと、お母さんをのせて帰ってきた。

「そして、暖かくなる4月まで、節子さんのお母さんが、節子と秀一の面倒を見てくれるというので、お言葉に甘えた」
「1989年3月31日、三井物産株が上昇したと証券会社の担当者から連絡が入った」
「朝8時、1株1240円の気配値で全株売りの指示が出て全株成り行き売り注文を出した」。
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