第6話:投資信託は打ち出の小槌と島村が銀行を退職

文字数 1,585文字

「お客様に投信信託を乗り換えてもらう、度に、タクシーのメーターの様に、手数料が加算されていく」。
「つまり、銀行のもうけが膨らむ。これをお客様に、上手に納得させて、乗り換えさせて行くべきなのですと説明した」。
「これって、詐欺まがいと、心では、思っても、おくびにも出さず、うなづいた」。
「さらに、わざとらしく、なるほど、素晴らしい営業テクニックですねと、みんなが褒めちぎったのである」。

 そして、1999年になると、銀行では、こぞって、新商品、投資信託の販売合戦を繰り広げ、瞬く間に投資信託の売り上げの10%をすぐに超えて銀行の販売力を見せつけた。その陰には、血と汗と涙の物語がいくつもあったのでございます。この1999年、ヨーロッパでは、米ドルに並ぶ世界通貨ユーロが誕生し、EU加盟国で、使われるようになった。

 一方、日本経済では、6月の完全失業率が過去最悪の4.9%を記録し低迷を続けていた。しかし、島村の買ったヤフー株は、思惑通り、将来性を買われ年に2回の分割という前代未聞の事をして、株価を急上昇させていた。やがて1999年が終わり2000年を迎えた。この頃、島村は、投資信託の販売で、自分の顧客から銀行の手数料の方が、私の利益より多いと怒られ平身低頭の毎日だった。

 それが嫌で嫌でたまらなく、金を稼いだら、すぐにでも、この銀行の上司に辞表をたたきつけたいと言う気持ちでいっぱいになっていた。そんな気分の悪い2月に、神様がご褒美をくれた。それは、ヤフー株の爆上げで、2000年2月22日、朝8時過ぎ、証券会社の担当者から16790万円の気配値が出てると連絡があり、問答無用で、全株、2分割2回で4倍、3株が12株に増え成り行き売りを指示した。


 これによって、なな、なんと、155000万円を手にしたのだった。さらに、3月1日、証券会社の担当者からソニー株の気配値が33700円と出てるので成り行き売りしたらと言われ成り行き売りを指示した。その結果1992年に購入したソニー株、1株3600円で4千株、1440万円が、2000年3月1日、税引き後10700万円、ヤフーとソニーで合計、165700万円となった。

 これで、島村の腹は、決まり、2000年の夏のボーナスをいただき、上司に辞表をたたきつけ、胸がスーッとした。今後は、遊んで暮らせると、たかをくくった。まず、和光市駅からバスで10分圏内の大きな家の賃貸物件を探すと、築20年4LDK150平米の家を月8万円で借りられた。そこに、妻と小学校6年生の長男の秀一、と小学校4年生の長女の博美で住み始めた。

 そしてカローラも古くなったので、どこでも走れる、三菱スペースギアを300万円で購入した。退職当時、島村善次は、37歳と若かったが、十分に金もできたので、銀行での辛い仕事を考えると、仕事をする気になれなかった。今後も投資で生活して、自分の子供たちの将来のために役立てようと考えたのだった。そこで子供たちの教育に力を入れ始めた。

 そのため2001年4月長男の秀一に、進学塾に通わせて始めた。その時、秀一に、将来どんな道に進みたいと聞くと実業家になりたいと言った。その他、自分の将来についての希望を詳しく聞いてやった。大学に入って、アメリカ、カナダ、イギリス留学したいと言った。その話を隣で聞いていた、妹の博美が、私もアメリカ、カナダ、イギリス留学したいと言った。そして英語が上手になりたいと語った。

 そして、何の勉強が好きと聞くと、絵を描くのと音楽を聴くのと素敵な建築とデザインが好きと言った。父が、その中でも何が一番好きというとデザインと建築と言った。学科では何が好きと聞くと英語と文学、音楽、デザインと言った。わかった、君たちの希望をかなえてあげるようにするから、しっかり勉強して、頑張るのだよと言い聞かせた。
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