第11話:秀一がFXのサークルへ

文字数 1,443文字

 秀一は、和光市駅から早稲田大学へ、約1時間かけて、通い始めた。大学のサークルは、投資研究会に入った。その中でも外国為替、FX研究会と言う新しいサークルに興味を持ち、入会した。大学から帰ってきて、FX「外国為替証拠金取引」について、秀一は、父に説明した。外国為替証拠金取引とは、証拠金「保証金」を業者に預託し、主に差金決済による通貨の売買を行なう取引の事を言うと説明。

 すると、父が、株の信用取引の様なものだなと、言うと原理は、ほぼ同じであるが、FXの方が信用倍率を高くできるので、リスクもリターンも大きいと説明した。秀一が、20歳になったら、FXをしたいので100万円を貸してと父にいうと了解と答えた。しかし、日本では1998年に外国為替及び外国貿易法が改正され、いくつかの業者が取扱いを開始したが価格形成の問題やいくつかの問題があり、あまり普及しなかった。

 その後、本取引は、2004年4月1日施行の「金融商品の販売等に関する法律」の改正により「直物為替先渡取引」に該当することが明確になった。直物為替先渡し取引とは、通常スポット取引とされているもので2営業日後に該当する。 したがって、空港などである通貨とある通貨をその場で両替する行為は、該当しない。 顧客にリスクが大きいため、業者はリスク等に対する説明義務が課せられる。

 説明が尽くされておらず顧客が被害を受けた場合は、業者は損害賠償責任を負うことになる。本取引は、かつては取引に関する法律がなく規制もなかったため、多額の手数料を顧客から騙し取るといった悪徳業者が多発した。2005年7月1日に金融先物取引法が改正されたことで以下の規制が設けられた。しかし、その後もFX取引でのトラブルは、いぜんとしてとして残った。

 しかし、トラブルの多い業者は、顧客から敬遠され、自然淘汰され、健全な取引業者だけが残った。2007年の春休み、夏休み、秀一は、家庭教師のアルバイトを掛け持ちして、忙しそうに、原付バイクで出かけていた。夏が終わり、秋、冬と季節が移り、やがて、2007年が終わり2008年となった。このころ、長女の博美が大学予備校に入って早稲田大学を目指して勉強を続けていた。

 母が、博美に、早稲田でないを勉強するのと聞くと、一番興味を持ってるのは、建築と言い、建築学部を狙うと話していた。冬が過ぎ、2008年4月の予備校の一斉模擬試験受けて、早稲田大学建築学部への合格確立が75%でかなり高いことが分かりひと安心した。しかし、受験日まで、残り後1年足らず、早稲田大学建築学部の5年間の試験問題を解く日々を過ごし、自分のペースを守った。

 気分転換は、やはり洋楽を聞くことだった。特に、美しい旋律のポールモーリア、ヘンリーマンシーニ、リチャードクレーダーマンが大好きでステレオできいて、心を落ち着かせていた。運動も、母と一緒に、毎朝、散歩をするのを日課にしていた。2008年10月の予備校の一斉テストで、早稲田大学建築学部への合格確立が80%となり、このままのペースで行こうと決めた。
 
 朝晩、寒くなり12月を迎える頃には、会長管理に重きを置いて、うがい手洗い、睡眠時間を最低6時間、基本8時間のペースを守って、人ごみに出ないように注意をしていた。この頃、兄の秀一は、家庭教師のアルバイトの金が100万円を超え、150万円近くなっていた。2008年12月12日、秀一は20歳の誕生日を迎えて、市場の大きなFXの会社に口座を作った。
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