第10話:秀一の早稲田合格と横浜へ小旅行

文字数 1,803文字

 やがて、6月、梅雨に入り、梅雨が明けると夏、秀一は、エアコンを聞かせて勉強をして休むと少し音楽を聴いて、気分転換して、また勉強を再開して、多くの問題数を解いていた。8月が過ぎて、9月から再び高校へ行き、その後、進学塾への生活の連続。しかし、ステレオを聞くことで気分転換になるようで、明るい顔になった様な気がする。

 10月に入ると、進学塾で一斉テストが行われて秀一の早稲田大学商学部の合格の可能性が判定され、始めて80%を超え、安心したようだ。しばらくすると寒くなり年末を迎え風邪をひかないように両親も秀一の体調を心配していたが、今年は、風邪をひくこともなかった。そして2006年が終わり2007年を迎た。初詣に行き、早稲田大学商学部への合格祈願と合格絵馬を奉納してきた。

 入学願書をもらいに行き、1月23日までに提出を終えた、受験日が2月23日金曜で合格発表が3月4日だった。秀一は、2月に入っても体調を崩すことなく過ごし2月23日の受験日を迎え両親が付き添った。試験会場には入る前、深呼吸をして行ってきますと言い会場に入っていった。終了後、会場から出てくる時の顔は、穏やかで、満足げだった。見直しもできたし、行けるんじゃないとさらっと言った。

 合格発表の日も両親がついていき、最初に秀一が自分の受験番号を見つけて、あったと、はしゃぐように喜んだ。その後、入学の手続きを取りに行き、満面笑みで、帰ってきた。父が、学校の春休み4月5,6日、温泉に行こうと聞くと、母は、2005年に完成した横浜みなとみらい万葉の湯へ行きたいと話した。すると博美も大賛成で、秀一は、どこでもよいよと言うので、出かけることにした。


 2007年4月5日、早朝6時にデリカスペースギアで4人で乗り込んだ。国道443号線を南下して練馬から環状八号線をさらに南下し玉川インターチェンジから第三京浜道路で三ツ沢出口で降りて70分で到着。早速、できて間もない「横浜みなとみらい・万葉倶楽部」入館して、温泉に入った。そこは、海のすぐ目の前で景色もよく、潮風が心地よかった。

 そのため11時まで自由時間として、温泉に入ったり、仮眠したりして過ごして、11時に集まり、ランドマークタワーに上がったりして、桜木町駅からバスで中華街へ移動して、ガイドブックで探した、有名店に入って昼食を食べた。思ったよりも安くて、うまくて、満腹になった。その後、母と娘が、元町へ行こうと言い、男性たちが付き合わされ、買物の時間が長いので、近くのカフェで待った。

 15時に終了して、歩いて、港の見える丘公園へ行き、丘の上から、横浜ベイブリッジをみて、庭園ではバラが一部、咲き始めていた。その後、歩いて外人墓地、洋館を見学して、急な下り坂を降りると石川町駅についてタクシーで「横浜みなとみらい・万葉倶楽部」に戻って、再び、汗を流して、一休みし、その施設のレストランで夕食を食べた。部屋に戻って、今日の観光の話題で盛り上がり、床に就いた。

 翌日は、ベイブリッジを走ってみたいという女性たちの要望で、10時半に「横浜みなとみらい・万葉倶楽部」で清算を終えて、デリカで出発した。首都高湾岸線に入り、数分で首都高速湾岸線を左折してベイブリッジに入った。高さのある橋で海側から横浜、みなとみらいなどの景色が一望できて、奥さんと子供たちから、歓声があがった。橋を渡ると今度は、京浜工業地帯の製鉄工場が見え、大きなトラックが目についた。

 少し行くと、上空に飛行機が見え、やがて羽田空港へ、そこで、降りて羽田空港を見学しましょうと、言うので、羽田空港の駐車場に車を入れた。滅多に来られないから、しっかり見ましょうと母が言い、第一ターミナルと第二ターミナルまで見学して、その途中で、おいしそうなパスタの専門店を見つけて、昼食をとった。
建物上から、飛行機の離着陸を見ていいると、飽きないもので、全部見終わると16時近くなった。

 最後にカフェで、珈琲を飲んで、羽田空港を出て、蒲田方面へ向かい、環状八号線を練馬方面にひた走り、19時前に自宅に帰ってきた。母は、夕食を作るのが面倒で、各人の好きな物を買って、夕食にしましょうと話した。その後、お茶を入れて、夕食を食べて、風呂に入り、今日の観光の話をした所、子供たちが将来、留学したいと言い出した。父は眠いと言い、決まったら教えろと言い先に寝た。
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