第21話:博美が日大に合格と秀一が和光市役所へ就職

文字数 1,632文字

 そして先輩から売り時も、うまくやれよと、肩をたたかれ、やっと一人前と認められたのかなと思い、上機嫌になった。その後、毎日、家にいるときはパソコンで、外出中は、携帯電話で株価を見ていた。もう金もないので、投資することができず、家庭教師のアルバイトをするために、気圧期の自転車を父に買ってもらい、
土日中心に稼ぎまくった。

 一方、秀一の妹、博美は、受験を終えて、日大経済学部は合格したが、首都大学経済学部は不合格となった。しかし、落ち込むこともなく、日大の方が自宅kら近くて良かったと強がった。和光市駅から大学まで50分程度で通学し始めた。大学は神田神保町の古本屋が立ち並ぶ一角にあり、大学に入ると、秋葉原のオーディオセンターの素晴らしいステレオで音楽を聴くのが好きになり通いだした。

 学校に通いだして、女性の友だが5人グループができ、神田の喫茶店で、長話してストレス解放させえていた。その中の1人の沢野さんが、優秀で、学校から要求提出物の草稿を一番に書きてきて、そのコピーを渡し、参考にしてレポートを提出するようになった。運動は、苦手なので入らず、図書館で本を読んだり、秋葉原へ行って、大好きな音楽を素晴らしい音質で聞くのが最大の楽しみだった。

 兄の秀一は、春休み、夏休み、冬休みと、働きまくり、2009年中に投資残金が200万円を越した。2010年のお正月、実家に帰って、父に、オリックス株のことを話すと、カエルの子はカエルだなと言い、豪快に笑った。そして帰り際に、300万円を内緒で送金してやると言ってくれた。2010年に入っても同じように、大学へ行って授業を受け、終わるとすぐに夜の家庭教師に出かけ、投資研究会に顔を出す機会がめっきり減った。

 もちろん、女の子とデートする暇も映画を見る暇もなく、勉強と家庭教師の毎日だった。しかし、不思議に嫌になる事はなかった。金ができたら、また、株で勝負できると考えると、わくわくした程だった。大学の卒業論文も株投資につい書くと、担当のゼミの先生から、大学の卒業論文としては、あまり学術的ではないが、個性的で面白い小説の様な投資論だと言ってくれた。

その後、卒業論文の手直し、すべき点を指摘され、2010年10月中に校正した卒業論文を提出し、ゼミの先生に提出して。11月中旬、受理されたと連絡を受けた。しかしゼミの先生が、その論文について文学部の卒論みたいだとか、面白い小説みたいだとが、いろいろ大変だったという事を聞かされた。しかし個性的な論文の方が型どおりの論文よりも良いと考えたゼミの先生が、ずいぶん押して、ようやく教授会の審査を通したという話を後から聞かされた。

これで、2011年の卒業が約束された。就職口をどこにしようか、父に相談すると、社会人になって、どんな生活をしたいかと聞かれた。その質問に対し、株投資をする時間が欲しいから、あまり忙しくない職場で、安定した所と告げた。すると、役所しかないだろうと言われた。近いところなら和光市役所へ行ってみたらよいと言われて、さっそく出かけた。

 すると就職試験を受けるなら受け付けますよと言われて、秀一が係の人に必要な資料を聞いた。その後、要求された資料をすべて揃えて、翌週、和光市役所に提出した。12月に採用試験日を知らされて、出かけて行った。最初に試験を受けて、その後、面接を受けた。その面接の冒頭で、君は、和光市をどういう風にしていきたいという漠然とした質問にをうけた。

 その質問に対し、東京のベッドタウンとして緑豊かな場所で快適に市民生活を送ってもられるように市民のために尽くしていきたいというとうまいこと言うなと笑った。早稲田大学出身かと言い、少ししてご苦労さんと言い、面接試験が終了した。その後、12月22日に採用通知が自宅に送られてきた。そして2010年が終わり2011年を迎えた。今年は、家族と一緒に、初詣に行き、秀一は、株での成功と女友達も欲しいと願った。
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