第20話:オリックス株の底値買いと家庭教師の日々

文字数 1,604文字

 2008年3月、島村博美は、首都大学経済学部と日大経済学部を受験しようと考え、練馬の予備校に通い始めた。2008年6月の統一模擬試験の結果、首都大学経済学部の合格可能性65%と日大経済学部合格可能性70%の判定が出た。高校での成績ではクラスでベスト10に、たまに入ったりする程度で、成績は上の下と言ったところだった。

 その後、2008年9月の統一模擬試験の結果、首都大学経済学部の合格可能性70%と日大経済学部合格可能性75%の判定となった。クラスの順位がやっとベスト10常連の仲間入りした。洋楽が好きで、勉強につかれると、モータウンサウンド、ABBA、など好きな曲をヘッドフォンで聞いていた。実は、元来勉強は好きではなく、兄への対抗意識で勉強している所があった。

 本が好きで国語、社会は好きだが、理屈っぽい数学、科学系が苦手だった。兄が、教えてやろうかと行くと、すぐ反発して大丈夫と言い断っていた。かといってアルバイトする気力もなく、家でぶらぶらして、気が向いたら勉強するという毎日だった。やがて2008年も12月を迎え、2008年12月の統一模擬試験の結果、首都大学経済学部の合格可能性70%と日大経済学部合格可能性75%の判定となった。

 その後、秀一は、父に300万円借りた。そして、SBI証券に口座を開き自分の預金全額を入れて投資口座を410万円とした。この頃は、2008年9月15日に起きたリーマンショックで日経平均株価も大暴落を起こし、9月12日、金曜日の終値は12214円だったが、10月28日には一時は6995円まで下落し、1982年10月以来、26年ぶりの安値を記録した。

 日本は、直接的に、アメリカのインチキ債権を購入してる金融機関は少なかった。そのため、大手銀行、証券会社の損失は、軽微であったが世界恐慌を連想させ、日本株が、他国より遅れてやってきた。しかし、その下げは、その不安心理の鬱積は、強烈な下げにつながったわけだ。それについて、早稲田大学の株研究会では、日本株で、最後まで下げ続け、下げのきつい大型銘柄が狙いだと言われていた。秀一もその情報を聞いていた。

 その中で金融関連株のオリックスに注目していた。しかし、なかなな下げ止まらなかった。2008年11月13日、ついに、オリックスの株価が10000円の大台を割った。しかし、まだ下げ止まる気配は見えず、11月25日、6000円を割った。12月9日4000円を割った。投資研究会先輩達には、3800円で、買い始めていたが、秀一は、もう少し我慢しようと考えた。

 その理由は、年末12月よりも年明けの2009年1月、2月の方が下げる場合が多いという漠然とした勘だった。そして、どこかで、もう一段下げて、上げはじめを買おうと漠然とイメージしていた。ところが、年が明けた、1月5日、5000円を超し、1月7日、5500円を超えた。失敗したかと、半分あきらめた。所が1月下旬に再度、ずるずる下げて再び4000円を切り3810円をつけた。

 その時、もし、3800円あたりで、下値だと思った連中が、まずいと思えば、値崩れがあるかもとひらめいた。すると、その感が当たり、2月13日、初値で2900円になると出来高が上昇し、慌てて売り逃げてると感じられた。上げはじめを買えと、秀一は自分に言い聞かせ、2月23日以降も毎朝、オリックスの気配値を注視し続けた。

 すると2009年2月24日、1921円と、なんと2000円を切ったではないか、そして株の板「株数」が急上昇してるの見て、秀一は、パニック売りだと考えた。2月24日は、終日、パソコンに張り付いていた。1707円で底値で反騰の瞬間一気にオリックス株を成り行き2千株を入れると342万円で購入でき、残金が70万円となった。その後、株研究会に出たとき話すと、良く待てたなと、先輩から褒められた。
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