じゅう
文字数 2,255文字
人は何かにお金を使うとき、支払った金額と同等もしくはそれ以上の対価を求める。
5,000円のTシャツ、1万円のシャツ、2万円のカーディガン。消費者が服の対価を感じるのは、
購入したその時ではなく、購入後の一定期間なのである。
俺の仕事は、その価値に気付いてもらうことだ。それはつまり、彼らの今後の人生も背負っているということを意味する。
その成果は数字にも表れていた。店のスタッフの中では、俺の売り上げがダントツだ。
魅力的なお客様に、より魅力的な人になっていただきたい。そして、より良い人生を送っていただきたい。
この信念、またこの信念から生まれた接客スタイルは俺の中で確固たるものになっていた。
・・・アイツがこの店に来るまでは。
「いらっしゃいませぇえ~」
接客の仕事は、想定外のことがしばしば起こる。我々の相手は業者ではなく、消費者であるからだ。気まぐれな人も中には多く、一瞬の感情が購入の意思決定を左右することもある。つまり、店員の接客一つで店の売上が左右されるということだ。
清潔感のある見た目、柔らかな声色、無駄のない仕草、洗練された雰囲気、軽快なトーク。
これらの全てがこのブランドを体現するものであり、そのうちのどれか一つでも欠けていてはいけない。だからこそ、店に立つ俺がこのブランドを誰よりも愛し、このブランドに愛される人間でなければならない。そのために、常に自分自身を磨き続けている。魅力的であり続けることは難しいが、それが俺にとってのやりがいそのものなのである。
「お客様、何かお探しですか?」
「そろそろ春なので、薄めのアウター探しているんですよ」
センターで上げられた前髪に清潔感のあるシャツとパンツ。落ち着いた雰囲気ではあるが、瞳の奥に野心が感じられる。このお客様に限らず、この店舗に買い物に来るお客様は スマートでキラキラした20〜30代前半くらいの人が多い。
「それでしたら、この赤いカーディガンがお似合いですよ」
人はブランドに選ばれる。この店のお客様の多くは、このブランドに愛されている。似合わない人に無理矢理商品を勧めるのは性に合わない。服は購入した後に効果を発揮する。俺の仕事は、彼らのその後の人生に直結している。
魅力的なお客様を、もっとカッコ良くしたい。
そのため、このブランドにマッチしたお客様を目にすると、俺の接客もノリに乗ってくるのだ。
「今日もおつかれ」
有崎さんが缶コーヒーを二本持ってこちらへ来た。閉店後のコーヒーほど旨いものは無い。
「有崎さん、お疲れ様です」
「これ、どっちが良い?」
「あぁ、じゃあブラックの方をいただきます」
有崎さんはコーヒーをグイッと飲みながら、俺に言った。
「鰐渕って、たまにニヤッとするよな」
「もちろん、スマイルは大切っすからね」
「いや、スマイルっていうか、ニヤッとする感じだな。ほら、さっきのお客さんのときとか」
有崎さんは右の口角を少し上げて、俺の真似をしてみせた。
「全然気付かなかったです。なんて言うか、イケてるお客様に接客していると、これぞやりがいって感じで嬉しいんですよね」
「このブランドを格好良い人に着てもらって良い人生を送ってもらうのがやりがいって言ってたよな」
大半はやりがいに溢れた日々を過ごしているが、ここ最近、どうしても気になっている客がいる。初めて会ったのはついこの前。シワクチャの黄ばんだワイシャツに黒いジャージを乱暴に履いていた。半ば挙動不審で、コミュニケーションも拙い。所謂、このブランドの価値には到底見合わない客だ。
ー正直申し上げると、あまりお似合いではありません
この発言は、俺なりの正義だった。こんな奴にウチのブランドを着て欲しくない。着ている人間が魅力的で無いと、ブランドの価値が下がる。客の見定めをするのが、ブランドに対する俺なりの礼儀だと考えている。つまり、客層もブランドを体現する一つであると考えている。さすがに退店を促す権利は持ち合わせていないため、表現を柔らかくしたまでだ。こんなに魅力的で無い人間に、ウチのブランドの敷居を跨がせてはいけない。他の『Step.2』ユーザーと同じにしてはいけないし、何よりもブランドに失礼だ。しかも、価格は数万円と安くない。高くて似合わないものを着るくらいなら、このブランドを諦めてもらった方がお互いのためになる。
「鰐渕、締め作業したら上がって良いからな」
「はい、ありがとうございます」
レジ締めが終盤に差し掛かると、有崎さんが近くの椅子に腰掛けた。
「今日のレシート、長いよな」
「そうですね」
「この長さは鰐渕の成長の証ってことだな」
「え、どういうことですか?」
「レシートが長いってことは、それだけ売れてるってことだろ?売れる人材になってきたってことなんだよ」
「あぁ、確かにそうですね」
「そういえば、この前揉めてたお客様いただろう。あのとき何があったんだ?」
「明らかに似合っていない服を買おうとしていたので、店内で一番彼でも背伸びできそうなカーディガンを勧めてみたんですよ。そうしたら、段々機嫌が悪くなって・・・」
「なるほどな・・・あのお客さん、昔のお前を見ているようだよ」
有崎さんはフッと笑い、更衣室の方に歩いていった。そして「お先に」と言い、退勤した。あんな接客をしたのにも関わらず、有崎さんは俺に怒ることはなかった。
それよりも、有崎さんの一言で、なぜ俺が奴に執着しているのか分かった。
・・・アイツが過去の自分と重なるからだ。
5,000円のTシャツ、1万円のシャツ、2万円のカーディガン。消費者が服の対価を感じるのは、
購入したその時ではなく、購入後の一定期間なのである。
俺の仕事は、その価値に気付いてもらうことだ。それはつまり、彼らの今後の人生も背負っているということを意味する。
その成果は数字にも表れていた。店のスタッフの中では、俺の売り上げがダントツだ。
魅力的なお客様に、より魅力的な人になっていただきたい。そして、より良い人生を送っていただきたい。
この信念、またこの信念から生まれた接客スタイルは俺の中で確固たるものになっていた。
・・・アイツがこの店に来るまでは。
「いらっしゃいませぇえ~」
接客の仕事は、想定外のことがしばしば起こる。我々の相手は業者ではなく、消費者であるからだ。気まぐれな人も中には多く、一瞬の感情が購入の意思決定を左右することもある。つまり、店員の接客一つで店の売上が左右されるということだ。
清潔感のある見た目、柔らかな声色、無駄のない仕草、洗練された雰囲気、軽快なトーク。
これらの全てがこのブランドを体現するものであり、そのうちのどれか一つでも欠けていてはいけない。だからこそ、店に立つ俺がこのブランドを誰よりも愛し、このブランドに愛される人間でなければならない。そのために、常に自分自身を磨き続けている。魅力的であり続けることは難しいが、それが俺にとってのやりがいそのものなのである。
「お客様、何かお探しですか?」
「そろそろ春なので、薄めのアウター探しているんですよ」
センターで上げられた前髪に清潔感のあるシャツとパンツ。落ち着いた雰囲気ではあるが、瞳の奥に野心が感じられる。このお客様に限らず、この店舗に買い物に来るお客様は スマートでキラキラした20〜30代前半くらいの人が多い。
「それでしたら、この赤いカーディガンがお似合いですよ」
人はブランドに選ばれる。この店のお客様の多くは、このブランドに愛されている。似合わない人に無理矢理商品を勧めるのは性に合わない。服は購入した後に効果を発揮する。俺の仕事は、彼らのその後の人生に直結している。
魅力的なお客様を、もっとカッコ良くしたい。
そのため、このブランドにマッチしたお客様を目にすると、俺の接客もノリに乗ってくるのだ。
「今日もおつかれ」
有崎さんが缶コーヒーを二本持ってこちらへ来た。閉店後のコーヒーほど旨いものは無い。
「有崎さん、お疲れ様です」
「これ、どっちが良い?」
「あぁ、じゃあブラックの方をいただきます」
有崎さんはコーヒーをグイッと飲みながら、俺に言った。
「鰐渕って、たまにニヤッとするよな」
「もちろん、スマイルは大切っすからね」
「いや、スマイルっていうか、ニヤッとする感じだな。ほら、さっきのお客さんのときとか」
有崎さんは右の口角を少し上げて、俺の真似をしてみせた。
「全然気付かなかったです。なんて言うか、イケてるお客様に接客していると、これぞやりがいって感じで嬉しいんですよね」
「このブランドを格好良い人に着てもらって良い人生を送ってもらうのがやりがいって言ってたよな」
大半はやりがいに溢れた日々を過ごしているが、ここ最近、どうしても気になっている客がいる。初めて会ったのはついこの前。シワクチャの黄ばんだワイシャツに黒いジャージを乱暴に履いていた。半ば挙動不審で、コミュニケーションも拙い。所謂、このブランドの価値には到底見合わない客だ。
ー正直申し上げると、あまりお似合いではありません
この発言は、俺なりの正義だった。こんな奴にウチのブランドを着て欲しくない。着ている人間が魅力的で無いと、ブランドの価値が下がる。客の見定めをするのが、ブランドに対する俺なりの礼儀だと考えている。つまり、客層もブランドを体現する一つであると考えている。さすがに退店を促す権利は持ち合わせていないため、表現を柔らかくしたまでだ。こんなに魅力的で無い人間に、ウチのブランドの敷居を跨がせてはいけない。他の『Step.2』ユーザーと同じにしてはいけないし、何よりもブランドに失礼だ。しかも、価格は数万円と安くない。高くて似合わないものを着るくらいなら、このブランドを諦めてもらった方がお互いのためになる。
「鰐渕、締め作業したら上がって良いからな」
「はい、ありがとうございます」
レジ締めが終盤に差し掛かると、有崎さんが近くの椅子に腰掛けた。
「今日のレシート、長いよな」
「そうですね」
「この長さは鰐渕の成長の証ってことだな」
「え、どういうことですか?」
「レシートが長いってことは、それだけ売れてるってことだろ?売れる人材になってきたってことなんだよ」
「あぁ、確かにそうですね」
「そういえば、この前揉めてたお客様いただろう。あのとき何があったんだ?」
「明らかに似合っていない服を買おうとしていたので、店内で一番彼でも背伸びできそうなカーディガンを勧めてみたんですよ。そうしたら、段々機嫌が悪くなって・・・」
「なるほどな・・・あのお客さん、昔のお前を見ているようだよ」
有崎さんはフッと笑い、更衣室の方に歩いていった。そして「お先に」と言い、退勤した。あんな接客をしたのにも関わらず、有崎さんは俺に怒ることはなかった。
それよりも、有崎さんの一言で、なぜ俺が奴に執着しているのか分かった。
・・・アイツが過去の自分と重なるからだ。