じゅうに

文字数 1,372文字

 燃える様な赤いカーディガンにシュッとした黒いズボン。俺は今、人生で唯一の無敵確変モードかもしれない。

「いらっしゃいませー!」

 コーヒーを飲みにカフェ のドアの前に立った。周りを見渡すと、数組の客がテーブル席で談笑している。相も変わらず客層は華やかでイケている。だが、何ら問題は無い。俺は全身「Step.2」に纏われているからだ。

「あ、いらっしゃいませー!」

 ミホさんが変わらない笑顔で俺を迎えてくれた。

 俺は小慣れた感じで人差し指を上げ「一名で」と言い、席に向かった。ちなみに俺は、いらっしゃいませの前に『あ』という一文字が付いたのを聞き逃さなかった。この『あ』は、俺という人間を認識しているということを暗示しているのである。細かな気付きは、時として自分を前に向かせる。

「今日は気温も高くて暖かいですね」

 席に着くや否や、とりあえず無難に天気の話から始めた。先日買った『きっとモテる本』で読んだ通りの展開を繰り広げてみる。ミホさんの反応次第ではあるが、今回はお茶に誘おうと思っている。

「そうですよね!暖かいとなんだか楽しい気持ちになりますよね」

「暖かいときのコーヒーは格別ですよね」

「テラス席とかでコーヒーを飲むのが好きなんです」

「あぁ、良いですね!あ、じゃあ、アイスコーヒーを」

 俺はまた小慣れた感じで人差し指を上げた。

「砂糖やミルクはいかがいたしますか?」

「ブラックで」

「かしこまりました」

 しまった。オーダーをしてしまったばかりに、接客の会話に戻してしまった。本当はもっと、お互いのことを知れる会話がしたかった。ただ、ミホさんを前にするとどうしても『今度一緒に行きましょう』なんて言葉が出てこない。これでは結局、以前の自分とやっていることが変わらないではないか。

 俺は無心で苦いコーヒーをすすり、二分程でカップが空になった。今の俺に残されたチャンスは会計のタイミングしかない。周りに客はいるが、そのときばかりは、相対することができる最後のチャンスなのである。俺は、はやる気持ちを原動力に席を立った。必ずお茶に誘おう。俺はもう一度決意を新たにした。レジの前に移動した後、俺は自分を奮い立たせためにドアに映った自分の姿を見た。

ー正直申し上げると、あまりお似合いではありません
 あの言葉が脳裏によぎった。

 ガラスのドアに映る自分の姿は、試着室で見たときの姿とは全く違って見えた。


 鰐渕の言う通りだった。


 服自体は格好が良いが、俺に似合っていない。これはもしかして、服に『着られている』ということなのだろうか。店内を見渡して、周りの客と自分を比べると、急にこの店にいることが恥ずかしくなった。まるでこの店の誰しもが俺に「場違いだよ」と暗にメッセージを送っているような気がした。

「ありがとうございます!480円です」

 せっかくミホさんが早歩きで来てくれたのに、俺はミホさんに目もくれず、財布の中から懸命に小銭を探し、お釣りの出ないように支払った。

「ありがとうございました」

 俺はミホさんをお茶に誘うことはおろか、顔を見ることすらできなかった。

 俺はタプタプになった腹を揺らしながら自宅へと急いだ。せっかくの休日に、俺は一体何をしているのだろう。自宅に着いた後、俺はカーディガンを乱暴に脱いでベッドに横たわった。
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