第一部 山猫:(1)捕獲

文字数 2,377文字

「おい、何重にも罠をかけて、やっとのことで捕まえたぞ!」
「お〜、例の野菜泥棒だな。何だった? キツネか? イノシシか? それとも、サルか?」
「い〜や。それが......、人間だ!」
「えっ?!」

「あ〜、最初は、何だか奇妙な動物だと思ったんだがな。それに、よっぽど薄汚いし、何も着ていないんだが、人間の子供だ」
「この近くには他の部落はないし、どこから来たんだ?」
「さあな。盗んだ野菜をそのままかじりりついていたから、野生児じゃないか? 昔からそういう話はあったろう」

さて、これは、遠い昔、この国からは遠く遠く離れた、とある山奥の部落での話だが。捕らえられた野生児はと言えば、これ以上作物を荒らされないようにと、オリの中に入れられただが。ずっと端で丸くうずくまっているだけで、まさに動物のようだった。ただ、時折、鋭い目つきで様子を伺っているようではあった。それから、逃げる時のしなやかで、すばしっこい様子が猫の様だということで、「山猫」と呼ばれるようになった。

部落民は代わる代わるに山猫を見物に来た。その中でも一番興味を持っていたのは、モルと言う少年だった。一日に何回も訪れては、山猫のことを注意深く観察していた。そうしている内に、与えられた物を何も食べていない事に気がついた。段々と心配になって、自分の食べ物の一部を持ってきて、こっそりと与えてみた。

数日後、モルが山猫に鶏肉を差し出してみると、すぐにやって来て、むしゃむしゃと食べ始めた。
「肉が好きなんだ。でも、すごい食べ方だなぁ。人間とは思えないなぁ」
山猫はモルの言っていることにはお構いなしに、必死に手を振って、「もっとくれ」と言っているかのようだった。

「もっと欲しいのか? 今はこれだけだよ。また今度持ってきてあげるから。ねぇ、何か喋ってごらん」
山猫は一言も喋らずに、相変わらず手を振っている。
「言葉は喋れないし、分からないのか......」

ただ、ひとつ、モルの気がついた事があった。近づいて来た時、何も着ていない全身が見えて、少女だと言うことが分かった。
「この子、確かに山猫みたいだけど、名前ぐらい付けてあげないとな」
モルは少し考えてから言った。
「チナ。それがいい」
ちょうど、ペットに名前を付けるような按配だった。

部落民は、山猫をどうするかについて話し合いを続けていた。まず、野菜泥棒を開放するわけにはいかない。殺してしまえという意見もあったが、部落民の多くは、無闇に人間を殺したくはないという意見だった。それでも、このままオリに入れておいても、食料が必要だし、手間がかかるので、無駄だと言う意見も多かった。いずれにしても、名案はなかった。

その間、モルはせっせとチナの所に通っては、食べ物を与えたり、ただ眺めていたりしていた。すると、モルの幼なじみで、事実上の許嫁であるセマと言う少女がやきもちを焼き始めた。
「モルや、山猫が捕まってから、いつも寄り付いてるよね。どうしてあんな汚いものに関心があるの?」
「えっ、汚いと言うけど、野生児なんだから仕方がないんじゃない? 兎に角、可哀相じゃないか、あんなオリに入れられて」
「私の事は一向にかまってくれないけど、可哀相じゃないの?」
「セマには家族が居るじゃないか」

モルは、チナの所に来るといつも気になることがあった。
「しかし、チナ、ほんとに臭いなぁ。やっぱり、動物だよなぁ。何とかしてあげたいけど」
そして、モルが見ている限り、チナが興奮するのは鶏肉をもらう時くらいだけで、表情というものが乏しいと思わざるを得なかった。やはり、野生児だから仕方のないことだろう。それに、ひょっとしたら、ほんとに家族さえ居なくて、全くのひとりぼっちかも知れない。それにしても、チナは何を考えているのだろう? いや、何も考える能力がないのだろうか?

ある日の日暮れ時、モルがチナの所に来ていた時、チナが急に起き上がって、体を動かし始めた。初めは体をほぐしているようでもあったが、徐々に滑らかな動きをし始め、次から次へといろいろな姿勢をしていった。それは、どう見ても、「踊り」と呼ぶにふさわしいものだった。モルには、チナが体全体で何か大切なものを表現しているように感じられた。それからは、日暮れ時になると部落民の多くが山猫踊りを見物するようになった。

それは誰も見たことのない奇妙な踊りだった。艶めかしい程に体全体をゆっくりと動かす。もし、本職の舞妓が全く同じ動きをしたら、奥ゆかしく思われたかも知れない。ただ、薄汚い、素っ裸の野生児となっては話は違う。因みに、同一の事柄が人の気持ちとか、場の状況によって、まるで違った解釈をされる事は極めて普通の事です。

いずれにしても、子どもたちは好奇心のかたまりになっていたし、男たちはと言えば、彼らこそよっぽど動物的な状態になっていたと言える。因みに、この山奥の部落には倫理・教育上どうのこうのと言った考えも規則もなく、誰も山猫に服を着させようなどとは言わなかった。いずれにしても、野生児のためか、山猫自身、衣服を着ていないという羞恥心は全くないようだった。

ところで、この部落には巡業と行商を兼ねた芸人の一座があった。この一座のかしらが、芸の一つとして山猫踊りを取り入れようと言いだした。実際、山猫の処分に困っていた部落の長老には、またとない名案に思われたので、すぐにそう決まった。そして、人前に出すには、何とかして山猫の悪臭を抑えないとならないことは明白だった。それで、定期的にオリの上から桶に汲んだ水をかけることにした。

さて、実際に芸人一座が旅立とうという前夜、長老がモルを呼び寄せた。
「モルや、お前はよく山猫の面倒を見ているようだが、芸人と一緒に旅をしてくれないか?」
部落の外の世界に多大な興味を持っていたモルにとっては、絶好の機会だった。
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