第一部 山猫:(6)都

文字数 3,134文字

モルは、山では木こり、川では漁師、町では下働きと出来ることは何でもしながら、少しずつ、その王国の都に近づいていっただが。そのため、都に到達した時は、随分と年月が経ってしまった。ただ、この間に、現地の言葉は自由に使えるようになった。当然、この年で新しい言語の習得は出来ても、訛りは残る。しかし、近隣諸国から大勢の到来者があるこの王国の都では訛りがある事は、特に珍しい事でも恥じるべき事でもなかった。都に着くと、モルは新鮮な食材を運搬する仕事の見習いになった。これで宮殿に入り込むことが出来ないかと期待していた。

残念ながら、その機会はなかなか訪れなかった。その代り、都のいたる所へ食材を運搬するだけで、相当に労力のいる仕事だった。ただ、この間に、多くの人にチナに関する事を間接的に尋ねる事が出来た。普通の会話の中に、何気なく野生児の事を取り上げ、相手の人が都で野生児の事を耳にした事があるかないかを探ってみた。ところが、誰も野生児の事を聞いたことはないようだった。

これでは、いつまで経ってもチナの消息を知る手がかりが掴めないと焦りが出てきた。ある日、宮殿の前を通りかかった時、門から出て来た女性の一人に気を取られた。荷車を止めて良く見ると、それは、驚くことに、モルの部落の幼馴染で、事実上の許嫁とされていたセマだと判った。

モルはびっくりした。どうしてセマがここに? それに、綺麗な身なりをして、宮殿から出てきたという事は、何かしら立派なお勤めか? この時、モルにとっては、セマに接近する事が、チナの情報を得る最後の手段であるように思えた。その時、モルはまだ運搬の途中で、セマと話す機会はなかったが、その後宮殿のそばを通る時は、いつもセマを探すようになった。

それから、何回かセマを見かける事があった。いつも、夕刻に宮殿に行き、朝方に宮殿を出るという決まりだった。モルは思った、セマは普通の女官ではない。夜の仕事に違いない。そして、ある日、セマが宮殿を出た後、密かに後をつけた。セマは都のはずれにある、女性が多く出入りする屋敷に住んでいるようだった。

モルは次の非番の日を待って、セマの住む屋敷の辺りに行ってみた。出入りする女性は、みなセマと似たりよったりの格好で、行動時間もそのようだった。すると、ここに居る女性は、皆、夜の仕事をしているということだろう。

また暫くして、朝方、セマが屋敷に戻って来る時間を見計らって、そばに寄って、自分の部落の言葉で小さく声をかけた。
「セマや、俺だ。モルだ」

セマは一瞬物事を理解できないでいる様子だった。そして、まざまざとモルの顔を見ると、物凄く驚いて、やはり部落の言葉で言った。
「モル?! もう死んだと思っていたのに!! こんなに嬉しいことは無い!!!」
セマはモルに抱きついたが、モルはセマをそっと離した。その後、二人は屋敷の近くの路地裏で話をした。モルは、今までの経緯を極簡単に話した。ただ、チナとの関係については詳しくは話さなかった。セマがチナのことを嫌っていたのを知っていたので。

ところで、ただ一つの真実について、複数の解釈が存在するのは、極普通の事です。モルがセマに語ったモルとチナの関係と言うのは、嘘では無いかも知れませんが、事実の極々限られた部分でしかありません。また、それを聞いたセマの頭の中には、これまた、自分の都合の良いような解釈が出来上がったに違いありません。

その後、セマは、二人の部落に起こった事を話した。やはり、この王国の兵士たちに襲われ、男は皆殺しに合い、女・子供はこの都に連れてこられたらしい。連れてこられた者の内、若くて器量が良く、言葉をすぐに覚えられた者は、セマのように夜の仕事につかされた。そうでない者は、皆奴隷として売り飛ばされたらしかった。

セマは、その中では最も恵まれた方で、宮殿の内務大臣の呼ばれ側室となった。夜、大臣が必要とする時だけ宮殿に出向いて仕事をするのだそうだ。セマは、こんな生き様を望んでいた訳では無いが、もう身内も居ないし、諦めて、ただ生きてきたと言った。それが、急にモルに会って、新しい希望が出来たようだった。その時モルには言わなかったが、セマは、モルがセマをここから救い出してどこかへ遠くへ連れて行ってくれるのではないかと期待し始めていた。

当然、モルの狙いは全く別であった。後日、セマに会った時、モルはチナの事を聞き出そうとした。ただ、モルは、セマの気持ちを逆なでないように、聞き方には十分に注意した。芸人一座が盗賊に襲われた時にチナがモルの命を救ってくれたという点を強調し、命の恩人だから、生存を確認したいということにした。セマはチナの事は一向に知らないようだったが、お勤めをしている内務大臣に聞いてくれると言った。この内務大臣は相当な実力者で、国王、王妃とも親しいらしい。

それから暫く経って、モルは、セマからチナの事を聞き出した。どうやら宮殿内に幽閉されているらしい。モルは、チナが生きていて、すぐ近くに居ると知り、非常に興奮した。ただ、セマには気づかれないようにと気を使った。

セマの情報では、チナが村人たちと一緒に捕らえられた時、村人の一人が、チナは村人ではなくその頃捕まった野生児だと告げ口したようだ。その話しを耳にした王妃が、なぜか野生児に異常な程の興味を示し、チナを宮殿の小さな小屋に幽閉して、自分のペットのように扱っているとの事だった。そして、どうやら、王妃は野生児が普通の人間の様に生活し、言葉が喋れるようになるかどうか、試してみたいと言うのが動機のようだ。

モルは、新しい計画を立てた。食材の運搬を続けていても宮殿に出入りする機会はほとんどない。チナに会うには、セマの人脈を使って行動するしかない。それで、運搬の仕事はすぐに辞めた。

その間、セマはセマで、別の計画を練っていた。チナの件を材料に、モルと一緒になる事を約束させようと考えていた。それで、二人の相異なる計画が平行して進んでいった。セマとしては、モルがセマの安全を確認すればいいと思っていたので、内務大臣経由で王妃に懇願し、その機会を作るように努めると言った。見返しに、モルがチナの安全を確認した後は、セマを屋敷から救い出して都の外、遠くへ逃げて二人で一緒に暮らして欲しいと懇願した。

モルは、これを聞いて、気が引けた。正直言って、セマを救い出す気など、これっぽっちもなかった。ただ、ここで、セマの要求を断ったら、もう一生チナには会えないだろう。それで、セマには申し訳ないと思ったし、罪悪感に包まれたが、セマの要求を受け入れると約束した。

モルとしては、チナに会う時、同時に王妃にも会えるかも知れないと期待していた。そうすれば、王妃に直接話ができる。ただ、王妃はチナを自分のペットの様にしていると言うことなので、簡単に連れ出すことは出来ないだろう。

そこで、モルは次の様に考えた。モルは、誰よりも長い時間チナと一緒に過ごしている。例え、チナがこの王国の言葉が話せるようにはならなくても、モルの部落の言葉にはもっと馴染みがあるので、チナはモルの部落の言葉を習得出来るかも知れない。それで、チナの言葉の指導をするために、モルを雇ってもらえないかと言うことだった。そうすれば、その間に、次の計画が出来る。

実は、モルとしては、チナが言葉を喋れるようにはならないと知っていたのだが、どうしてもチナを救い出すための突破口が必要だと思った。いずれにしても、この計画の事は、セマには一切口にしていなかった。そして、モルはチナの事だけ考えていたため、セマとの約束を破ったらセマがどの様な反応をするかと言うことには一切頭が回らなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み