第一部 山猫:(5)村

文字数 3,177文字

モルとチナ、二人共素っ裸だったため、初めは共に野生児と思われただが。それでも、モルが必死に言葉を発しているのを見て、少なくともモルは不可解な言葉を話す部族の者だと見做された。ただ、言っている事が不明だし、野生児らしい女と一緒なので、今だに危険視され、二人一緒にオリの中に入れられたままだった。

この時初めて、モルはチナの気持ちを理解した。自分の気持ちや考えが相手に伝えられない事がこんなに辛いものだとは想像もしていなかった。仕方なく、二人は寄り添ってうずくまっていた。ほとんど食べ物も与えられず、どうなることかと心配になった。

モルは、自分の部落でチナが捕まった時の事を思い出した。チナを殺してしまえと言った人々もいた。そして、チナが生き残れた一番の要因は、山猫踊りだった。それで、モルは考えた。もし、モルとチナがこの村の役に立てば殺されずに済むと。

その時にふと思いついたのは、谷底に落ちてからは、チナが山猫踊りをしていないという事だった。どうしたのだろう? 元々、あの踊りにはどういう意味があったのだろう? モルには一向に察しがつかなかったし、チナに聞く術もなかった。いずれにしても、村人の言葉も分からない状態で、二人が、この村の役に立つことなど出来ようもないと思わざるを得なかった。

その間、チナはいつもの無表情を通していた。泣く訳でも、モルを叩く訳でも、モルに抱きつく訳でもない。どうしていいか分からないという気持ちなのだろうか。

二人の所には興味津々の子供たちが何人もやって来た。ほとんどの子供たちは、二人が野蛮人だと思っているのか、あざ笑っているようだった。ただ、その中に一人だけ、二人に純粋な興味を持っていると思われる少女が居た。モルは、自分がチナに興味を持った頃を思い出していた。そして、正直言って、子供たちの前で、モルが一番恥ずかしかったのは、服を着ていないことだった。それで考えついたのは、この少女に頼んで、服を手に入れてもらえないかという事だった。

モルは、地面に衣服の絵を描いてみた。少女は、自分の服を指差し、それが服であることが分かったようだった。今度は、モルは、チナと自分を指差し、それから地面の服の絵を指差して、それを着たいというような素振りをした。少女は分かったような顔をして帰っていった。

次の日、少女は服を二人分持ってきた。モルは、女用の物をチナに着せ、自分は男用の者を着た。モルは、チナが衣服を着たところは見たことがなかったので、実は少しおかしくさえ感じた。その後、村人は、二人が衣服を着ている事に驚いた。

そして、誰が服を持ってきたかという事になり、無邪気な少女はオリの中の地面の絵を指さして、自分が持ってきたと白状したようだった。すると、村人たちは、こんな野蛮人に服を与えるのは勿体無いとでも言うように少女に対して怒りだした。少女は、泣き出してしまった。モルは、少女があまりに気の毒で、何とかしたいと思った。

丁度その時、村の外から帰って来た男が、慌てふためいて村人に何かを訴え始めた。それを聞いた全員、顔を真っ青にして、頭を前後に振って嘆いているようだった。村はパニックに陥った。

この一部始終を見ていた村の長老と思われる老人がチナとモルの前に進み出た。長老は、まず、オリの中から見える所の地面に何やら描き始めた。モルは、それがこの村の見取り図か概略図だと理解した。そして、今度、長老は村の図の外側に行き、その図を刀か何かで斬りつけるような素振りをした。

モルは、村人の慌てようと、この長老の仕草で、何者かがこの村を襲おうとしているのだと推測した。モルの様子を見て、長老は、今度は図の反対側へ行き、どこかへ逃げていくような素振りをした。モルははっきり分かった。長老は逃げ場所を探している。そして、さらに想像したことは、二人がどこから来たか、そこは安全かという事を聞き出したいのではないかと。

モルは、オリの中に、長老の描いた図と同じ様な物を描き、自分たちの来た道の方向に線を引いた。そして、その線の延長上に、谷底の絵を出来るだけ分かりやすいように描いた。それを見た時、長老は、とっさに、その谷底に隠れるのが村を救う最善の方策だと判断したようだった。少なくとも、モルはそう思った。

長老は即座に村人全員に避難の必要性を説いているようだった。皆その準備に取り掛かった。チナとモルはオリから出されたが、それでも逃げないようにと腰に紐を付けられた。その紐は、しっかりした男たちが掴んでいた。その後、チナとモルが先頭を歩かせられて、村人全員が谷底へ避難すべく進んでいった。

ところが、数時間もしない内に、早足で迫ってきた兵士たちが村人に襲いかかってきた。抵抗する男たちはどんどんと殺されていった。女・子供は縛られて連れて行かれた。兵士たちは、村人たちの先頭部にいたモルを切りつけ、チナを縛って、他の女・子供と一緒に連れて行った。

体を切られたモルは、チナの方を見て、手を伸ばしたが、そのまま倒れた。チナは、縛られたまま、モルの方を見て、泣きじゃくった。

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それが、次の日なのか、何日か経っていたのか分からなかったが、モルは目を開けた。まず始めに思い浮かんだのは、チナを失った悲しみだった。目は開けていたのだが、涙で何も見えなかった。それでも、必ずやチナを見つけて助け出すという誓いを立てた。

モルは、重症には違いないが、死ぬ気はしなかった。それは、あの谷底に落ちた時に似ていた。自分は必ず助かるという信念があった。周りをゆっくりと見回すと、あの長老が近くの木の幹にもたれて、ゼイゼイと息をしている。やはり、相当な怪我をしているようだった。モルは這いつくばって、そこまで行くと、長老はモルの事に気がついた。長老は近くにある草をちぎって、モルの傷口に当てた。どうやら、それは薬草のようだった。

そこで暫く療養した後、長老とモルは無人となった村に戻った。幸い、村には隠されていた非常用の食料が僅かにあったので、二人はそれを食べて生き延びる事が出来た。長老とモルは二人共、地面に描いた絵で意思疎通をしたという経緯があり、お互いに仲間意識が芽生えていた。

まず最初に長老がモルに見せたのは、襲撃中に落ちたと思われる兵士の武具の一部だった。その紋章から、兵士の所属が判った。それは、この村をも含む広大な王国のものだった。これは、モルにとって、チナを救いに行く唯一の手がかりであった。即座に、モルはこの王国の都へ行かなければならないと決心した。

その後すぐにモルが始めたのは、その村の言葉を学ぶ事だった。この言葉を覚えれば、この王国どこでも話しが通じる。都へ行ってチナを探すのには最も重要な事だった。そして、長老はすぐにモルの意志と計画を理解し、手助けをしてくれることになった。

さて、モルの言葉と長老の言葉は、単語と発音が全く異なり、相互理解は不可能なのだが、文法は酷似している。大まかに言えば、日本語と韓国語のような関係のようだ。ただし、日本語と韓国語には、漢数字など中国語からの共通の借用語が多くあって学習に便利なのに対して、モルと長老の言葉は、そういった共通点もないようで、文法以外は全く共通点の無い言葉と思った方が良さそうだった。

長老は、まず、身の回りの物の名前から始め、生活に必要な単語と言い回しを次々とモルに教えていった。何ヶ月か経ち、モルは長老と簡単な会話が出来るようになった。その時点で、モルは、チナを探しにその王国の都へ向けて出発することにした。尚、長老は、すでにかなりの年だし、もう長くは生きてはいけないだろうと自覚していた。それで、二人は最後の分かれを交わした。長老は岩に腰をかけ、モルが見えなくなるまで見送った。
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