第二部 猫姫:(1)保護

文字数 2,590文字

「おい、十人がかりで、やっとのことで捕まえたぞ。どこに居たと思う?」
「なんだよ、その言い方は。いくら何でも、一国のお姫様だぞ! 少なくとも......、猫よりはましだろう?」
「かもな。しかし、大したお姫様だよ、全く。宮殿中を探し回ったんだぞ。結局、庭園のはずれの池の中で泳いでたんだ。なんと素っ裸で!」

「確かに、普通のお姫様ではないな。まぁ、まだ子供だから良いようなものの、年頃になったらどうするんだ?」
「もうその時期に来ているな。胸は膨らんでたし、腰回りはもう子供とは言えなかったな」
「えっ?! まさか、お前、全部見たのか?」
「そりゃー、捕まえるのには仕方がないだろう? 王妃様の命令だからな」

さて、これは、遠い昔、この国からは遠く遠く離れた、とある王国での話だて。池で捕まった姫はと言えば、いつも奇抜な行動で世話する者たちを驚かせていただて。その中でも得意技はかくれんぼで、お付の者が目を離すと、すかさず姿をくらませていた。その動作は、極めて機敏で、柔軟な体質もあって、とんでもない所に隠れていたりする。それで、宮殿の人々は、陰で「猫姫」と呼んでいた。

その反面、宮殿での英才教育の結果、十二分な教養も備わっていた。中国の難解な文献を難なく読みこなし、自分でも散文、韻文と自由に書く事が出来た。また、踊りに関しては、宮中晩餐会で優雅な舞を披露することもあるほどの腕前だったとか。

王妃はそんな姫を誇りには思っているようだったが、生まれた時から姫の面倒は女官たちに任せっきりだった。その後も、姫と多くの時間を過ごすということはなかった。それ故、この二人には、普通の母娘に見られるような暖かい絆というものは感じられなかった。

いずれにしても、一国の姫として大事に育てられてきたが故に、姫は自由に宮殿の外に出ることが出来なかった。それどころか、生まれてこの方、一度も宮殿の外に出たことは無かった。そんな状況だったので、利発で、やんちゃな姫が外界の様子に多大な興味を持っていることは、誰もが知るところだった。

ところで、その王国はそれなりに大きく、繁栄はしていたが、常に国内外の強力な反対勢力に脅かされていた。その夜、宮殿に、慌てふためいた使いがやって来た。翌日に非常に大規模な反乱軍が攻め入るという情報だった。情報は確実で、反乱軍が宮殿を占領するのは、間違いないだろうとのことだった。

国王は、防衛の準備にかかったが、現実的には宮中玉砕の覚悟であった。驚く事に、王妃は極めて落ち着いており、独自の計画を立てていた。まず、丁度その時囚われていた、都でも有数の盗人を呼びつけた。この盗人は、宮殿の秘宝を盗もうとして捕まっていたのである。

王妃は手短に要件を伝えた。
「盗人よ、牢獄から出してやろう」
「王妃様、それは有り難く存じます。ただ、王妃様がこのあっしのことを、無闇に逃がせてくれるとは思えませんが」
「まさに、その通りだ。条件がある」
「何でも仰ってください」

「今夜、姫を連れて宮殿を出て、出来るだけ遠くに行ってもらいたい。明日、反乱軍が攻め入ると言う情報が入った」
「お安い御用で」
「いいか。この王国の姫であるぞ。決して無礼はならない。そして、一生、姫を守るのだ」
「ご安心下さい」

「お前、このわたくしがほんとに安心なんか出来ると思うのか? ろくに得体も知れない盗人に簡単に姫を預けられると思うのか?」
「はぁ、言われてみればその通りで」
「ただ、もう時間がないし、他に手がないのだ。それで、今の宮中で外界の事を一番よく知っているお前に頼らざるを得ないと言うのが実情だ。褒美としてはお前が持てる限りの金銭を与えよう」
「それは、かたじけありません。ここには盗みに来たわけですが、その必要は無かったということでございますな。わざわざ王妃様の方から差し出して頂けるとは」

「だが、決して、褒美を取って姫を捨てようなどと思うなよ。今夜宮殿に残る者は明日、皆殺しに会うだろう。もし、姫が逃げたと分かれば、姫もお前も命はない。それに、お前も、一応は人間だろう。こんなに重大な任務を任されておいて、もしそれを全う出来なかったとしたら、確実に地獄に落ちるぞよ」
「ご心配なく。あっしはただの盗人ではございません。天下の盗人、人呼んで『至難』。つまり、自負自尊のある、格式高い盗人であります。約束したことは命をかけてお守り致します」

その直後、王妃は姫と会った。この時、王妃は出来るだけ楽しそうな様子を振る舞った。
「姫、今晩はいい話がある。宮殿の外に出てみたいであろう?」
「母上、それはそれは、当然でございます。わたしがまだ宮殿の外に出たことがないのはよくご存知のはずで」
「よく分かっている。それで、今晩、内密で、外に出させてあげよう。天候も良いようだし」
「母上! ありがとうございます」

と同時に、姫は疑問にも思った。
「とは言え、どうして今夜、急に?」
「正直言って、姫を今まで一度も宮殿の外に連れて行ってやらなかった事を後悔しているのだよ。これからは、姫にもっともっと自由に生きて欲しいのだ」
「嬉しゅうございます」
「兎に角、今が年貢の収めどきのようなのだ」
「でも、母上。母上にとって、年貢は国民から取り上げるもので、収めるものではないのではございませんか?」

「そうか。わたくしは今まで無闇に国民のものを奪って来たと言うのか......。ただ、今さら、それをどうこう言っている暇はない。兎に角、姫、宮殿の外は何かと危ない所だ。それに、姫は外の世界の事情を全く知らない。それで......」
「それで?」
「まずは、町人のような格好をしなさい。そして、案内人を付けてあげよう。この男は宮殿の外については、大変詳しい者だ。言うことをよく聞いて楽しんで来なさい」

王妃は姫に盗人を紹介し、宮殿の秘密の出入口から二人を出させた。翌日、反乱軍が宮殿を占拠すると、宮中の者全員を殺した事は言うまでもない。特に、国王、王妃、姫、その他の重臣は、個別に遺体を確認した......つもりだった。姫に関しては、宮殿から一歩も外に出た事が無かったため、顔を知っているのは宮殿内の人間だけだった。ところが、宮殿内の人々は、皆殺しにあったため、実際には誰も姫の顔を認識できる者がいなかった。それで、姫殿で死んでいた、姫らしき衣装を着た者を姫と見做したようだった。
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