第一部 山猫:(4)狼の森

文字数 2,287文字

その時、どこからともなくチナが現れ、手に持った先の尖った石で、狼たちの目を狙って次々と攻撃しただが。目をやられた狼たちは、退散したが、その後、もっと多くの狼たちが走って来る音が聞こえた。チナはモルを引きずるようにして森を抜け出した。池の所まで来ると、どういう訳か、狼たちはもう追ってこなかった。どうやら、森の中だけが自分たちの行動範囲としているようだった。

二人はへとへとになって岩陰の寝場所まで戻った。以前の様に、チナがペロペロとモルの傷口を舐めてくれた。モルは、やっとチナが下流の森に入りたくない理由が分かった。野生児のチナには狼の音や匂いが分かるのだろう。そして、今回もチナに命を救われたと感謝した。

モルの計画は、完全な失敗に終わった。この谷底のただ一つの出口と思われた下流の森は、やはり危険地帯だった。このままでは、狼の森は通過できない。結局、この谷底の囚われの身になったと思わざるを得なかった。

意気消沈はしたものの、まだ若くて活気のあるモルは諦めることはしなかった。まずは、この谷底で、出来るだけ生き延びる事が先決だと確信した。これについては、チナも同感のようで、いつもモルについて、モルのする事を何かと手伝おうとした。それに、狼の森にある木々には、どんぐりのような実がなることを知り、森の少し手前まで行けば、この実を集めることが出来た。小さくて手間はかかるが、大量にあるので腹の足しになることが分かった。

そうやって、何ヶ月か暮らしているうちに、モルの衣服はボロボロになり、仕舞にはモルも裸で生活せざるを得ない状況になった。幸い、この辺りは非常に温暖なので、裸でも凍え死ぬような事はない。しかし、この状態が続くにつれて、モルでさえ、希望が薄れて来るように思えた。チナも少し元気が無くなってきたように思えた。モルは思った。ここで、チナと二人で一生を終えるのかも知れないと。

谷底での生活は単純で、反復的だ。そのせいもあるだろうが、モルとチナは、言葉無しの付き合いでも、随分と相互理解が出来るようになってきた。そして、モルは、チナが明らかにモルに好意を持っていると感じていた。ある日、珍しい事に、崖上りの名人のはずのヤギが谷底に転落して死んでいた。二人は久々に、たらふく肉を食べ、乾燥肉を用意した。よっぽど感激したと見えて、今まで表情の乏しかったチナが、何とも嬉しそうに、初めて笑うような顔つきをして、小さな子供のようにモルに抱きついた。

それまでも、夜は寝場所で二人で寄り添って寝ていたのだが、この頃、二人の様子が少しずつ変わってきていた。裸で寄り添っていることもあって、モルは何かしら抑えられない衝動を感じていた。チナも、モルの体にしっかりとしがみついて激しく息をするようになっていった。その内に、二人は昼夜に関わらずお互いの体を分かち合うようになった。それは、この谷底での、言葉の要らない「会話」であり、また、最高の慰みかつ楽しみになっていった。

時はどんどんと過ぎていった。そして、その年は異常気象が続き、二人の食糧も不足してきた。相変わらず、体で慰め合う仲であったが、食物がなければ体も機能しない。モルは何とかしないと、二人共餓死してしまうかも知れないと恐れた。もう一つモルの恐れていたことがある。もし、狼たちの餌が無くなってきたら、せせらぎの上流の岩場にいるモルとチナを襲うかも知れないという事だった。

ところが、幸いなことに、二人の所に狼たちは現れなかった。それで、モルは別の想定もしてみた。ひょっとすると、狼たちは、もっと下流に移動しているのではないかという考えだった。その方が、狼たちにとって、領土と可能性が広がるだろう。それで、モルはその考えを試してみることにした。チナには、いつものようにゆっくりと説明したのだが、チナが理解したとは思えない。モルが池の先の森に近づくと、チナは心配そうに見えた。ただし、この時、チナは以前のように激しく抵抗はしなかった。それで、狼の匂いがしていないのではないかとも思われた。

モルは、恐る恐る、前に狼に襲われた所まで行ってみた。今回は何事も起こらなかった。後ろの方で見ていたチナもホッとした様子だった。モルは、狼たちが下流に移動していると確信した。だが、油断は禁物なので、毎日少しずつ試す範囲を広げていった。そして、どんなに下流に行っても狼たちの形跡がないことが分かった。

仕舞には、遠くに人家があるのが見えた。モルは、興奮した。そして、また推測した。おそらく、狼たちはあの村を襲おうとしたのではないか。ところが、逆に、村人に殺されたのではないか。あの村だって、食糧不足に陥っているに違いない。狼でも、食べられものは食べるだろう。

モルの考えは、正しいようだった。もう狼を恐れなくても良い。あの村まで辿り着く事が出来る。その次の日、モルとチナは村が良く見える所まで来た。村の広場の端っこのオリの中には鶏がいることが分かった。これは猫に鰹節であった。あっという間にチナの目の色が変わり、反動的と思えるような速さで鶏を目指して飛び出して行った。モルは、慌てて止めようとしたが、とてもチナの速さには叶わない。

チナ、そしてその後を追うモルと、二人がオリに近づいた時、村人が大勢出てきて、侵入者を捕まえようとした。それを見ると、チナは素早く逃げた。ところが、モルは簡単に捕まってしまった。チナは、モルが捕まった事に気づき、今度は、諦めたようにモルの所まで寄ってきて、村人に難なく捕まった。二人は、鶏とは別のもっと大きなオリの中に入れられた。
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