第二部 猫姫:(6)虫の知らせ

文字数 3,194文字

姫は大いに驚いただて。これは、指南に間違いない。指南は、まだ生きていただけではなく姫を助けようとしている。一瞬にして、姫の体に力が湧いてきた。このままでは死ねない。指南と会わなくては。それで、その時から、食事をしっかりと取るようにした。一方、大山賊は姫が自分の妻になる気になったと思い気分を良くした。

指南はその後、姫救出の計画を練ってはいたが、随分と時間が掛かった。まず、瀕死の重症から回復するのを待たなければならなかった。そして、救出に必要な道具を手に入れなければならない。金銭は全て大山賊に奪われてしまったので、何も買うことは出来ない。持ち前の技で、盗み出さなければならない。

その間、大山賊は、徐々に姫に迫っていった。
「お姫様、お気分はいかがでござろう?」
姫は猫なで声で答えた。
「大分良くなりました。ところで、指南の持っていた金銭は全て奪ったのですよね?」
「当然の事です。すべて俺様の手元にあります。どうしたんですか? 至難の事が気になりますか?」
「いいえ、とんでもない。一銭も持っていない従者など要りませぬ」
「それはそうでしょう。この俺様にお任せ下さい。決してお姫様の後悔するようにはさせませんから」

ただ、大山賊はまだ指南の事にこだわっている気配だった。
「ところで、お姫様、もし至難が生きていたとしたらどう思われます?」
「ほんとにそうなのですか? 大山賊様の手下がきちんと始末したはずではないですか」
「それが、どうやら、お姫様を助け出そうと計画しているようなのです。近くの町で火薬が盗まれたと言う話を耳にしました」

これを聞いた時、姫は焦った。指南の行動は監視されている。罠にハメられるかも知れない。指南に知らせたいが、それは出来ない。まずは、指南の行動を一時停止させないと。姫は方策を考えた。
「大山賊様、わたし、少し気晴らしをしたいのですが、わたしと一緒に町まで行って下さいますか?」
「おぉ、大分良くなりましたね。そうですか、明日にでも行きましょう」

大山賊と姫は数人の手下を従えて、町まで出かけた。途中、木こりに変装して偵察していた指南がこの様子を見かけた。指南は限りない憤りを感じた。あのバカ姫、いつの間にマメ山賊の野郎に丸め込まれているのか?! あっしの手紙は見なかったのか? それとも、見ても、無視する気か?!! どうにでもなれ、あっしはもう知らん。勝手にしろ。元々、こんな奴の面倒を見たのが間違いだった。あっしはあっしの道を行く。そう思うと、持っていた斧を思いっきり木に切りつけて、そこを立ち去った。

実は、歩いている間中、姫は注意深く周りを見回していた。そして、木こりに変装している指南には気がついていた。それで、姫は草履を履き直すからと言って、そこで立ち止まった。そして、指南がその事に気がつくように、長い時間ああでもないこうでもないと草履をいじっていた。ところが、その時までには、指南はその場から去ってしまっていた。

姫は複雑な気分だった。指南が怒って姫の事を見捨てれば、大山賊の罠にハマる事はないだろう。それは喜ばしい。でも、もう姫を助けにも来てくれないだろう。指南が生きていながら、もう会えないかも知れないと思うと悲しくていたたまれなかった。自分は、ほんとにマメ山賊の妻なんかになるつもりはない。その前に死んでやる。もう、そうせざるを得ないかと諦めかけていた。

大山賊の隠れ家に戻ってから、姫はまだ指南の事を考えていた。姫の行動を見て怒っていたのは確かだ。もう、どこかへ行ってしまったろうか? でも、もし万が一、もしまだ少しでも姫の事を思ってくれていて、そして、この辺から離れていなかったとしたら、何とか連絡が取れないだろうか?

姫は、大山賊の機嫌の良さそうな時を伺って頼みごとをしてみた。
「大山賊様、わたし、気分が良くなったので、歌でも読みたいのですが」
「ほう、それは何より。どうぞ、ご自由に」
「それでは、裏の丘の上で読んでもよろしいですか? あそこは眺めも良いですし。それから、危なくないように誰かに見張っていてもらえますか?」
「どうぞ、どうぞ。では、手下の者に言っておきますから」

その夜、姫は大山賊の手下が少し離れた所で見張る中、声を張り上げて歌を読み始めた。
「コオロギや、しっぽを挙げて鳴きなされ。今も聞きたし凛々しい声よ」
これを何回も何回も続けた。そして、最後に付け加えた。
「よっこらしょと。あれ、何か落としてしまったかしら?」

これを何日か続けていたのだが、ある日、わざと落としていた文が無くなっている事に気がついた。そして、その代りに、新しい文があった。中にはこう書いてあった。
「猫を見に毎晩来たる虫の音を聞き逃すこと決してなかれ」
姫は内心大喜びだった。指南は姫の事を見捨ててはいなかった。また戻って来てくれた。その後、姫と指南は文を交えて脱出の計画を立てた。

ある日、大山賊の一味は街道を通過中の行商人の一行を襲い、大金を仕入れた。
「皆、今日は良くやった。今夜はゆっくりするがいい」
この時、珍しく姫が口を挟んだ。
「それでは大山賊様、お酒を用意しましょう」
「俺様のお姫様は、教養があるだけでなく、気もきく。よし、宴会だ!」

大山賊と手下はいい気分で飲み始めた。暫くすると手下の者たちは次々と寝入ってしまった。大山賊は酔っ払ってはいるが、まだ一人で酒を飲み続けていた。姫はどうして大山賊だけ、まだ起きているのかと気をもんだ。どうやら、一人だけ、専用の高級酒を飲んでいたようだった。すると、寝込んでしまった手下たちを見て大山賊が言った。
「何だお前たち、こんなに酒に弱いはずはないだろう。変だな」

その時、姫は台所からもう一品つまみを持ってきた。
「お姫様、これはどういうことだ? 何で皆眠ってしまっているのか......。まさか、酒に何か入れたのではあるまいな?」
「大山賊様、なぜその様な事を。それより、おつまみをどうぞ」
「まさか、毒でも入っているのではあるまいな?」

その途端、大山賊は立ち上がって姫のことを掴もうとした。ところが、かなり酔っ払っていたので、足がもつれ床に倒れた。次の瞬間、姫は隠し持っていた包丁を取り出し、思いっきり大山賊の足を刺した。
「畜生! このーいかさま姫!! 猫をかぶりやがって!!!」
大山賊は大声で叫び、姫の足を掴もうとした。姫は体をくねらせて、するりとすり抜けて外に飛び出した。その拍子に、裏の丘で様子を伺っていた指南が飛んで来て、姫の手を引いて一目散で逃げ出した。

少し離れた所まで来ると、二人は一息ついた。
「お姫様、大変な目に会いましたな。でも、良かった良かった」
「指南、本当に戻って来てくれたのだな。わたしはもう自分で自分の命を断つことさえ考えていた。それでも、指南の事がどうしても頭から離れなかった!」

「お姫様、かたじけない。あっしも、お姫様に会いたい一心でした。ただ、実を言うと、お姫様がマメ山賊と町に出かけた時、あっしは、あまりの悲しみと怒りで......。正直言って、その時は、もうお姫様の事を諦めようと思った程でした」
「指南、もう分かっていると思うが、あれは、指南がマメ山賊の罠にハマらないようにと心配のあまりの企みだった」

「そうでしょう。でも、あの時は辛くて。それでも、お姫様の事が忘れられないどころか、想いは日一日と高まるばかりで......。あっしは、もうお姫様なくしては生きて行きていけません。一生お姫様にお供します」
二人は初めて抱き合った。そして、ひとしきりしてから、指南が言った。
「お姫様、あっしら、遠くの安全な所に参りましょう。あっしが調べてあります。食料もあるし、ご安心を」

指南は悟った。王妃からもらった金銭はすべて失った。だが、真の褒美は、姫その人だったのだと。指南は、生まれて初めて、感謝の気持ちを味わった。
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